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書きたいだけ書く日記【2021/11/15~11/21】

読書に耽溺しつつ、目に見えないものに思念で勝つと誓い、パワースポットを疑い、スケジュールと〆切の配分に失敗してケツに業火を燃え上がらせた日々を経て、週末はついに7ヶ月ぶりに息子2が帰宅、の1週間。

2021/11/15(月)思念で勝つ

 ここしばらくのただれた読み方が習慣化したらしく、作業始めにがっぷりどうでもいいものを読んでしまう。いかんいかんと書き物。時評の〆切はまだまだだけどもう迫ってきた感。気を引き締める。
昼前に皮膚科へ。光線の治療。習慣かつ1日15日はお参り日なので健軍神社へ。そして気づく。境内がカオス。着飾った親子・爺婆。15日参りの人。参道は出店が出て、お菓子の香梅のお祝い菓子販売所もあり、神社の森の小鳥たちも大騒ぎでさらにカオス。なぜか神職が一人立っていて、その方に15日参りの婆が数人、おみくじの意味がわからないと群がっていた。ここのおみくじはわかりやすいんだけどなあ。この時期恒例の菊の展示とかも出ていてカオス、カオス。
 息子1にランニングタイツを頼まれていたので買いに行く。来月の強歩会と称するマラソン大会に備えて走り込むのだという。去年文化部ながらかなり上位だったため、今年は本気で挑むという受験生。ああ。
ついでに必要なものを買い回る。一軒で済まないので家までうまくルート立てて回る。
 息子2、夜寝ているとひたひたと廊下に足音がしてこわい、とのこと。変なのが来たら俺の怖いおかーさんが殺しにくるぞと言ってやりなよ、と言うと収まった感じ。もし、息子の怖がるものが目には見えない類のものだったとして、あっちがそれで攻撃してくるならこっちだって思念のようなものであっちに影響を及ぼせるはず、と思う。不利さ加減はお互い様だ。しかし生きてないものは所詮生きてないものだから哀れ。写真や動画に写り込んでは指先一つで消され、そうして頑張っても生者サイドに真意は中々伝わらない。やっぱり生きてるうちにやりたいことはやって、伝えたいことは伝えないとね、と思う。とにかく私の子どもに悪さするやつは一つも許さない。私がやらずに誰がやるのよ、の思い。
 熊本歌会(仮)、久々に開催とのこと。28日。すでに入っていたお仕事の方の外出と日にち、時間とも丸かぶり。本当に久々なのに。歌会行きたい。画面越しは聞き取れなくて本当に苦手なのでリアル歌会しか行きたくないし、私が行けるところは熊(仮)しか無い。

2021/11/16(火)アボカドディップ

 新しいことをしなくては、と思いつつ、全然新しいことをしてないじゃないかと思いつつも、新しいことをしているから気づくのだと思う。入れ子状の思考。または小泉進次郎的発想。
 数日前から書き始めた、ずっと書きたかったものを集中して書いている。ずっと温めていたことなので、完成させるよりも私がいかに過程を楽しむかにかかっている。評論とかよりは疲れないのが以外。ちなみに短歌は最も疲れる。
 それ以外の時はまた馬鹿みたいに読んでしまって反省。

 家にいる日はいつもテレビはつけっぱなし、つけっぱなしが普通で午後はBSの映画が流れている。ふと見ると『エクソシスト』ではないですか。


ああ、アボカドディップのシーン見ちゃった。学生の頃、アメリカ人の友人はアボカドディップをリーガンのゲロと言ってて(と言いつつタコスになすりつけて美味しそうに食べていた)、それ以来私はこのシーンはアボカドディップのシーンと思っている、というのは置いといて、これ、映画館で見ました。私の三大トラウマ映画は上から順に、『タワーリング・インフェルノ』『エクソシスト』『オーメン』で時点として『ジョーズ』とか『カプリコン1』あたりが来る。しかし自分が見たいからといって、よく幼児を連れて行ったもんだ、実母。

 息子1に今日学校でなんか面白いことなかったの?などと漠然かつ答えにくい質問をすると「掃除の時間にSとAが前奏からフルで、追っかけ掛け合いも入れて『おさるのジョージ』を歌ってて死ぬほど面白かった」とのこと。

