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書きたいだけ書く日記 【2021/08/02~08/08】

オリンピック一色。閉会式で字数を使っている一週間。

2021/08/02(月)免許更新へ

 免許更新へ。なんだかものすごく詰まった書き物と依頼仕事の〆切があったので、今になってしまった。期限まであと1週間しかない。ここまで引っ張ったのは初めて。写真を撮るので久しぶりにみっちりと写真用の化粧をして顔が重い。うちからかなり遠いのに10分足らずで免許センターに到着。最高。駐車場を選り好みして、立入禁止の本館の下の日陰になるところに無理矢理停めようとする老夫婦が居て、見ているとさすが警察関係施設、人がいっぱい出てきた。その後も完全マークされていた。
 早く行ったのが良かったのか、受付から視力、写真、支払いまで5分かからず。視力、老眼でも問題ないのな。講習の部屋でふと、ここにいてこの講習を受ける人はみんな誕生日が近いことに気づく。どんなにずれても半袖の期間生まれだ。途端に親近感が湧く。
 終わって免許証を受け取る時に、古い免許証を渡してしまったことに気づいて申告して、言われた場所に手続きをしに戻るとものすごい密。年配の人ばかり。ディスタンスもくそもない。間隔を取る、という感覚が鈍い。そのくせ人と急に近いことに気づいて(狭い間隔を取ったのは自分なのに)ハッと驚いた態度で飛び退いたり、ほんとこの人たち世代もかなり感染爆発のアレになっているんじゃないかと思った。
 それにしても自宅を出て1時間で完了。ありがたや。今後も安全運転で行くぞ。
 オットも息子も近々1回目のワクチン接種だし、私も手持ちが切れているので、帰途にあるサンドラッグにロキソニンのゾロを買いに行く。うちのあたりで絶対に置いているのはサンドラだけ。先月どこも品薄になったのでこわい。われら熊本県人はそもそもの体質プラス熊本地震以来の危機感の過剰反応からくる買い占めの常習犯なので警戒。
 1軒目薬剤師不在、2軒目置いていない。結局一番遠い、絶対ある店まで行く。薬剤師さん親切。1箱でいいのかと聞かれて驚く。前に上通のサンドラで2箱買おうとしたらヤク中扱いでものすごく厳しいことを言われたのに。その薬剤師はやたら言い方がきつかったけど、丁寧に説明して下手に出て買ったことを思い出す。とにかく買えた。食料品も買って、帰途の健軍神社にお参り。
 帰宅後、原稿をまとめる。夕方大雨。息子1を自転車で塾に行かせなくて勝利。ひょんなことでした調べ物からちょっと私としては見過ごせないことに気づいて、延々調べ物して大興奮。興奮のまま晩飯づくり。
 晩飯、豚平焼き、鹿児島で買ってきたイワシの丸干を焼いたもの、もやしのナムル、ごはん。

2021/08/03(火)今回のオリンピックの特徴

 昨日と同じように夕方、強く雨が降った。夕立的な降り方。10分ほど洗濯物を畳んだりしていたらすぐやんだので、閉めた窓もまた開ける。ずいぶん涼しくなる。一軒挟んであちら側の通りを通る車の水を跳ねる音だけ、雨の名残りが残る。
 オリンピック。連日見ている。
 この大会、今までとちょっと違うとしか言いようがない。すべての選手が、ここに来れたことをとても特別なことと捉えているのではないだろうか。同じ種目の選手同士が言葉をかわす場面。試合後の心のこもった挨拶。熊本地震の直後を思い出した。私たちの他者との垣根はとても低かった。よく話しかけたし話しかけられた。過酷な体験をした者同士で生まれた連帯感だろうと今は思っているが、選手たちも、同じようにコロナでひどい目にあった同士の連帯感が生まれているのではないだろうか。
 今まで見たことのないオリンピックだ。独特の高揚やお祭り感はいつもだけど、今回は国を超えて人がつながっているさまが見える。この大会を、最悪の状態で強行した大会ということで名を残すだろうとか、こういう論調で言い表すとしたらずれたことだと思う。

