書きたいだけ書く日記【2021/09/13~2021/09/19】
活字焼けとは読み過ぎて胸焼けみたいになった状態、の一週間。
2021/09/13(月)活字焼け
朝食、ゆで卵一つ。家族はパンやごはんに前日の残りのおかずなどを合わせて。週初めはこれぐらい。
朝から息子1が今日提出の進路希望調査を出してきたので意見する。
一週間のnoteで更新予定のものを一気に詰めて用意しようといくつか作る。昼前に皮膚科で光線治療。その後ダイレックスで買物して帰宅。先週私が得たようなすごいハマチの柵を買ってホクホクしているマダムに私も楽しくなる。帰宅して疲労困憊。買ってきた真鯵梅しそフライを食べ、横になる。息子1、2時半に帰宅。今日からは毎日登校し、給食を食べて帰宅。これがどうコロナ抑止になるのかと思いつつも、別の策もないので従う。
午後遅くから、溜まった熊日を読む。2週間分。本当にうちは新聞に向いてない。熊日は好きなのにこれだ。意味がある文字が書いてあるものを日が過ぎたからと言ってそのまま片付けることなど出来ず、こうして一気に読む羽目になる。
必読のものはいくつかあって、その一つに土曜に更新される渡辺京二さんの『小さきものの近代』がある。江戸末期からの近代への流れを幕末の志士や思想家やその時代に影響を与えた人を取り上げつつ書かれているもの。渡辺さんの脳内の流れのまま…頭のいい人が合点したままに書かれていて読みにくい印象。指示語の指す先が果てしなく遠くて見失ったり、主語が欠けていて何のことかわからなかったりで慣れるまで少しかかった。
私は幕末については自分が学生時代に得た、志士に結構な数アホや脳筋が混ざっているという印象について、ずっと検証をしてきた。確かに私はそう思ったのだけど、本当にそうなら多くの人を惹きつけるわけがないとも思うので。機会ごとに認識を更新してきたのだけど、この渡辺さんの連載は私が持っていた違和感への同意を得たような感覚があって驚いた。9月4日分の最後の方にあった吉田松陰の思想についての認識は私だけじゃなかったのか。渡辺さんは苦手なタイプだと思っていたのに、ありがたく勉強させられている。
本日熊本の新規感染者は23人。30人を切ったのは久しぶり。
晩飯、肉じゃが(牛肉)、アボカド切っただけ、キャベツと卵のスープ、ごはん。牛肉は息子に不評、あいかわらず。三つ子の魂百まで。
完全に活字焼け。胸焼けの頭で起こるやつ。いっぱいいっぱい。
2021/09/14(火)読む日
どうも体調振るわず。一日メール整理し、読むべき読みものを読む。日記研究のメモを作ったり、短歌の方の書き物を考えたり。そう進んだ感もない。音楽の方には全然手を付けていない。
前日同様、熊日の過日分を読み進める。9月11日分の『小さきものの近代』もよかった。今日は高杉晋作について。高杉晋作についても、私が持っていたイメージにほぼ同じ。とても同意しつつ読んだ。幕末好きの人には死ぬほど美化された人だけれど、私にはどうしても辻褄の合う透徹した考えがあるとは思えない人物に見えていた。私に見えるあの時代の有り様はやはりそれも事実で、これからもこのまま考察していこうと思った。疑問があるから見ていく。好きでもない時代に我ながらしつこいと思いつつ。
また活字焼け。晩飯に味噌汁ともやしの和え物しか作れず、オットに揚げ物セットを買ってきてもらった。
熊本市本日の感染者数22人。あっ減ってきた、と思いきやこれは熊本市のみの数。北区で特養ホームクラスター、市内の小学校1学級が学級閉鎖。県全体では52人で、まだ減っていく過程なのかな。
2021/09/15(水)一人いないということ
ここのところ家族の遅く帰る人のために私の就寝時間が後ろ倒しになり、早く起きる人のために起床時間は前倒しで眠い。本人たちに私の事情は説明してあるけれど本人たちもまずは自分のことからやるべきで、私は自力で調節するしか無い。自分がずるずると引っ張られて余計に苦境に陥っていることは、ある程度俯瞰は出来ているので口惜しい。体力が削られる。
朝、学校や検診の家族を出してダウン。ベッドに逆戻り。乱れたベッドで寝たくなくて、軽く整えてからまた寝た。今日は皮膚科の日であることを思い出して、起きて行く。オットと昼を外で食べたり、雨で3日出来なかった洗濯物を洗って乾燥機に行ったり、その後息子2の様子を見に行き帰りに買物したり、1日忙しく動いてへとへとになった。