 息子1の学校では掃除は無言ということになっているのに、その間の凶行。実に面白い。やはり全部歌える息子1に「入らなかったの?」と聞いたら話を濁し始めたのでああ、参加したな、と思う。女子たちは完全スルーだそう。アホやと思ったんだろうな。しかし聞いてみるものだ。面白い話はあった。
 晩ごはん、鶏と大根の煮物、白菜人参揚げ豆腐のみそ汁 ご飯。
 なんとなく食べて洗ってすぐ読み物に戻る。全然食事に意識が行かないの、どうしたものか。昼食べたっけ?とかいつも。年取って私がボケても誰も気づかない。それが平常運転だから。
 息子2、ついに小説を投稿サイトに上げる気になった。書き始めてもう一年ほどになるので良いことだと思う。全力でおすすめしておいた。なろうにしろカクヨムにしろ、まずは一人でユーザー登録するところから、と少し突き放す。

2021/11/17(水)色マスクの男の母として

 朝食 ちくわの煮物、ゆで卵、「ひろし」のまぜごはん、りんご(ぐんま名月)。
 息子1、信じられなく真っ赤なマスクで登校。去年のマスク不足以来不織布であれば色は問わないというルールになってから息子1はずっと、ものすごい色のマスクで登校し続け、もはや色マスクと言えば息子1と言うぐらいになっている。全学年が存在を知ってるし、先生に「どこでこんなの売ってるの?!」と驚かれているらしい。赤マスク、かなりの還暦カラー。学校から電話がかかってきたら、息子の弁護をせねばなるまいと腹をくくる。
 どうしても今日、婦人科を受診する必要があって、行く。ずっと行ってる病院なのになんだか急に人気になったらしく全く予約は取れないのでいつもフリーで行く。だいたい2時間待ちなので予約をとって一旦帰宅。洗濯や買物をしてきたところで呼び出しが来たので行く。これからはこうしようと思う。今日のは経過観察と子宮頸がん検査。結果は一週間後、電話で。
 検診とか検査が多くて嫌になる。8月に行くべき乳がん検査に行きそびれている。私は遺伝的にハイリスク体質の可能性があるので行くしか無い。好きで女に生まれたんじゃねぇぞコラ、誰が俺を女にしてくれと言った?と誰にいったらいいのかわからない呪詛を吐きたくなる。選べるなら選ばなかった。性別に違和はないが女に生まれて良かったと思ったことなんて無い。こう言うとすぐに子どもが産めたじゃな~いとかいう人いるけど、その手合いはみんな死んで欲しい。面白い息子たちと出会えたことは最良だけど、それを性別と直結して考えたくない。というか、妊娠出産も最悪だった。卵で産めたり、外界に出られる大きさになるまでカプセルで大きく出来たら良かったのに。
 いつも通りつけっぱなしのBSで『バック・トゥ・ザ・フューチャー3』がやっていた。目を向けた瞬間、若き日のマイケル・J・フォックスのお尻を見てしまう。美しかった。
 昼から短歌を作ったものの、まあまあ。まあまあでしかない。作る時間帯について考える。お仕事も書き物も元々完全夜型だったのに、子らとの暮らしとすり合わせた結果、早朝から昼間書くようになって。もうそれも長いからそれでいいんだろうけれど、夜作ったらどうなるんだろうと考えている。
 晩飯 鶏のつみれ汁、豚とピーマンをさっぱり炒めたもの、ごはん。
 9時から反田恭平さんの、ショパンコンクールの話を見る。あの選曲について話すとのことだったので、わっくわく。長年のウォッチャーの私の目には戦略的な選曲に見えていた。1次から、技術があるとこ見せるんだ、自分の持つ確固としたピアニストとしての考えと信念見せるんだ、そして王者の選曲をし、新しい演奏を見せて賞を取るんだ、と言う意志を感じ、ああ今年の大本命だ、と思ったものだった。果たしてやはりそれは本当で唸ってしまった。

