『寝ても覚めても』のラストシーンの応答となった『ドライブ・マイ・カー』

音の浮気現場に遭遇しても、介入することなく気配を押し殺すようにそっとドアを閉める家福。その後タバコに火をつけようとするがなかなかつかない様子、そして成田空港のホテルの一室でタバコの吸い殻が溜まっている様子からは、音の不貞に動揺を隠せないでいることがありありと分かる。しかし、その成田のホテルで、音からテレビ電話がかかってくると、吸っていたタバコをすぐさま消し、何食わぬ顔で話す。動揺を表に出さない。自分がまだ日本にいる事実も隠す。
家福は、不貞の事実を知っていることを、音に匂わせようともしなかった。浮気現場から立ち去るときにドアを大げさに閉めることもできたし、フライトがキャンセルになってまだ日本にいると言うことぐらいはできたはずだ。でも、それさえも言わない。それが、配慮だと思っているのか、自らの性質的に言えないのか。何れにせよ、不貞の事実を知っていることを示す断片さえも残そうとはしなかった。

一方で、高槻が車内で「音さんは聞いて欲しかったんじゃないですか」と言っていたように、音は何らかのシグナルを送っていたのかもしれない。それは、音がセックス後に語るやつめうなぎの物語に象徴的に表れているように思えた。音が語る少女は、山賀の家に忍び込み、その痕跡として鉛筆を盗んだり、それがエスカレートしナプキンを置いていく。そして、その山賀の家で、別の空き巣の死体という置き土産をも残す。にも関わらず山賀は翌日以降もいつもと変わらぬ顔で学校に姿を現し、部活をした。少女が唯一その世界で起こせた変化は、山賀の家に設置された防犯カメラだけだった。その防犯カメラの前で、音声がなくても分かるように「わ・た・し・が・こ・ろ・し・た」とアピールする。

音が語るこの一連の夢物語は、家福という存在を希釈分散したように思えた。「(不貞について)音さんは聞いて欲しかったんじゃないですか」。その通り、少女(音)は、「聞いて欲しくて」、山賀の家に自分がそこにいたという痕跡を残していく。しかし、山賀はそれに気づかない(ふりをする)。死体という特大の痕跡を残してもなお、山賀はいつもと変わらない。これは明らかに、家福と重なる。あれだけ浮気され(相手は高槻だけではない)、さらにはその浮気相手(高槻)を音本人から紹介されておきながら、家福は気づかないふりをする。そして、左目を突き刺された空き巣と、左目が緑内障になった家福もどことなく重なる。視界が狭まり、どんどん現実が見えなくなってくる。家福は、最初は意図して不貞から目を逸らしていたが、年月とともにいよいよそれが本当に見えなくなってくる。家福の見る世界を奪ったのは、私であるとでもいいたげなエピソードに感じた。

痕跡を残さない家福と、痕跡を残す音。その家福が、『寝ても覚めても』の亮平に見えたのは自分だけだったろうか。分かりやすい共通点として、どちらも浮気をされているが、それよりも個人的に両者の共通性を意識したのは、朝子が意を決して元彼=麦について話そうとしたときの、亮平の反応だ。亮平は、麦と自分が似ていることを人から指摘されており、麦と朝子との過去の関係にもすでに勘づいていた。でも、それをずっと言ってこなかった。家福も、亮平も、言わない男だ。見てむぬふりをすることで、パートナーとの関係性をつなぎとめてきた。ぶつかることを避けた。

でも結果的に、最後は家福も亮平も見て見ぬ振りをしてきた自らのパートナーに、向き合うことができるようになった。それは、『寝ても覚めても』では明示的ではないかもしれない。でも、『ドライブ・マイ・カー』を見て、亮平と朝子は、この先も二人で生きていくだろうと確信を得た。『寝ても覚めても』はバッドエンドとして捉えられがちだが、すごく前向きな映画である。「もう一生お前のこと信じへんで」にはこの期に及んでも朝子との「一生」を想定し得ているのだと思ったし、「お前も相当頭おかしいで」などの怒鳴りは、怒りが出発点であるにせよ、今まで朝子に対しても他人行儀に見えた亮平が、初めてむき出しの感情を投げつけた瞬間であった(家福も、音を怒鳴りつけたいと言っていたっけ)。目の前の川を見て、「きったない川やなあ」と言うも、朝子の綺麗な部分しか見てこなかった段階から、彼女の黒い部分までをも受け入れるようになった現れであった。

#ドライブマイカー #ドライブ・マイ・カー

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