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書きたいだけ書く日記 2022/02/06

不逞の輩の話、人間の業、無意識の進次郎構文、おでん作り過ぎ、夜中に放歌高吟、など。

2022/02/06(日)不逞の輩

 起きる。とにかく今日は書き上げたいけれど、家族がいると活動時間が限られる。息子1は塾のオンライン模試。開始時間に部屋に籠もったので、そこからオットが起きてくるまでを、必死。
 午後、オットととある受験生お参りスポットへ。そこで窓口の人に強い勢いで声をかけられて少しお話。はじめ、私がなにか失礼をしたのかと思った。でも話していると、勢いが強いのは元々のこの方であるのとプラスちょっと緊張しているからのよう。
 聞いてみると、私たちの態度があまりにそこに来る人々の中では不自然だったらしい。私たちは普通にご本尊に始めに手を合わせて、封筒に入れたお花代を置いてきただけ。ごく普通のことなのだけど、ここにはものすごい輩が現れるらしい。お賽銭を入れない、入れても一円、祈願をただでやってもらおうとする、勝手に境内のお地蔵さんになにか捧げものをする、等々。1番困っているのが、「適当に金入れてお供えものしたらいいらしいよ」という噂がSNSとかで独り歩きして荒れて、更に凄いのが来る、とのお話。考え込んでしまう。
 世の人々はそんなにひどいのか。しかもお願い事をしに来て。私は元お寺の娘なので、当然先にお参りする。実家では厚かましいことをするやつはだいたい最初にお参りもしないという経験則により警戒していたから、話がわかり過ぎるぐらいわかる。歴史学科の学生時代、文化財関係の演習で調査に行く寺社とスムーズかつ穏やかな関係を築きたければ絶対に毎回神仏への参拝が先、とも言われていた。これは誠に勝手な理由で、いい関係を築いて自分たちの調査をやりやすくするためのものなのだけど。寺社は自分らより上に仏様や神様があるから、まあ当たり前の礼儀の内ではある。
 話をするうちに落ち着かれたらしく、色々わかってほっとした。うやむやにしなくてよかった、と思った。私たちが不逞の輩と同じと思われちゃかなわなかった、というのが本音だけど、こうやって話すことで、管理されているご一家の気分が少しでも軽くなれば、とも思う。私がここに載せたことを検索して勝手な解釈をされてご迷惑をかけても、と思うのでそこがどこかは伏せておく。

 神仏とは自由に意思の疎通が出来ない。意思の疎通が出来ないものを大切にするのは難しいことも、まあわかる。でも、それにお願いごとをするという矛盾を感じないというのも、人間の業なんだろうねえ。

 帰宅後テレビに元フィギュアスケーターの町田樹さんが出ていておおっとテレビに釘付け。この人好きだった。試合後のインタビューが壮大だったし、なにより演技が好きだった。今日の解説も一回も噛まず、素晴らしかった。町田さんを見て、頭の中にナイジェル・ヘスの『ラヴェンダーの咲く庭で』がぐるぐる鳴る。何回か彼がこの曲を試合で使っているのを見て、すごく好きだった。後に演奏した時にそれを思い出した、ということを思い出す。無意識の進次郎構文。

晩飯、おでん。はい、作りすぎ。なんでいつもこうなるのだろう。今日はこんにゃくで欲張りすぎた。呆れる。蓋が出来ずアルミホイルで謎の蓋。浮くので菜箸をめぐらせる。

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 夜突然、近くに転がってタブレットを見ていた息子が『サライ』を歌うのでそれに乗って歌ってみた結果、なぜか大声の合唱になり、続けてアルプスの少女ハイジの『おしえて』を。これも大声で歌うも歌詞が甘い息子1、脱落。しかしなんでサライだったんだろう。

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