2021/11/18(木)自分の感覚

 ものすごく押し詰まった気分なのだけど、道路が凍結し始める前、年内に行ける日は今日しか無くて幣立神宮へ行くことに。
 そこはものすごいパワースポットだという。心身ともにあまり調子よくない日々でありお気楽受験生を持つ身としては何にでもおすがりしたく、以前から行こう行こうと思ってきた。オットも計画に乗ってきて行くこととなった。カーナビの言うことにはうちから51km。県央ながらかつての私のテリトリーなのですいすいと行く。あっという間に着く。階段を登って、まずは手水を済ませて参拝。
 不思議なところだった。私にはあまりよくわからない。なぜ紋から見ると阿蘇系の神社なのにそれは名乗らず別の縁起を据えているのだろう。社殿も私には神社というより、拝み屋に見えた。臣籍降下した人を宮として書いてあって、ああ、と思う。
 社殿の裏をかなり降りたところにある社は悪くない感じがした。水を一口いただくと超軟水で良い。行き道を同じ距離を登って戻って、社横の建物で学業のお守りをいただいて帰る。
 もしかして、こういうところに来てころっとパワーとか感じる人は田舎耐性が弱い人なんじゃないのかと思った。森のにおいとか大きな木とか、あまり近くにないようなところで憧れつつ暮らしている人にはパワー溢れて感じるかもしれない。
 私には田舎の普通の神社だった。お店でもどこでも人相手のところで人を選んで対応するところはまずあやしいところと思ってきたし、これまでそれに間違いはなかった。私は私の感じたものを信じる。

 それにしても疲れた。疲れたということは何らかのものがあったということだから、やはり何かはあるのだと思う。しかし正直な感想を言うと週に2度は行ってしまう氏神さんの方が断然好き。

2021/11/19(金) 燃え盛るケツ

 相当に、ケツに火がついている。自分でつけてしまった。そんな大きさの火はいらないのにも関わらずぼうぼうと燃えている。などと書くと壮大だが、単に明日、かばん(私の参加している短歌の会)の〆切で2首、スクエア(私の参加している俳句の会)の〆切で3句提出するだけのことである。たくさんあるところから選びたいのだ。連作もそうでない歌も、少ないところから選ぶと偏る。テーマとかにこだわりすぎるとせせこましくなるので、必要な歌数の何倍も候補は欲しいので、こんなに簡単にケツが燃え盛る。
 昼前、意を決して、昨日届いた梁101号のことをツイッターでお知らせ。
 自分の原点の歌誌で担当することは感無量。なぜ意を決するのかって、時評担当になったので。今までだって私は私だし、逃げ隠れしたことはないけれど、時評はスタンスが顕になるから。空気を読んではいけないものだから。
 しかし時評ってなんだろね。読んでてあまり身にならない時評なら、私はいらない。こねくり回したやつも。そして私は人なんて知らん・俺は俺の道人間な上に、押し付けられたと感じた瞬間から真反対に、自分が損するとわかってても真反対に行ってしまうような人間。こんな人間が提示できる現在とはなんだろうと考えつつ書いていくのが私の時評なのだろう。
 午後まで粘って、まあ歌数は揃った。大体の方向性も決まったので終了。後は推敲で落としていく。その後いただいた歌集を読む。竹中優子さんの『輪をつくる』。竹中さんのことは福岡歌会(仮)の仲間だと勝手に思っている。彼女の角川の受賞も嬉しかったし、今回の第一歌集上梓も頼もしいような気持ちになる。彼女のはじめの時期の、歌会に出された歌の雰囲気など思い出しつつ開く。あの頃はまだ色のついた空気として漂うだけだった竹中さん独自のものが形となって凝った、と思う。でも完全な固形ではなく乱反射するジュレのように感じた。言語化しきれないものがたくさん含まれていると思った。