2021/08/04(水) 世は天才で満ちている

 いつも通りテレビはつけっぱなし。森口祐子プロの女子ゴルフの解説が辛口過ぎて、気分が沈んでチャンネルを変える。「あっ、駄目ですね」とか「ミスですねえ」とかこわい。今回のオリンピックの解説について私の中でベストとワーストがあるが、ワースト5には入る怖さ。ちなみにワーストの1位は大騒ぎしすぎた水泳の萩原智子さん。ベストの1位は柔道の松本薫さん。
 名古屋の河村市長が、表敬訪問したソフトボールの後藤さんの金メダルを勝手に噛んで大問題に。馬鹿だなあ。私はそれよりも、その後に注目している。河村市長を「メダルかじり虫」とし、虫に噛まれて金メダルから菌メダルになっちゃったとか、誰がうまく言えと。確かに、見境なくかじっちゃうのは虫レベルだ。唾液付きだから菌もあろうし。さらに河村さんの名前をアナグラムにすると、「ワタシカムカラ(私噛むから)」とか「カシタラカムワ(貸したら噛むわ)」とかになるとか、どうして気付けるのか。後藤さんの所属先のトヨタの社長が怒っていて、河村市長は謝罪に向かうも社屋内に入れてもらえなかったことを「令和のカノッサの屈辱」と言っているネット民もいて、もう脱帽。世の中は天才で満ちている。
 それにしても、後藤さんのメダル、どうにかならんもんか。あれは仲間と共に戦って、授賞式でお互いに掛け合った唯一無二のメダルだから代わりでは済まない。誰もが納得する高度な消毒とか、お祓いとか、メンテ出来ないだろうか。後藤さんが「あんな目に合っちゃったけど、世の中は捨てたもんじゃない」と心のなかで相殺して、メダルに嫌な思いを残さないで済むように出来ないだろうか。
 今週の「短歌『読んで』みた」で挙げる歌の選定を考えていたが、やはり金栗さんのものにしようと思う。アスリートが詠んだ短歌は、今の時点では金栗さんのものだけだ。自伝にも本にも未収のものを出そうと思う。

2021/08/05(木)アステア

 我田引水も改鼠も、言うたもんがち。
 東大王の伊沢くんが日本初のオリンピアンは三島という人物だと言っているらしい。やっぱり東大に引っ張りたいのかね、三島弥彦は東京帝大出だから。でもこのオリンピックでは同時に金栗四三も派遣されている。二人共が最初のオリンピアン。競技に出た順ではないでしょう。生きていくためにはこれぐらいしたたかじゃないといけないのかと勉強させていただく気持ち。
 午後、つけっぱなしのBSから映画「あしながおじさん」。古いなと思ってみていたらフレッド・アステア。未見だったので何となく見る。55年の映画なのでこれはアステア、まだ歌って踊ってた頃、と待つでもなく待っていたら当たり。アステアは私の一番古い映画の記憶の中に居る。映画館で祖母と実母と「タワーリング・インフェルノ」を見た。正確には見せられた。あのパニック映画のキーパーソン的役柄で、子供心に覚えていた。後に池波正太郎の『銀座日記』で激推しされている歌と踊りの名手と同一人物であると知った。そこからアステアを少しずつ見始めた。その10年ほど後にはマイケル・ジャクソンの憧れであり、服装や身のこなしなどに強く影響を受けた人物だと知った。まあ見る機会があれば見ている。
 この時点で50代後半のアステア、まあ踊るし、歌がうまい。踊りは今のものと随分違う。体力をリッチに使わない踊り。今のダンスは存分に体を使うけれど、省エネ的と言うか、大きくはない踊りでありつつ、決め所だけはかっちり、とてつもなく美しく踊る。それはアステアの通ってきた時代とその時の年齢から来ているのだろうか。
 話は陳腐そのものだった。玉の輿話をいくつかくっつけて作ったようなハッピーエンドストーリーなのに、謎の舞踏シーンとか作られていてとっちらかった印象。とにかく未見のアステア作品を見られてラッキーだった。ラッキーとか言いつつ、わざわざ見る気はないかな。
 気温38℃になるという予報だったけど最高気温は36.5℃。暑いのは嫌なくせに、こうなるとつまらなく思い始める私である。
晩ごはんに蒸し鶏(および生野菜)、ニガウリと豚肉の炒めもの、ごはん、漬物。

