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農家と農業の差異

見渡す限りの青空
近頃は等圧線の間隔も広く、安定した日和が続いている。

そんな仕事日和の中だが、これを書かなければ落ち着かないなと思ったので書く。
今日、祖父母とぶつかった。
内容は
昨日の時点で、今日の仕事を決めていたにも関わらず、8時に仕事に出ていくと、あたかも何事も無かったかのようにそれぞれが、草刈りや枝集めなどをしていたのである。
私は最初「何してるのーっ?」
と尋ねる程度の聞き方だったが、
大体、お前がする事をやればいいじゃないや
と言われて開いた口が塞がらなかった。

私は思う。
農業とは、農作物を通して経営を行う事業者だと。
今までの歴史やライフスタイルもあるのは重々承知している。
しかし、ここで家計を担い、生活をしていく覚悟があるのならば、生産性や効率性、サスティナビリティやさらに言えばCSR(社会的責任)にも目を向けなければならない。
その中で、それぞれが担う役割を全うし、それぞれが'生きる'事で生まれる生きがいや達成感たるや素晴らしい物がある。
組織とは、誰かが一人になってはいけない。
一つになれば、補い合うことが出来る。

対して、農家は生活的要素が混合しても干渉する必要はない。
そこに生産性や家計を担うなどと言った重要性がないからである。
極端かもしれないが、あくまで生きがい、やりたい事が重視され、経営学的根拠が無くても議論をする必要は無いのである。

じぃは言った。
なんかお前は家だけではなく畑に来てまで議論ばかりしてつまらん。と
ばぁは言った。
あんたも分からず屋ね。良かれと思ってしとるとこをなんでそんなに言うかね。

いずれも、農家である以上は干渉すべき所ではない。
しかし、私は忘れていない。
進路を決める時、祖父母が
もう自分たちもだいぶ持たんごた。
するなら早よしてせな、山の廃るる。

それでいて、この山から生産される柑橘で生計をたてている以上、経営的視点をないがしろにすることはできない。

だから、言わなければならない。
言い続ける。
私の正論を振りかざすつもりなどない。
根拠を基に、3人で議論してはじめて、組織である。農業である。
それぞれのやりたい事、やるべきと思うことは家で翌日の仕事を話す時に議論すべきである。

よって、我が家はまだまだ、農家から脱皮しきれずにいる。

殴り書きになってしまった。

今日は帰ると言って祖父母は山から降りて行きました。
が、今日山から降りて距離を置くだけでは何も変わらない。
仕事としての価値観を共有できない限り永遠にこの蟠りは解けない。
気持ちが切り替わったので、仕事してきます

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