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妖精がいてくれなくても


1人泣きながら帰る夜は、正直まだある。


遠くの月と小さく光る星を眺めながら、白い息を吐き出す。


自分の脆さとか、背負うものが増えてきたことへの怖さとか、不安とか、情けなさとか。





小さい頃から妄想癖のあった私のそばには、時々妖精がいてくれた。
私にだけ見える、小さな友達だった。


改めて言葉にするとかなり恥ずかしいけど、
とはいえ誰もが想像したことなんじゃないかな。
あの頃は、弱くて小さい女の子と妖精の物語が、学校でも流行ってたし。


友達と別れたあとの帰り道とか、お風呂に入ってる時間とかに、その妖精は現れた。
家も学校もそんなに好きじゃなかったから、空想の世界にこもることで自分を癒してた気がする。
(正直この妄想癖は今もあるけど…)


辛いこととかしんどいこととかがあると、その小さな友達に全部話してた。
何か返ってくることはたぶんなかったと思うんだけど、頭の中で言葉にして誰かに吐き出すことですごく楽になってたし、
たとえ空想だろうと、気の置けない何でも話せる友達がいることはすごく支えだった。
「半自分」で「半他人」の存在が、あの頃は必要だったんだろうと思う。




今日ふとそのことを思い出した。
あの頃から別に本当に妖精を信じてたわけじゃないんだけど (いや、半分くらい信じてた)、
今日の私は、「もしほんとにいるとしたら、私じゃないところに行ってあげてほしいな」って思った。


そりゃそうだ、22歳にもなって妖精に頼ってるような大人、ちょっと嫌だ。



でもさ、私まだ自分のこと「大人」だと思えてないし、小学生のあの頃の「私」から地続きの自分なんだもん。
その私がさ、「他の人のところに行ってあげて。私はもう自分で立てるし、なんなら他の人の荷物も背負いたいんだ」って思えるようになっただけで、私にとっては大きな成長で。




これまでは、大人と子どもの間にしばらくいた気がする。でも、そろそろ本当に「大人」になろうとしてる。

「大人になる」ってどういうこと? っていう問いをずっと考えてきた。
今の私にとっての答えは、「持てる荷物が増えるようになること」。


自分で自分の荷物を持つことさえままならない私が、踏ん張って、少しだけだけど誰かの荷物を持とうとしてる。
それで上手く立てなかったり崩れちゃったりして、また落ち込む。というか自分の荷物でさえいっぱいいっぱいで持ちきれない時もある。
情けなくなる。

最近はそういう感じの繰り返し。
 



そうやって少しずつ「大人」になっていくんやで、ともう一人の自分が呟いてます。
なんて無責任な。

でも、こういうとき小さな妖精がアドバイスくれたらいいのに、なんてこと思うことは、もうありません。
私に妖精はもう必要ないようです。
その事実だけで、ちょっと生きていけるかも。



今日のnoteは恥ずかしいので、このへんで終わりにして、ひっそりこっそりと植木の陰にでも置いておきたいと思います。

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