2021/08/06(金)アナグラム

 暑い朝。青空の力が違う。恐ろしい圧力で夏をアピールしてくる。8時15分、手を合わせる。
 昼前、虹短歌会の中山さんから電話。原稿のことと、あるプロジェクトのこと。プロジェクトとは新しく発足する文学の会のこと。もし実現すれば楽しいことが始まる。私も発起人でも何でもやりますと伝えてもらう。1時間後やっとのこと原稿、「己呂奈日記 六」送稿。かなり遅れて中山さんに申し訳ない。
 木曜の日記でアナグラムの話を書いたが、歌人にも幾人か、筆名が本名のアナグラムの人が居る。ということでチャレンジ。日本語では出来ず。思い立って海外のアナグラムを生成してくれるサイトで試し、色々入れ替えたら文章が出来た!
 自分の名前のアナグラムで文章なんて、ヴォルデモート卿じゃん!Tom Marvolo Riddleが "I am Lord Voldemort"になるやつじゃん! などと一人興奮する。これは私ではない私自身だ。どこかでいつか、大切なもののタイトルとして使おうと思う。
 息子1、塾の勉強合宿へ。と言ってもコロナ禍にて、例年の学習合宿と同じメニューを家から通いでやる会。この方が勉強になるのでは。みんなでお泊りとかうれしくて勉強にならない気がする。
 午後、食料を買い出しに行ってから私の例年の行事、被爆体験記読みをする。毎年こうしている。9日も15日もする。この間にある関連テレビも見る。それはひとえに後世の人間の義務だと思うし、あんな悲惨なことで亡くなった人たちに心を寄せることだと思っているけれど、もう一つ。私は事実が書かれていることに誘引されている。日記が面白いのと同じ理由。面白がるつもりはない。でもその事実の強さと物語に強く惹かれて読んでしまう。それはやはり申し訳ないので年に1度、この時期だけにしている。
 オリンピック、あと2日で終わってしまう。さみしい。5年待ったというのに。知人がこの非常事態にオリンピックを開催なんて選手も同罪だ、人殺しだと言っていると知って、空虚な気持ちになる。いいことも悪いことも、極端に一般化するのは普通のことではない。年をとるにつれ、こういう感じで変になる人が増えてきた印象。この状態はもう仲良く出来るものでないことも生きてきてわかっている。コロナがなければこうはならなかったかも、と思うと空虚。
 男子のリレー100×4がバトンミスで棄権。うーん、ウォッチャー経験だけしかないババアから見ても予選から危ういし、メダルは届かないのではと思っていたけど、それは彼らも同じで、ワンチャン狙って攻めたらそうなったらしい。そうか、と納得。唯一の選択をしたのだ。すっきり腑に落ちた。彼らは頑張った。

2021/08/07(土)

 息子1、合宿しない学習合宿2日目へ。おいしそうなベントウつくってやった。アスパラベーコン巻き、ちりめんじゃこ入り卵焼き、焼きソーセージ、冷凍春巻き、ミニハンバーグ、プチトマト、旅行の友の混ぜごはん。
オットは基本休みは平日だし、息子1は毎日塾でなかなか家族が揃わなくなった。そういうのは出来て小学生までなんだなあ。息子2も家を出たこともあるのか、一気に自分が帰ってきた感じ。
「短歌『読んで』みた」更新。金栗さんの歌をやはり取り上げる。アスリートがアスリートの気持ちでごく自然体で歌を詠んでいるのは唯一と言っていい。
 短歌を作り、書き物をする人たちにとって、歌人とは言われていない無名の過去の人は取り上げるに値しないものだろう。でも、短歌に命を与えていくのはこういう普通の人たちだ。仲間と集って、〆切がある幸せな境遇に〆切〆切騒いでいる自称歌人たちではない。〆切など無くても歌とともにある人達が作った土壌の上に短歌はある。ここをおろそかにしたくない。
 この数年で色んな賞をいただいた。賞をいただくということは、この世界の案内人の一人になったというか、旗の振り手に選ばれたということだと思っている。良いと思うものを発掘し紹介するのは、論や作品を書くのとともに旗の振り手が取り組むことだと思うので、やる。依頼がなくてもやる。
 なんて大上段に構えてるけれど、「短歌『読んで』みた」はものすごく好きな企画。義務感は薄い。私的特打ちであるし、本当に楽しい。私が楽しく書いたものを人にも読んで欲しい。

