ノーサイド

私は現在、有機農法(慣行栽培の50%以下)で柑橘を生産している農家の跡取りとして、一代飛びの孫就農した2年目のぺーぺーである

文章など読めたものでは無いと思うが、日記がてら、綴ることを始めてみた。
先日、東京の大学に通う友人と三角のカフェに行く機会があった。
2時間弱ではあったが、自分の話、私の知らない世界の話や、互いの気持ちを話すたびにあっという間に時は過ぎてしまった。
時の経過を感じたのは、はじめ熱くて口をつけるのを躊躇っていたコーヒーが、いつのまにかアイスコーヒーのようになっていたことくらいか。
というような事があったわけだが、その日1番私が感銘を受けたのは、自分を伝える、発信していく事の大切さであった。
それで、これを書こう、と思った

私は卒業後直ぐに就農した。
故によく、「社会を知らないだろう」
と、よく言われる。

わたしは、知らない。

私の知らない世界の事は、いくら背伸びをして覗いてみたって、体験として私の中に存在するものはなく、知る由もない。

そもそも、よく聞く社会という定義が、一般的な会社もしくは組織に勤め、誰もが通るであろう困難や壁、軋轢を経験することであるとすれば、それを経験した事は、未だない。
部活の怒られるとかのそれとはまた違うだろうから。
その時点で私は、同年代の中で既にスタートラインから何歩も後ろからスタートラインを切った出遅れスターティンピーポーであるといえる。

ただの負け犬のような発言になってしまったが、これは、紛れもない事実であり、家族経営を中心とした農業への社会からの目線と実態であると考える。

先述しておくが、一歩踏み出してみると、規模が大きく、壮大なビジョンを持った農業法人さんや、溢れるエネルギーと問題意識を強くもち、地域の担い手となられている農家さんが沢山おられる事を大学、卒業後の研修や機会から知った。

スタートが遅れてしまっているのは仕方がない。
そんななかった、私が今しなければいけないと思っているのは、
閉じこもってはいけない、ということです

ただでさえ、先述したような農業のイメージがある中で、家という殻の中に閉じこもっていては、いつまでたっても、"社会"というものを知らないまま人生を終えることになるだろう。そうなれば、「社会を知らないだろう。」
と、言われても言われがつしかなかと、思うのです。

と、思って過ごしていたら沢山の出会いや機会に恵まれ、沢山の知識や体験を得る事が出来ています。
日々、感謝の気持ちでいっぱいです 

そのような経験の中から、まだ短い人生の中ではあるが、私のポリシーとして
ノーサイド
を心がけるようにしている。

例えばよく生産現場では、慣行農家は有機農法をよしとせず、有機農家は慣行農法をよしとしない場合が多い。
それは、各々の価値観からそのような発言になる事が多い。
十人十色、それぞれの意見があって然るべきだとおもう。
しかし一つ、大切なことを軸に考えるとどうだろうか。
生産性。環境保全。収益性。
それぞれに焦点を当てて考えるとそれらはどちらが優位なのかをはっきりさせてくれる。

しかしわたしはそこでも腑に落ちなかった。
農業を一つの産業として考えた場合、そもそも、慣行農法、有機農法とは、それぞれ理にかなっていて、持ち味を最大限引き出し、それを望む消費者に高い製品率で届ける事ができているのだろうか。

互いにメリット、デメリットがあり、それは先に話した、慣行農家と有機農家がそれぞれをよしとせんところの意見の内容になってくる。(自然農法はまじで自然に播種してそのまんま自然と共生する的な感じで人が限りなく介入しないので対象としない)

農学は、意外と間違いが多い。
この時期にこの作業をして、〜を撒いて、この作業をすると良いでしょう。
というものは大概失敗してしまう。(所謂机上の空論)
よって、今日までの経験や実績を重視した施肥防除体系が現在あるのだとおもう。
当然である。

しかし、それこそが疑問なのだ。
特に、果樹をしている私にとっては。

慣行、有機問わず、現行の"マニュアル"は疑問を抱く内容が多少ある。
正解はない。しかし、人間からの立場で言えば、高い収量、収益があり、効率的であれば限りなく正解であると言える。  
私は、両者を比較して見て、どちらが正しい。という確信的な答えは出せなかった。

だから、植物生理から勉強しようと、思った。
植物生理は、全ての植物の持つ普遍的な機能である一次代謝や、主に種として特徴的な機能である二次代謝など、育て方ではなく、植物そのもの仕組みだ
その仕組みを知る事から始める事が、私にとってのノーサイドであると、考えた

その中で道法さんに出会った。
まず植物ホルモンというものを知り、1年間の木の生育と樹体内の栄養の移動や役割を勉強している。
まだまだとやかく言えるほどの知識も技術もないが、一つ一つの内容については、気が向いた時にまた書いてみる。

意見の対立はわるいことではない。
寧ろイノベーションにおいて様々な考えが交わるほど、質の高い物になる。
大切なのはノーサイド、一つの目標に向かい最終的には様々な考え方の人が相互理解し、取り組むこと。
そんな事を思ったのでした。

まとまりのない文でしたが、私はこんな感じです。ここまで長い文章を読んで下さった方、
ありがとうございました。

宜しくば、間違えているところなど指摘して頂ければ、幸いです





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