晩ごはんは肉じゃがの残りや昨日の揚げ物の残り、もやしの和え物と今日買ってきた韓国風浅漬や焼き鳥を合わせて、ごはんは冷凍を。しょぼい。息子2がいなくなって、残り3人共かつてのように食べられなくなってしまった。食事を変えてしまった私だけでなく、オットも息子1も全然食べられない。減らしても、何を作っても残る。息子2がいた頃はみんなよく食べていたのに。家族に大きく変化があるということはこういうことなのだろう。私達は傷ついているわけじゃないけど、傷を負っているのと同じ状態なのだろう。
息子たちに気配りがいるのもあと数年という地点で、たくさん関わりたいところ。今はまず塾とかで遅い人を支えなくちゃいけない。しかしそこに注力しすぎると自分がぐだぐだになってしまう。私はこういう時間管理がとても下手だ。
2021/09/16(木)わかってすっきり
起きてすぐ、毎日測る体重。今日はとても重くて驚く。毎日大して変化のない食生活なのに、大幅に増減する時があって面白い。そこに体調の境目がありそう。
朝ごはんにおにぎり(鮭)、ゆで卵、ピーマンとソーセージ炒め、グリーンキウイ。私はおにぎり以外を。
午前中、短歌を作ると決めて、作る。ついでに読む。小休止にタオルケットを洗って干す。また読んだり書いたり。お昼ごはん、ゆで卵、味噌汁、梅干し一個、ミートボール、納豆。
気になって書き留めていたことを調べる。
熊本のイスラム施設のこと。
あるだろうと思っていたが知らず、調べる。あった。熊本イスラミックセンター。よく通る場所。モスク的丸屋根もあるのに、なぜ今まで気づかなかった。
郡築2番町樋門について。
私の地元の歴史的建造物で、石造りなので当然九州南部の石橋ウォッチャーとしては知っていたし、何度も見ているもの。これがどうやって動くか、やっと納得がいった。防潮樋門なので塩の干満に合わせての開閉が肝心なのだけど、ここは自動でなされていたという。その意味について、今まで素通りしてきた疑問が解消してすっきり。内水は干潮時には出せて満潮時は外海側の水圧で開かない「招き戸」という仕組みらしい。らしい、というのも確定に足る書かれたものは見つけられず、隣の3番町樋門が招き戸形式であることと、2番町樋門について昔は「間違いなく自動で開閉しているか、監視する係があった」という記述を見つけたので。他地域の招き戸で監視係があったという記述を見つけ、合わせ推測。この招き戸についてちゃんと書かれているものが少ない。詳しい人にとっては常識だろうし、詳しくない勢はそこに気づかないし。その狭間にこぼれ落ちた感じか。
夕方先週分の日記を上げた。
晩飯、生野菜(トマトきゅうり)を切って味噌汁を作り、またしてもおかずメインだけ買ってきてもらう。ほっともっとの骨付きチキンスティック最高。子供の頃のよその家のお誕生会の味がする。
熊本の感染者36人。減っている。このまま20人切ってくれたら息子2は外泊が叶うだろうか。
2021/09/17(金)何一つまともに
台風は妙なコースで来るらしい。熊本市から見たら騒ぐほどでないというか、被害は出ないんじゃないの、といったところ。昨日こちらは晴れたのに宮崎は大雨だったという。
朝食にピザトーストを、と後2枚残っていた食パンを取り出したら立派な黒カビが生えていた。あっカビくさ、と感じたから吸ったことは確実。台風のせいで気温が高いからだろうか。パンのあてが外れたので、小松菜とチーズの炒り卵と、釜に残っていたごはん、グリーンキウイ。
体調いよいよどうにもならずベッドの人に。皮膚科はお休みすることにする。10時半、雨が降り出す前にベッドから這い出してゴミ出しと買物。こんな時に米が一粒もないので買い出し。買ったものを収めて、昼食用に買ってきたカニカマサラダを食べてまた横になる。
1時間半後、息子1帰宅。台風で下校が早いと学校からメールが来ていた。もっと大変なコースの台風でも通常登校の学校なのに、どうしたこと。
結局、それからまた起きて少し書き物をするも、もう全然だめ。腹痛と吐き気とだるさで起きていられない。すべて諦める。
晩ごはんに冷しゃぶサラダと中華風スープ。サバの蒲焼きを作ろうとしたらサバがだめになっていた。
やりたいことが回らない無力感はたまらないものがある。
2021/09/18(土)想定以下
オット仕事にて私も起きる。ひと様の休みに仕事に行くというのに家族の誰も気にしなかったらさびしいものと思うので。台風は予想通り、というか想定以下だった。台風一過の感も無い。うちの辺りでは南西から東シナ海を北上するのでなければあまり考えなくていい感じ。
