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大石いずみ《emergence 1997.9.26》~写真が纏う物語~ by J.M

 江戸川橋のギャラリーaaploit で大石いずみの個展「emergence」が開催された。6 点の作品を観ることができる。大石は写真を描く作家である。写真は個人的なもの、骨董市で買い求めた匿名のもの、そして世界のニュース画像など幅広い。
 1997 年、愛知県出身の大石は京都精華大学で洋画を学んだ。写真を描くことになったきっかけを幼少の母の晴れ着姿の写真を見た経験からだと述べている。「お互いよく知っているはずの人物が、“知る由も無い存在”として生きていた過去を見るというのは不思議な心持がしました。」(1)この時から写真を見ながら被写体のことを想像するようになったいう。そんな気配を纏った写真にあるドラマを絵画という媒体に記録するのが大石である。
 個展に展示されている中で私が注目したのは《emergence 1997.9.26》だ。

《emergence 1997.9.26》, 2023, ©️Izumi OISHI

 絵の具と蜜蝋で描かれた絵画である。この作品は縦が2m、横が1mある大型の作品だ。作品の前に立つと最初に目に飛び込んでくるのは人間の腸のようにぐねぐねしたような文様である。文様の色は白、ピンク、オレンジと白を基調とし、細胞分裂のようにキャンバスを包み込んでいくように見える。その上のレイヤーに水をこぼしたように上から下へと滴り落ちる蜜蝋。それらがキャンバス全体を覆っている。
 大型の作品なので少し距離を取って対峙する。ここでハッとしたのが抽象画だと思っていたのだか、乳児を抱いただいた人の姿が認識できたのだ。よく観ると確信は持てないが、母子像に見える。母であろう存在に抱かれている乳児は生まれたばかりというより生後 2 ヶ月くらいか。よくある家族の温かみのある風景である。
 この作品は大石の個人的な写真を支持体として描かれたものである。タイトルにある 1997 は 1997 年と解釈することもできる。emergence は出現、発生という意味がある言葉である。ここでは、誕生と言い換えることができるため、大石の乳児の頃の写真であると考えられる。当然、大石には当時の記憶があるはずもないので、写真を扱うきっかけとなった母の幼少期の写真と同じように当時のことを想像したのであろう。
 手のひらサイズだったはずの写真を拡大し大型のキャンバスに人物を描く。その上に抽象的で複雑な文様や蜜蝋のしたたりをレイヤーに重ねる。最下層には写真の段階で背後にあったであろう背景を黒で塗りつぶす。これらのレイヤーに「描かれた像」がはさまれることで、鑑賞者ははっきりと認識しづらい母子像に強く引きつけられるのだ。
 また、大型のキャンバスに描かれた像は日常の人の大きさからも逸脱することでさらに強調される。そして、支持体となった写真が多重のレイヤーや拡大され荒い画像になったせいで匿名性を帯び、時間や国籍をも超越する存在となるのである。
 文様やしたたりが母子全体を覆っている。最初は腸のように見えた文様が母子を包んでいるような安心感をあたえる存在に見えてきた。母の口角の上がり具合から想像できる微笑みと大人しく抱かれている乳児の姿からだ。そんな安心感を物心つかない大石は母から感じていたのではないだろうか。鑑賞者によってはジェンダーをも超越するかもしれない。
 母子像は絵画では普遍的な主題である。キリスト教美術の聖母子像はダ・ヴィンチやラファエロも描いている。写真を扱った作品ではドイツの画家であるゲルハルト・リヒターが「オイル・オン・フォト」という写真の上に絵の具で抽象的な文様を描いた作品群が描いている。その中にも母子の写真作品《9. Nov. 1999》(1999)がある。

(《9. Nov. 1999》(1999)の作品イメージへのリンク: https://gerhard-richter.com/en/art/overpainted-photographs/family-88/9-nov-1999-14416?categoryid=19&p=1&sp=32&pg=25

 この作品は赤い抽象的な筆跡が母子を覆っている。その存在があることで母子の表情を読み解こうと逆に母子に注目がいくという効果をもたらしている。赤を基調した多彩な色彩で描かれた物体は大石作品同様、母子を何かから守ろうとしているように大きく立ちはだかっているように見える。母子を包むさまに大石作品との共通点を見いだす。
 大石は具体的なイメージと抽象的なイメージを備えた絵画を描く。抽象的なイメージがあることで、具体的なイメージが強調されるのである。具象と抽象が入り混じる事で、具象のイメージが纏っている物語に鑑賞者を誘うのだ。その世界に鑑賞者が入り込むことで無意識の中で鑑賞者自らの経験と作品が結びつけられていく。匿名性を帯びることで鑑賞者は自分ごとへの置き換えが容易になる。そうすることで鑑賞者側の物語が生まれるのだ。新たな物語が生まれていく絵画。それが、この作品の魅力である。わたしには孫を抱いている妻の姿を思い浮かべた。そんな希望に満ちた物語をわたしに想像させてくれたのだ。

文字数;1,900 字

【註】
1.大石いずみ HP https://izmdraw.myportfolio.com/ 20230509 閲覧
【参考文献】
大石いずみ HP https://izmdraw.myportfolio.com/ 20230509 閲覧
aaploit HP https://aaploit.com/izumi-oishi-emergence/ 20230509 閲覧

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