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書きたいだけ書く日記 2022/02/26

体調悪し、子に情勢を説明するとあらわになる自分のスタンス、フランクフルトは喜び、孤独を知らん人の思う孤独、など。

2022/02/26 わっかんねえだろうなあ

 体調悪し。泥沼のような眠さとむくみとだるさと。私は完全にぐだぐだ。
 子は前夜、夜ふかしを予告していたので放っておいたというのに8時半過ぎに起きてきた。ゲームとスマホに気がはやっているのか。

 ロシア国内でのウクライナ侵攻に抗議するデモを見て、息子1が「あれに意味があるの? デモなんて無駄でしょ」と言う。非常に答えにくいものの、このウクライナ侵攻にデモしてもロシアの政府は考慮しないと思う、でも物事の風向きとスピードはほんの少しでも変えていけるし、そもそも私たち一般市民には抗議の権利があるからその意思表示としてデモは意義がある、と子に話したけれど、うーん。こう言いながら私はデモに対してそんなに良い感情は持っていない。ダブルバインドだ。でも長いものにまかれっぱなしだと、いつかキュッと簡単に絞め殺されそうだから、そうならないようにするための一つの手段なのかも、とは思っている。

 子に聞かれて説明することで、私の視点があらわになる、と常々思う。子が世の中音痴にならないように、バランスよく物を見られるように、たたき台として私が思うことを出していくしか無い、とも。

 息子1は昨日同様、遊びまくっている。テレビの使用権は明け渡した。猛烈に遊んでいる。もうずっと、高校が始まるまで昼は家でごはん。体調が悪くて泥のような体と気持ちを引きずりつつ、昼を作る。ドライカレーとフランクフルトの入った野菜スープ。焼いても煮てもフランクは喜びでしかない。ドライカレーは市販の素で。さびしい具なのでピーマンと厚切りのベーコン、玉ねぎのみじん切りも入れたら良い感じ。上に、ガパオの時の作り方の目玉焼きを乗せた。

 体調が悪いのと、ここのところ受験やらで家族優先にしていたし、家族が家にいることで書き物やいろいろが何も出来ないことにこたえている。出力しないと死んでしまう。家族にはここまで私が出力を欲していることが伝わらない。まあ仕方のないことと思うものの、尾崎放哉の「咳をしても一人」が頭に浮かぶ。こういう時、結構な割で思い出す。さしずめ私は「話しても一人」というところ。この放哉の句の解釈は「咳をしたが、私はここにたった一人だ。誰が心配してくれるでもなく孤独」なんてものがスタンダードだけれど本当にそうかね? と思う。そこに人がいないわけじゃなくね? と思う。一人は孤独ではない。咳をしても近くにいる誰に気遣われるわけでもない時、孤独は際立つ。孤独を知らん人の思う孤独がこのスタンダードな解釈なのだと思う。誰かいりゃいいってもんじゃない。わっかるかなあ、わっかんねえだろうなあ、の境地。

 とにかく何か創作していないと自分が中心から死んでいってる心地。実際に死ぬことには抵抗はない。明日あなたは死にますと言われても全く悔いはないけれど、生きながら中心から死んでいくのは話が別。この感覚もわっかんねえだろうなあ、と思う。

 夜、テレビで郷ひろみが『よろしく哀愁』を歌っていた。歌詞が出るので見つつ、昔の歌は執着が強いと改めて思う。時代かなあ。執着が正方向にのみ解釈され「愛」だと思われていた時代。
 たくさん、かつて売れた女性シンガーが出てきて歌っていたけれど、みなさんブレスが浅いことが気になった。声は出るから喉の問題とは思いにくい。ブレスはすぐに改善できると思うも、現役ならではのどうにもならない事情があるのかな。もうボイトレとかやらないのかな。八神純子さんは姿は変わっていたけれど、声変わらなすぎ。私の子供の頃と同じ印象で驚く。

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