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第 2 回 アートライティングテキスト なんやゆうき《制約のない写実》 手紙 by Y.M

君が興味を持つであろう作品を観たので筆を執った。

制約のない写実, ©なんやゆうき, aaploit

その作品は、たて 40cm×よこ 50cm くらいほどの大きさの平面作品だ。シンプルな白木のフレームに、前面アクリル・白マットの額装がされている。アクリルガッシュとクレヨンとを併用した絵画で、おそらく紙を支持体として描かれている。
印象的な赤く丸い形が、画面中央やや右よりに見える。丸いといっても切りとったような直線が右下にある。表面は白い筋のような線が無秩序に走り、立体的なテクスチュアを持ったこの部分は、支持体そのものに皺をつけたのだろう。これに接して、地面に落ちた影、あるいは滴った液体が下に溜まったような位置に、深い⻘色が塗られている。それらの背景は、赤いものの中央から、右側が明るい⻩色、左側が暗い紫がかった色になっていて、その割合は2:3くらいだ。
平たい筆で描かれているようで四角いブロックの集合体のようにも見える。背景の明度は、右上方向が高く左下方向が低い。その左下には、黑い塊のようなものが、塗りつぶすように描かれている。
さて、この赤く丸いものだが、私はトマトだと思った。私たちの故郷では、尻腐れや裂果したトマトを、畑でよく見かけたね。あれが連想された。傷だらけのトマトが、大きく口を開いた病変部分から大量の⻘い液を垂れ流している、ように見える。左手前に見える黑く塗りつぶされたような塊は、そのなれの果てか。画面の外にもこの黑い塊があるように思える。つまり複数のトマトがある。死んだトマトと死にかけたトマトだ。だが、この瀕死を思わせるトマトの色彩は明るい。まさに燃えさかっているようなのだ。瀕死というより手負いというべきか。
私たちが中学生だった頃のテレビドラマを思い出さないか。腐ったミカンの方程式。ドラマの内容はよく覚えていないが、その時代を思い出した。何事にも抑圧されたあの時代が左側の暗い背景、死んだように生きる生徒が黑い塊、そして、抑圧されながらも抵抗する生徒が、手負いのトマトだ。発散されるエネルギーは必ずしも健全な方向ではなかったね。いろいろなものを吐き出していた。でも、どこかに希望があると思っていた。その希望が右の明るい背景に思える。
この作品の作者は 2000 年生まれだという。そんな時代やテレビドラマのことなど、あずかり知らない、と言うかもしれない。だが、私にはそう思えたのだ。
この作品、君ならどのようにみるだろう。

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