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雑感のkpop

本記事は昨年末に書き殴ったkpopに関する雑感(未完、のでほぼBTSの話しかしてない)を下書きから供養する目的でこのタイミングで公開されています。時制の不一致についてはご容赦ください。

皆さん今年はTWICEいっぱいききましたか?自分はいっぱい聴きました、ということで今年のkポップを振り返るノートです。友人の中に6人ぐらいいるであろうKpop好きの皆さんと自分の文章を読むのが好きという物好きの3人ぐらいの合わせて9人ぐらい(TWICEと同じ人数(言いたいだけ))に向けて今日は文章書いています。

思えばもう1年少し前でしょうか、ブラックピンクのネトフリ製ドキュメンタリーをうっかり観てしまったばかりに、吸い込まれた広くて狭いKPOPの世界、1年以上経ったので先日漸く正式に沼入り宣言発令されています。

今年はやはりなんと言ってもBTSの活躍が目覚ましいです。10週連続ビルボード1位がファンダムパワーだと揶揄されながらも、ストリーミング再生回数でも世界3位に入る彼らの人気には疑いの余地はもうなく、”コロナ明け元年“の2022年は確実に出るであろうフルアルバムを引っ提げワールドツアーを行うでしょう。4日間で28万人を動員中のLAのPermission to Danceコンサートは彼らが更なる高みへ上り詰めていく、新しい時代のまだまだ序章と言った趣すらあります。きっとここから数年活動さえできれば彼らはグラミー賞の常連になれるでしょうし、それを受け入れる欧米側の批評的な素地もかなり出来上がってきていると感じます。アーミーの地道な広報活動によって「熱狂的なティーンのファンによって支えられるアジア発のボーイバンド」と言った彼らの特異性を煽るようなステロタイプ的書き立てられ方はトーンダウンしてきており、ファンダムと一緒に広げてきたBTSの世界という活動へ軸を移す英語圏の記事を今年は幾度となく目にしました、ライター自身が熱狂的なアーミーであり、いわば共犯関係を結ぶような形で渡される提灯記事の趣をまとっていないと言えば嘘になりますが、欧米圏のメガスターが当然のように享受してきた批評的バックボーンを彼らが得るべくして得ているだけであるという擁護を申し立てることは可能でしょう。2020年から続いている急速なファンダムの拡大が頭打ちになったとしても、長く活動を続けていくことができるだけのコネクションとサポート集めこそ、彼らの2021年の北米活動の肝要であるというふうに映りました。そうした見方を踏まえれば21年の彼らの目覚ましい活躍はまだまだ下地作りの段階に他ならず、来年以降の更なる発展を見通したものであるというだけでなんだかワクワクしてきますね‼️

ファンと一体のナラティブ作りという点において、彼らは真に21世紀的なスターであり得ているわけなのです。

↑書きたい文章を導くための動線を放棄した結果、脈絡なく行われる言い切りの形

そうしたナラティブ作りとアーティスト的表現のオーセンティシティという二軸を獲得すべく、視聴者とアーティストのニーズが合致する形でオーディション番組という形態が人気を獲得しています。過飽和がかなり近いところまできているというのがオーディション番組にあまり関心のない自分の見立てですが、知らずして過飽和を申し立てようとするその傲慢な態度こそが自分が犯してきた幾つもの過ちの源泉であることを踏まえれば、この見立ては然程信用に足るものではないと言えるでしょう。

そうした推しの権威や功績にによる承認を求め、それらを手にカードバトルを繰り広げ、日夜Twitterで激戦を交わえるファンウォーについての立場も少しずつ変わってきました。プロレス的お約束の演出と見ることが出来るかもしれません。テイストフルライバリーとこれを一旦名づけることにいたしましょう。スタンカルチャーの毒々しいありようについては指摘するまでもなく、ここでは一旦棚に上げておくことにします。こうしたスタンによるライバル関係の構築は、一見矛盾するようですが、互いを高め合うものとして機能し得るというのが自分の仮説です。皆さんはチャートデータのツイートにぶら下がる「ended 〜(任意のアーティスト)」というようなリプライを見たことがあるでしょうか?アレです。ヘイトツイートの体裁を取った同格の承認行為、記号化された一種の賞賛であると私は見ています。


幻の参考記事


BTSの軌跡、戦乱のkpopでナラティブこそが真の通貨たりえる訳

「踊って歌える」はネオリベ的な成長絶対至上主義に囚われている?

トゥワイスの強かなアメリカ進出〜射程におさめるクィアカルチャー〜

ファンウォー、スタンカルチャーの功罪とその裏に隠されたプロレス的カードバトル

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