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植松美月「月に浮かぶ、」について by K.U

ギャラリーに足を踏み入れると、紫と淡い赤色で染め上げられたシートを何枚も重ねて4つに折り畳まれた束が、いくつも床と展示台に無造作に置かれていた。それぞれの束は異なる柄に染め上げられていて、とても滑らかで美しく、布なのか紙なのかまったく見分けがつかない。その美しい表面には4桁の数字が印字されていた。聞くと、このシートはコピー用紙とのこと。「紙」ではなく、あえて「コピー用紙」と説明したのは、何らかの意味があるのだろう。

ギャラリー左手の壁に目をやると、そのうち一つの束が開かれて重ねられたまま展示棚に飾られている。開かれたシートの表面には、6桁の数字が黒いスタンプで、4桁の数字が赤いスタンプで押されていて、黒い数字は、不規則に重なり合うことも厭わず押されているため、黒く潰れて読めない数字も多い。一方、赤い数字は画面全体を大きく楕円を描くように押されていて、ところどころ地の色や黒のスタンプと重なり不鮮明で読めない箇所も見受けられる。赤いスタンプは1枚当たり60回押されていると聞き、シートの表面を目で追いかけると、1381からはじまり1440で終わっていた。確かに60の数字が押されている。そして黒いスタンプは作家が自分自身の呼吸に合わせて押しているとのことで、展示されたシートには12642から始まり13172まで押されていた。それぞれのシートに押されるスタンプの数は、作家の体調や気分に応じて変動するに違いない。

これらの紙の束は彫刻作品なのだそうだ。一つの束は24枚の紙で構成されていて、束は全部で31。壁に飾られる束は毎日差し替えられる。ここまで、60、24、31といった数字を交えて作品を説明してきことから察せられるとおり、この作品は時間をモチーフにしている。1枚のシートは1時間=60分にあたり、60の赤い数字、シートによって異なる回数であろう呼吸の回数を表す黒い数字が連番で印字されているのだった。シート24枚で一束、一束が1日に該当し、31の束がつくられ、折り畳んだ束の表に印字された4桁の数字は月日を示しており、壁の展示棚には、毎日、その日に該当する束が飾られる。そして、それぞれの束を染め上げている紫と淡い赤色は、既製品の赤と青のインクが混ざり合ったものとのことだった。コピー用紙、インク、スタンプ、この作品はレディメイドの工業製品をメディウムに製作されている。特筆すべきは濡らして乾せば畝るはずの表面が、布と見分けがつかないくらい滑らかなことだろう。これは、染色作業の前にコピー用紙に特別な処理をしている効果とのことで、作家がメディウムに向き合って、作品の仕上がりを追及している姿勢がうかがえる。作家のインスタグラムによれば、紙と染色、そしてスタンプ。これらのレディメイドの組み合わせは、これまでの作品でも何度も採用されてきた方法のようだ。本作を、「レディメイドの既製品と作家の呼吸を媒介として、時間を可視化した彫刻作品」と解釈するのが、正しいのだろうか。

この解釈が的を射ているのかどうか、正直なところ確信を持つことができない。ただ、この文章を書きながらハンネ・ダルボーフェンを想起したことは申し添えておきたい。ハンネ・ダルボーフェンはドイツ出身のコンセプチュアル・アーティストで、2022年に、慶應義塾大学アート・センターとTARO NASUでの個展、兵庫県立近代美術館の企画展「ミニマル/コンセプチュアル:ドロテ&コンラート・フィッシャーと1960-70年代美術」が、ほぼ同時期に開始際されたのが記憶に新しい。また2008年の横浜トリエンナーレにも参加しており、広島のHirose Collectionが多くの作品を所蔵している。ハンネの作品は、計算用紙やカレンダー、五線譜など様々なフォーマットの用紙に、数字や数列、波状の走り書きなどを繰り返す、反復と変換の方法論が特長的だ。慶應義塾大学アート・センターの個展紹介ページによれば、「整えられたフォーマットのなかに重層的な時間をたたえ、はるかに過去や未来を含んだ現在への問いかけを淡々と訴えている」と評されている。

レディメイドと身体性を媒介に、反復と変換の手法で時間を可視化する。彫刻と平面作品という違いはあるものの、これが「月に浮かぶ、」とハンネの共通項と言ってもいいのではないだろうか。植松美月さんが手がけるレディメイドをメディウムとしたコンセプチュアルな彫刻作品、次作にも期待したい。

【参考】
慶應義塾大学アート・センター「ハンネ・ダルボーフェン」展
http://www.art-c.keio.ac.jp/news-events/event-archive/hanne-darboven/
TARONASU「Fuchs du hast die Gans gestohlen / Fox, You Stole the Goose」
https://www.taronasugallery.com/exhibitions/%e3%83%8f%e3%83%b3%e3%83%8d%e3%83%bb%e3%83%80%e3%83%ab%e3%83%9c%e3%83%bc%e3%83%95%e3%82%a7%e3%83%b3-hanne-darboven-%e3%80%8cfuchs-du-hast-die-gans-gestohlen-fox-you-stole-the-goose%e3%80%8d/
兵庫県立美術館:「ミニマル/コンセプチュアル:ドロテ&コンラート・フィッシャーと1960-70年代美術」
https://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_2203/index.html
横浜トリエンナーレ2008 ハンネ・ダルボーフェン
https://www.yokohamatriennale.jp/2008/ja/artist/darboven/
Hirose Collection
http://www.hirosecollection.com/blog/hanne-darboven.html


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