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書きたいだけ書く日記【2021/11/01~11/07】

全体的にボリューム少なめ。最も書いてる時の半分ほど。
体調不良の日が多いものの〆切を果たし、読書に耽溺する日々。まとめてみて、もしかして体調悪いのは読書のし過ぎでは、と思える1週間。画像はいただきものの人吉の次郎柿。

2021/11/01(月)

 絶好の書き日和。7時半には私一人。というのに体調が振るわない。皮膚科に行く気もせず、ぼんやりしたり、横になったりして一日過ごす。

2021/11/02(火)ひとまずの終了

 所属している『虹』の原稿、今日がリミットと言われていた日なので、歌稿と題詠と前号作品評と己呂奈日記(7)を一気に書く。といっても歌は作っていたし、頭で構想していたのを言語化・文字化しただけ。5000字ぐらいだから一気に。己呂奈日記は抜粋とまとめ。やっと2020年が終わるところに追いついた。
 テストの息子1が帰宅する3時頃にはほぼ出来た。全部送信する。ほんと今日は上等。こう頭のスピードと現実がちゃんとかみ合うとこんなにうれしいものか。いつも大体噛み合わない。頭の回転についていけないか、頭空っぽか。
 これでやっと、怒涛の原稿祭、終了。次は『梁』の時評。この他短歌以外の書き物の方と、新しい音楽活動も進めていきたい。
 こうやって、やることもやりたいこともあるけれど、このところ自分が一人であると改めて思う。人とうまくやれない、そういう性格であることはわかっているけれど、この感染禍でさらにそれが進んだ感じ。いや、仲間は欲しい。新しい友人も欲しい。でもどうやって人とお近づきになるのか、忘れてしまった。ツイッターやネット、作品を見ていて勝手に仲間だと思っている人はいるけれど、そうじゃないでしょう。
 まあせいぜいこの環境を楽しんでいくしかない。
 わかっていて、色々考えるのは多分寒くなってきたからなのだろう。

2021/11/04(木)賭け事に次いで最低の娯楽

 廃人の一日。一日読みたいものを読んで、寝る直前まで読んで。
 祖母が読書について「賭け事に次いで最低の娯楽」という認識でいたのは正しい。祖母がそういう認識になるに至ったのは私の実母(祖母にとっては実の娘)のせい。読書に耽溺していた。深夜まで読んで朝は起きられず、自由になるお金は夜遊びと本につぎ込む。若い頃は風呂で読んで深夜寝てしまって沈みかけて死にそうになる。祖母にとってはほんと気の休まらない、最低の娯楽に見えても仕方がない。
 私もそれは似たのか読み出すと意地汚い。全て投げうって読んでしまう。オットはそんなものと思ってみてくれているが、うちでもお利口な娯楽とは誰も思っていない。
 世の中に、子供の頭を良くするために本を読ませるとかいう考え方があるのには驚きしか無い。頭を良くしようと思った瞬間から義務だからつまらんだろうし。
 とにかく本日もまたやってしまった。買物も行ったし、家事は全部しているから超上等としか言いようがない。ここのところ読み物にはまりすぎているので調整しないと帰ってこられなくなる。
 晩ごはんにキーマカレーとグリーンサラダ。
 夜になって先日〆切だったエッセイの初校が来ていて、明日やろうと閉じて寝る。
 早く寝ようと思っていたのにそういうわけで12時。ほんとまずい。

2021/11/06(土)耽溺

 金曜・土曜とひどく読書に耽溺。実母のことなんて言えやしない。私も大概だ。耽溺とはいうものの、家事業務は問題なくやっているから私、えらい。しかしそれ以外の時間を・全て、読みものに費やしてしまっている。
 なかなかに背徳感は強いものの、私のようなことをやっているものには絶対に必要な作業で、最高に良かった。謎のbreak through感も得た。
 晩ごはんを作りながら、口笛。本日は、時の旅人(合唱曲)、モーツァルトのピアノソナタ、感電、ギラギラ、エルトン・ジョンのYour Songなど。ジャンルも時代もめちゃくちゃ。息子1も口笛で乗ってくるも、ピッチが悪い。合わせて乗ってこいよ。
 読書に耽溺すると、書きたい欲もゲーム欲も睡眠も全て吹っ飛ぶ。どうもこれは私の標準装備。ある程度満たされるとまた元に戻るのだけど。

2021/11/07(日)調子良し

 起きて調子良い感じ。体が軽い。寝る時間、大事。朝食にツナときゅうりのロールパンサンドとりんご。
息子1が塾の模試。ここのところ模試が続く。コンビニで買うのはお楽しみの一つと言う子に昼食代を持たせて送り出して書き物。乗ってきたところでオットが起きてくる。オットにも朝食を出して、洗濯祭。前日が雨で出来なかったので洗っては干し、洗っては干し。

 一人の時間が無いと嫌で、仕事などを盾に子育てに故意に関わらない男親がいるという話をツイッターで流れてきたリツイートで知る。育休が普及することでいよいよそんな人達の逃げ場がなくなりそう、ということも。新しい概念。それでこれまで逃げられた人はいいなあ。でもその欲求は男親だけ特有のものでなく性差に関わりのないものだと思う。私としてはわかるとしかいいようがない。子らが生まれてからつい最近までつらかった。子らを死なせないように、つつがなく大きくするのが私の大儀なので自分を削ってでも注いできた。子らが自分を持ち始めて、関係が築けるようになって大きな喜びは感じたものの、それはつらさの代償にはならないのよね。子らとの暮らしの素晴らしさより自分の時間がないしんどさの方が圧倒的に強い。そこのところの問題を母性なるもので無理やりカバーさせられてきたものが、男女とも関わることで問題としての本当の姿が見えた、ってところか。
 私は子らどころか他の人でも駄目だ。実家にいることから気づいてはいた。自分以外は全部駄目。書き物は自分とのあれなので特に駄目。

 午後、息子2のところへ。やっと普通に面会出来るようになった。息子2はやはり素晴らしく、かわいい。もう誕生日から数日過ぎたのにやっぱり誕生ケーキが欲しいというので届けてやる。普通に面会出来るようになったとはいえ、1回15分。あっという間。話しながら服や個人エリアを必死で整頓した。
 息子2の面会の時、体調や体温を書く紙に日付を書く時に今日が7日と気づいて焦った。雑誌の初校戻しの〆切、今日じゃないの、と。昨日は、明日は7日とわかっていたのに今日朝からは今日が6日になっていた。いよいよ来たかと思うも、日付や時間の感覚が曖昧なのはいつものことだ。私がボケてもしばらくは誰も気づかないだろうな。食事もきちんと食べないからいつも食べたっけ?って思ってるし。
 晩ごはんに親子丼、キャベツと人参豆腐の味噌汁(熊本の味噌)、茹でブロッコリーなど。
 風呂に入っていて、なんだか気分が良い。私は何を吹っ切ったんだろう。「気づいた」感覚とか、最近の調子良さとか、不調の底を抜けたかのような感覚。
 息子2、今後外出外泊も自由になるらしい。息子2の学校は体調のフォローもありつつ、勉強については「絶対に見逃しません」と先生方が断言する通り妥協なくそれはもうがっつり、通塾レベルで教えてもらえるのが魅力なのだけど、全員が疾患持ちだからこの感染禍ではものすごく厳しい基準で運用されていて、入学してから一度も家に帰してもらえなかったので本当に今がチャンス。連れ出してきたら何食べさせようか。急がないといけない。これは多分今だけ。今はワクチンのもたらしてくれたボーナスタイムだと私は思っている。

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