塔本シスコ展のこと
2022年3月某日、熊本市現代美術館で会期中の『塔本シスコ展 シスコ・パラダイス かかずにはいられない!人生絵日記』へ。
展示室、会場入口すぐのところにシスコさんが。(見出し画像)
塔本シスコは私と同郷の人。とてもシンパシーを感じてきた。この展示が熊本に来たら絶対に行くと決めていたところにEテレの『日曜美術館』でまさにこの熊本市現代美術館のこの展示が取り上げられていて、矢も盾もたまらず、予定が空いた日に駆けつけた次第。
会場は全作品撮影可とのことで、いくつか撮らせていただきました。
実際に見てまず思ったのは、色使いの強さから発せられる圧が少ないこと。多色で明るい色使いの作風の人はたくさんいて、そのどれもが見ているとこちらの何かが吸われてしまって疲れてしまう。それが無いというのは、シスコ作品の特徴なのか。あっけらかんとして、それでいて深い。
ダンボール、粗末な板に、時には表裏どちらにも描いたり、自分の心象そのままに描かれた作品はほとばしる創作への情熱だと感じた。いくつかの作品の中に自分の孫とその年頃の自分とを描いたものがあるのは興味深かった。これは創作者の源がどこにあるのか、ということかと理解した。そこのところのことがシスコさんはよくわかっているのだと感じた。
『日曜美術館』の番組内で、シスコ作品によって、宇城市のすでに失われたお祭りのディテールが判明してそれを元にお祭りを再興した、というエピソードがあった。絵画が歴史資料的側面を持つことはよくあることながら、シスコ作品の日記的側面の強さを物語っている。
歴史/日記ウォッチャーとしては、サブタイトルとして『かかずにはいられない!人生絵日記』と銘打ってあることはとても正しいと感じるし、膨大な作品全てから日記的側面を看破したのは慧眼としか言いようがない。
日記というのは、絵日記でもテキストのみのいわゆる日記でも根源は同じ。なぜ日記を公開するのか/どうしてそうさらけ出さなきゃいけないのって、疑問は愚問。それは業だからとしか言いようがない。日記作者は業が深い。書かずにはいられないのだ。その点でもとても共感した。
今見られて本当によかった、とも思う。というのも使用画材がダンボールだったり、額装された額と絵の間の隙間に日記を切り取ったものが貼られていたりと劣化が早い/脆い素材が使われていて、作者本人が意図したテイストで見られる期間はそう長くないのでは、と思った。
それにしても作品点数が多く感じた。私の知識は自分の学生時代に学んだものでとても古いけれど、あんまり点数が多いと人は見きれないからある程度絞るべき、と学んだ。その上でのこの多さは、この数でしか塔本シスコの仕事を表せないとの判断があるのだろう。
ならばもう一度行って、次は後半を重点的に見ようと思う。
展示の最後に着物が数点あった。
手描きの単衣。多分、描くための白い着物を仕立てるところから自分でやったのだろう。その丈や裄から、思うより小柄な人となりが浮かび、塔本シスコという人により思いを馳せることが出来た。
晩年に近い時期に作られたという絵画のポストカードを購入。
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