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シミュレーションとコミュニケーション by S.N

秋野イントロの絵画は、一見すると肖像画のように見えるが、描かれている人間たちの目には紙粘土の様なメディウムで作られた、洋服のボタンを模したものが留められている。
目を閉じられていると言える。

installation view courtesy of aaploit

一方、口は雑誌か何かの印刷物を強拡大してプリントし、破って貼り付ける。
話せない状況なのか、口は誰かからの借り物のようにも見える。

視覚を塞ぎ、口は自分の意思とは無関係なことを話すように見えてくる。
我々は、インターネット等で見た情報をシュミレーションし、無体験のまま、盲目的に信じ込む事がある。
その情報を元に、他人とコミュニケーションするとき、果たしてその言葉は誰の言葉や視覚として、人と人の間にとどまるのであろうか?

1 番興味深い作品は、会場奥に置いてある昔ながらのダイヤル式の電話である。
しかしダイヤルは省かれているので、こちらからは連絡出来ない電話である。

わたしは、この一方通行の電話が、現在の情報が無限に降ってくる社会を模しているようにも見えた。

人間は、視覚と聴覚と言葉を中心にコミュニケーションを取る。
いまのオンラインミーティングやメタバースは、それらが顕著になりつつある。

絵画は元来、視覚芸術であり、鑑賞者は視覚を通して作家の思考を読み解き、新たな概念を模索する。
見ているもの、発する言葉、聞こえてくる声。果たして何処迄が真実で、自分とは何処にあるのか?

今我々の前にある現実は、秋野イントロが描いた物体と、電話のベルの音だけである。

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