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鎌倉エフエム・番組を終えての雑感!

(2020年7月18日 19:10)の記事です。
鎌倉エフエムの番組を始めたのは16年前。2004年7月からです。1週目と3週目は「紫陽花のうた」私と空さんがパーソナリティーを担当した。2週目と4週目は「ボッサドマール」パーソナリティーはボサノバ歌手のカレンさん。全て収録でした。音源はCDRで納品、そのスタイルは最後まで変わりませんでした。放送時間は毎週金曜日の夜の9時から58分間、再放送は日曜日のお昼で音楽番組で構成しました。
「紫陽花のうた」は浜田省吾の同名の曲が鎌倉を舞台に作詞されていることを受けて、さらに、浜田省吾の関連する曲だけを掛けるというこだわりの強い番組でした。カレンさんの番組はご自身の曲を中心にbossa novaの楽曲を掛ける番組でした。カレンさんの番組は残念ながら、お仕事の関係で1年で終了しました。ちょうどその番組が終わる数ヶ月前に「紫陽花のうた」にゲスト出演していただいたのが、カメラマンの内藤さんと板倉雅一さん。
板倉さんにはカレンさんの番組のおわった後のパーソナリティーをやりませんか?とお誘いしました。そして、板倉さんの番組「サウンドグローブ」は2005年7月8日にスタートしました。この6月でサウンドグローブは15年の長きに渡って放送するというロングランに成りました。その間に、板倉さんの、ラレサとのユニットMargeのクリスマスライブが鎌倉パークホテルで、2年続けたかな?そして、MargeのCD制作賛同プロジェクトの発足と運営!その中での伊豆高原スタジオでの制作中のCD録音現場にファンの人を集めてのスタジオ見学会、ミュージシャンはスタジオに泊まり込みでした。
MargeのクリスマスライブやCDには古村敏比古さんも参加。「紫陽花のうた」の番組にも古村さんは何度か出ていただいた。そうそうキーボードの福田裕彦さんにもゲスト出演していただきましたね。福ちゃんカレー大好きで七里ヶ浜のサンゴ礁のテラスでパーソナリティーの空さんと3人で食べました。
「紫陽花のうた」の番組は2010年の6月18日で終了し、6年の歳月に幕を閉じました。その間に帯広のFM局FMウイングさんの浜田省吾の番組「午後8時のワイルドボーイ」との交流があって、パーソナリティーの空さんと二人でゲスト出演もありました。
「紫陽花のうた」のバトンは古村敏比古さんにパーソナリティーを引き受けていただきまして、「カマクラスチャラカミュージック」がスタートしました。番組を進めていくと、年に4回、金曜日の第5週が発生します。最初は板倉さんと古村さんが交代でと決めてましたが、浜田省吾さんのツアーが始まると、どうしても板倉さんにお願いすることが多くなり、私の提案で、5週目は合同スペシャルとしてお二人でやることになりました。
そして、どうせやるなら、お二人で生演奏をする事に、なって、これがズカルフのスタートです。初回放送は2011年12月30日!ズカルフのDUO名前も無かった最初の曲は「鎌倉HEAVEN」。
こうして、年に何曲かずつが溜まり、3年目になると12曲、アルバムもできて、グループ名は二人の名前を逆さに読んだ、ズカサマラクタイ!?&コシヒトラムールフ!?でしたが、ファンの方から、めんどい!「ズカルフ』!
急遽これで決定!
その頃、鎌倉エフエムは2012年8月からインターネットサイマルラジオとして、インターネットで配信され世界中で聴けるようになりました。
市民ラジオは一躍全国版となり全国のファンの人からもリクエストが増えました。サウンドグローブ&カマクラスチャラカミユージック秋の合同スペシャル!春の合同スペシャル!年末の合同スペシャル!夏の合同スペシャル!
ズカルフのアルバムは[鎌倉HEVEN] [鎌倉日和] [鎌倉小町] 三枚目を発売しました。kamakuraFMの番組から生まれたDUO/アルバムです。
そして、私も70歳を過ぎて16年間続けた番組のディレクターを降りる事にしました。
長い間パーソナリティーを引き受けて頂いた板倉雅一さん古村敏比古さん!ありがとうございました。
長年、お聴きいただいたファンの皆様ありがとうございました。
皆様の数々の応援を賜り感謝します。

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(2020年7月18日 19:10)の記事

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