2021/11/20(土)子、久々の帰宅

 ケツの火。早めに起きて家族が起きるまでにメールの体裁を整えて歌を送るも句稿の送信まで行きつけず。
 簡単な朝食を食べて、家にいた息子1も連れて家を出る。息子2が久しぶりに帰ってくるので迎えに行く。実に7ヶ月ぶり。本当に大変な7ヶ月だった。感染禍のせいで帰宅は無し、外出も無し。それでも学校で面会したりなどはあったけれど、生まれてからずっと親と寝ていた子にも私にもこれはしんどい生活だった。最初からそうなるとは言われていたけど、送り出す時に私はもうなんというか、島流しの家族の気分。かなり悲愴な覚悟で送り出した。帰ってこれない人を送り出すというのはこんなにもつらいものなのか、体感した。息子2はちゃんと生きているけれど存在の何分の1かは死んだのだと思った。それぐらいの喪失感があった。
 ということで、息子2にとって久しぶりの娑婆。というのも息子2本人が出た瞬間から「ああー娑婆はええなー」などと言うので。昼ごはんに回転寿司に連れて行く。息子2の居るところは食事内容がとてもいいけれど生物は出ないし、回転寿司が好きなのでとても喜ぶ。帰途、オット実家に寄り、ばーちゃん(オット母)とオット姉と接見。同居していた家族以外と屋内で会うことは禁止なので、建物の外で息子2は車に乗ったまま会わせた。
 帰宅後は大ゲーム大会。受験に向けてゲー禁中の息子1も今日は解除。二人共楽しそうで良し…と思うも気づいてしまう。ああ、あんなに家から出したくなかったのに出してさみしくてたまらなかったのに…忘れていた、この人がものすごくうるさいことを。そして、うちに帰れば7ヶ月のブランクなど関係なく、やっぱりうるさいことに気づいた。そうか、これがこの子か、と思う。超音波でも出してるんだろうか。すごい存在感。
 息子1は4時から9時まで塾。帰宅後に晩ごはん。息子2のリクエストで唐揚げとマカロニのサラダを作った。その後は力尽きるまでゲームをしたいという要望に沿い、ゲーム大会。延々とフォートナイトとスマブラ。1時半就寝。私も力尽きた。

2021/11/21(日)ケツの火Ⅱ

 翌朝も私には実はケツに火がついたまま。俳句は送り損ねている。選句は出来ていたものの、どうも息子2がいると出来ない。家にいた頃と何も変わらない。
 このために7時に起き出したものの、なんと息子2起きていた。絶対に睡眠不足。私も睡眠不足だけどケツに火がついていては寝ていられないから起きたというのに。この人は本当にここの部分が私に似ていて、眠り方面があかん。寝付きが悪くすぐ覚める。これは母方の祖母もそっちの親戚みんなそうで私もそうなので。もう少し寝てなさいと言いおいて起きる。急いでメールを作って、謝りの文を付けて送る。
 結局ものすごく遅く起きてきたので、朝ごはんを食べたら息子2が戻る時間までに昼は入らなさそうなので、朝食はカット、息子2リクエストのマクドナルドをテイクアウトし、皆で家で食べる。このあたりから息子2、完全に沈んでいる。帰りたくないと言う。だよな。かわいそうだけど帰るしか無いので、前向きに楽しめることは楽しもうと言ってもり立てるものの、まあ無理。かわいそう、本当に。
 前日、お城で仕事をしていたオットの父、じーちゃんに会えてないのでもう一度行って、接見。じーちゃんはうまい。距離感が絶妙。けして誰彼構わずフレンドリーではないけれど自然にフッと近づいて、いつものように接してくれる。午後3時が期限だったので、また息子1も含めて送り届けた。

 帰宅してなんだか力が抜けた。7ヶ月帰らせないとか、感染対策だけれど罪な取り決めだと思う。というのも、私たちは息子2の不在に慣れてしまった。慣れたくもなかったのに。結果、久しぶりに一緒に過ごして、刺激が強すぎた。受け止め方を調整できない。これはしんどくて悲しい。そして居ることに慣れるのがこわい。また居なくなるのだと思うと感情の振り幅が大きくてメンタルやられそうで。
 息子1はやはり、自分より小さい人にうまい。この上なくいい兄だった。特別優しいわけでもないのに、うまい。幼児期自分の一人称が「おにいちゃん」だっただけある。そして自分の外に出す自分をコントロール出来るようになった。ちゃんと勝手に育って素晴らしい。
 晩飯に中華風あんかけご飯。前日残りの唐揚げ。クラシック音楽館、指揮者のブロムシュテットが祖母と同い年で唸った。

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