朝食、ミニクロワッサン、サラダ、ハム、半熟卵、コーヒー、りんご(王林)。私はパンなし。王林が出回る時期としてちょっと早いと思いつつも。柔らかい食味のりんごが苦手な息子1と私としてはサンつがるは無理なので今の選択肢はこれのみ。王林にしてはガリガリだったけれど、味と香りが良い。新物はやはり良い。
昨日が残念な一日だったので今日こそは、と短歌に取り組む。出来るのだけど、もっとと急いてしまう。
記事につけようと、画像を検索する画面のトップに、日本画家の松井冬子さんのムック本の表紙が出ていて震える。恐怖ではない震え。和装で正座し、胸ほどまである髪をそのままにレンズを見つめる強い瞳。浅学の私の視点なのであやしいものだけど、彼女は自身の作品の世界観に蝕まれていっているように見える。フリーダ・カーロを思い出すもスタートも中身も違うよな、とも思う。
昼食に息子にはちゃんぽんを作る。私は具とスープとゆで卵。
台風の影響で風が強く、隣から蚊(お隣が家庭菜園用にためている雨水から発生している。たくさん来る)が飛んでこないので、今だと庭の長辺を草むしり。暑さと大量の蚊にくじかれて、夏中放っといたせいで草丈がすごい。20分ぐらいでものすごい量になる。
午後は『短歌「読んで」みた』を断続的に、家事や息子1の登場をはさみながら書く。
出来たけど文末が気に入らん。しかし晩飯時間なので終了。
晩飯にとり天と大根、厚揚げの煮物、ごはん。家でやる揚げ物はやはりおいしい。3人で800グラム超食べる。
お風呂に入って、足にたくさん虫刺されがあることに気づく。蚊ではないのでまずいなあ。田舎もんはマダニ咬症の感染症こわい。
夜とても涼しい。月がとても綺麗。開けたままの窓から昼間むしった草の匂いがし、虫の声がよく聞こえてとても気分良かった。
2021/09/19(日)観察者として
家族が休みでも私は毎日ルーチンとして書き物や歌作り、お仕事したい。子が起きた後、オットはもう少し後だろうと思い、少し歌作するつもりが思ったより早めに起きてきて、計画頓挫。何も出来なかった。もちろん誰も悪くない。いつから家に人がいると厳しくなっちゃったのか、と今日も思う。
ツイッター経由で小山田圭吾さんの言い分を見た。全容がわかったと思う。真摯に書かれたものとは思えた。編集と出版社の責任が大きいのは間違いない。しかしもっと早う言えばこんなことにならんかったかも。ずっと小山田さんが話題になるたびにこの問題を掘り返して世の中に投げ続ける人がいたのも知っていたけど、本人が反論に動かないのはそれが本当である裏付けのように見えていたから。でもなかなか言えないよね、嘘でしたとは。今年の7月以前の、問題にされる前の状況なら、だんまりの方がマシだった。
全て後味悪い。許さないと言っていた人の思いは悪意ではないけれど、そんな第三者の存在がなければこうはならなかったし、許さないとの思いの元となっている情報は事実じゃないかもしれない、となった今。その人と、今回騒いだ人たちはこれからに興味がある。
あの頃あの辺りの界隈の人たちの音楽は、私からはどうみても生活良い層の若者の薄くちゃらいお遊び的に感じられて好きではなかった。楽曲はそれなりに知っているけれど今も昔も興味は無い。ここまでの流れではあんまり評価は変わらない。
ネットニュースにコメントする人たちの多くが当該の記事や発表をちゃんと目を通しているわけでも、読解してコメントしてしているわけでもないことはよくわかった。人の反応を主に観察しているウォッチャーの端くれである私から見ると、世の中は書いてあることを文字の通りに読める人は意外に多くない。全部読んでもいない。そういう人らから発せられるものが満ちている。
昨日の私に続き、オットが残りの草むしり。昨日のと合わせて指定袋大にたっぷり2つ分。
お昼は私の興味本位にモスバーガー。バンズがレタスになっている菜摘が食べてみたかった。美味。しかしこれでお腹いっぱい。糖質制限の私としてはカロリーが足りなくなる気配。
午後だらだら過ごし、気がついたら夜。『短歌「読んで」みた』を上げる。
晩飯、お肉ごはんと大根厚揚げの煮物。お肉ごはんとは豚ひき肉と大量の生姜みじん切り炒めて塩で味付けし、ごはんに混ぜ込んだもの。胡椒を挽いて食べる。昼が重くて全員胃が疲れ気味でこんなごはんに。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?