15歳で死んで55歳で死にたい。

私の人生は、15歳から余生だと思って生きている。

15歳の誕生日に死のうと思っていた。
厨二病という言葉もなかったあの頃。
14歳の時、学校の作文で自殺のことを書いたら呼び出された。
きっとその頃に死にたい気持ちは簡単に口にしてはいけないのだなと悟ったが、死にたい気持ちは消えなかった。
でも死ねなかったのだ。
もちろん、そんな勇気はなかった。

そして私の中で出た結論は、
実在はしているけれど心の中では一度15歳で死んだことということにしようとした。
そうすれば、「一回は死んだんだし」という理由で生きれると思った。
都合の良い考え方だが、我ながら生きる術だったのかなと今となっては思うし、いまだにそう思って生きている節はある。

人の幸せの限度は決まっていると思っていたし、私の幸せは周りのみんなよりずっとずっと足りないと思っていた。
自分で手に入れられる幸せなんて知らなかったな。どうあがいても手に入らないことを他人のせいにしていた。

自分で幸せを見つけられないやつに
幸せになる権利なんてないだろう。
誰に与えられた幸せだって素直に受け取れない。
幸せだなと思ってしまった瞬間にそれが消えることを考えてしまう。
小さい頃からそんな考え方でよく生きてこれたなーと思う。
15歳で一回死んで正解だった。
人生を諦めた時に気付いたことが多すぎた。

今でも幸せが怖いし未来は考えたくない。
自分で死ぬ勇気は相変わらずないが、生きたい希望も相変わらずない。
でも余生だからと思うと生きていける。
余生だからと思うと幸せを幸せと感じられる。

自分で幸せだと思える瞬間を掴み取れるようになってきたし、そのために好きなことを強く濃く重ねてきた。
でもそれは生きたいと思ったからそうしているのではなく
もう一回死ななくていいように自分を必死に守っているからなのだろう。

本当に死ぬ時に思うのだろうか、
きっとまた生きるのだろうから一回死んだことにしておこうと。
来世は人間じゃないものに生まれたいんだけど、それでもいいかな。

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