2021/08/08(日)閉会式を見て、私見

 オリンピック終幕。閉会式を見た。どうしても私は曲から聴いてしまう。
宝塚の人たちの国歌斉唱、褒めちぎる人ばかりだけど、私はそうは思わない。同じ髪型の同じような顔つきの人たちが斉唱で歌を歌うこと、宝塚流の袴姿。どの要素も好きな人・分かる人には良いものかもしれないけれど他国の人に異様に映る可能性を考えてしまう。私は良いものと思えなかった。
 小池さんの着物は素晴らしい。金の掛けどころがわかってる。そこがまた素晴らしい。どこで誂えたのだろう。着物の着方、丈を短く取り過ぎと言う意見は見たけれど、階段の上り下りや旗を振るという動きがあったらあんなもんですな。着方より歩き方が問題だった。
 古関裕而のオリンピックマーチをアレンジしたものが入場時に流されていた。作曲した古関裕而の思いを考えると良かったと思うけれど、これは過去の遺産を使ってるだけ。今回のオリンピックのためのマーチがないことがつまらない。そういうの、ないんだっけ?過去のジョン・ウィリアムズのファンフーレやマーチがとても良かったし、今だって演奏されるからやっておくべきと思うけれど。音楽業界にはそんな風は吹かなかったのだろうか、と思った。
 スカパラを出したのは良かった。他の開催地の閉会式とかも見てきたけれど、そこで売れている/売れていたものが出されても弱い。バンドとか弱い。ビートルズすらポール・マッカートニーすら弱かった。楽器は世界中で使われている。特に次の世代の子どもたち、世界中の楽器の子たちが見ることを思うと、メッセージが託されたと思えた。谷中さんや北原さんらメンバーを見て、なにか受け取った子供が居るはず。
 死者たちの鎮魂のため、ど第されたコーナーのダンスの曲は武満?と思って検索すると武満徹の「波の盆」だった。コロナだけではなく、これまで死んだ日本にまつわる全ての人、関わった人への鎮魂だと思った。武満はこの曲をハワイ移民の数奇な運命をドラマにしたもののテーマとして作ったという。踊ったダンサー、アオイヤマダさんのコスチュームをバナナとか南方の島の木の精の具現化だと一見して思ってしまったのだけど、それはあながち間違いではなく、かなり過去まで、それこそ開催返上した1940年の東京オリンピックの時代周辺までさかのぼった、平和を享受できずに亡くなった人々をも含む鎮魂だと感じた。それは日本のこの時期にふさわしいものだと思った。
 オリンピック賛歌はそもそも聞き映えする曲なので誰が歌うのかと期待していたが、ソプラニスタの岡本知高さん。見栄えする外見、そして歌唱も十分でとてもよかった。
 最後、なぜ大竹しのぶ、と思った。しかし「星めぐりの歌」は宮沢賢治のもの。そして聖火納火の際の冨田勲のベルガマスク組曲"Clair de Lune"。一連にはメッセージがあったと感じた。宝塚や古関、武満、冨田、間にスカパラと岡本。音大を出ていない・色物として扱われたアーティストや主流ではないものとして扱われて、認められる位置まで上り詰めたものをつないだことの意味を考えさせられる。これで、何の意味もないは無い。明確に信じて道を進んだ人たちへの讃歌だし、エールだと思った。
ただ、富田さんを出すなら、日本の音楽シーンの重要人物、初音ミクをなぜ出さなかったのか。「星めぐりの歌」と言えば冨田勲のイーハトーヴ組曲だし、イーハトーヴ組曲と言えばミク。可能性しか無い、人が作った人ではないミクを。
 閉会式の最後と、次回開催都市パリの出した国家演奏の映像の最後がイメージとして一致するなんて。合わせたのだろうか。閉会式の音楽は日本の音楽史の一部だったと思ったが、本当に私が思ったことを意図して作ったのかは疑問だと思っている。私がしているのはただの恣意的解釈なのだろう。だとしても、これは現実の一つの姿だ。
 それにしても、知識や教養がなければ楽しめない。何も知らずに閉会式つまらなかったと言い募ることは、自分は物知らずでそれに気づいてもいないアホなんです、って自己紹介するようなものだ。私も気をつけねばならない。謙虚に新しいこと・知らないことを知っていきたいと思う。

 台風が来た。閉会式を見ている間に枕崎に上陸。しかしこのコースはうちのあたりには影響のないものなのでまあスルー。

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