見出し画像

ロロ『BGM』

ロロさんは一年ほど前、「ロマンティックコメディ」を観た
思えば、自分が演劇を観始めたのはここからで、ロロさんが面白かったから、続いて演劇をホイホイ観られるようになった。みたいな部分もある。

そんな期待もあって、ワクワクしながらKAATに向かう

結果
先に言いますと、
「あぁ〜好きいい、、! ありがとう、、! 」
という心境でして。

会場前、グッズ販売ブースに、演劇の関連書が置いてあった。
LGBTQ+に関する書物が並ぶ。
あぁ、これはそこに関しても触れているのかぁ、と知る。

こう、なんと言ったらいいのか、よくわからないけど、LGBTQ+の話が交わると、妙にフィクション味が増してしまうんだよなあ、と映画や演劇、本を読んでちょこちょこ感じている。
丁重に扱わないと、慎重に見つめないと、と思えば思うほど、おとぎの国のプリンセスを扱っているような気分になる。
また、その言葉を使うことで、知らぬ間に、そこに境界線がビーッと引かれてしまう気がする。
なんだかそれが、たまらなく寂しいのである。

が、『BGM』にはそんな境界線がどこにも引かれてない。
未来と現在と過去を行き来する中で、時間軸中の境界がない
プラスで、その時間ごとの社会の境界もなくて、それについて触れていても、夢のような世界に飛んでいっても、どこまでも日常の香りがして、すごーく心があたたかい。


泡之介とBBQのかけ合いが本当に好きだったなあ。

2人の、友人でありつつも、ちゃんと恋人であるっていう認識の中での会話と仕草がたまらなく素敵だった。

冒頭あたり
希海が「女優と大女優全然違う。好きと大好きって全然意味合い違うでしょ。」
って言っていたときに、泡之介がなるほどな、となっていた場面、
最初 ん? となっていたのだけど、全部観終わったあとだと、そのリアクションになる理由がちょっとわかった。

好きになった瞬間を言い合う場面
「ちゃんと好き」になった時のことを思い出して、相手に伝えるなんて、なんてキュンキュンする話でしょう!!!
いいなあ、、、、☺︎


永井と金魚すくい

お互いを師匠と呼んで会話が起こると、どっちがどっちに話してるんだ??
とたまーに混乱するけど、その夢のようなフワフワした空間と現実世界がするーっと溶け込んでいく感じがすごく面白かった!

個人的に二人の場面で印象に残っていたのが、二人が「永井のへそのを」を握っているシーン。

「生まれるまえと、死んだあと!」
と金魚すくいが言いながら、自分のへそに「へそのを」を繋げる遊びをみて

「まえ」と「あと」
「始まり」と「終わり」なのですが、終わることで始まる「まえ」ができて、始まったから終わった「あと」があって。、、? 
(途中から何書いているのかちょっとわからなくなっています。)
なんにせよ、あぁ〜生命が繋がっているな、、と。

それから、泡之介とBBQが駆けつけて
現在、過去、そのまた過去 と、「へそのを」を通して時間が進行していく。

え、演出うまぁ〜、、!
すげええ〜、、、


かずのこ大合唱

自分も、永井のこの「かずのこの歌」
すごおおーく好きだなって思いました。
ティッシュの歌はちょっとわからなかったのですが。

アナタとかずのこを数える
って、なんて無意味で、なんて幸せだろうと。

覗き込んでもなんにもない。
っていう時間を共有してる。アナタと。

すきだ!!

すごく好きだ!!!

みんなが大合唱で歌う中、「アナタ」で浮かぶ顔がみんな違っているんだろうなあ、思い浮かぶってだけでも凄く幸せだろうな、と、

エモーショナルな照明を浴びると反射的に涙が出そうになる癖があるのですが、かずのこからの大合唱のあたたかさも相まって、心臓がぐっと持ち上がって、背中がブワァ〜と泡立っていく。
つぶつぶがプチプチと弾けていく〜

ここの照明演出で気になっていたこと
MC聞こえるの体に光のつぶつぶが集まって、フワッと消えてしまう場面。
たまたま集まっているようにみえるだけか??
いや、演出か??

なんだかあの場面は『火垂るの墓』を観ている気分になったのだ。

あら、今久々にせつ子の姿をみると、なんだか異様に大きく感じたMC聞こえるのハンチング帽と、せつ子が被った大きなお釜が似ているように見えてきた、

いや考えすぎか。


けれども、10年経っても容姿がひとつも変わらないMC聞こえるが出てきて、

あっ、、、

となってしまった。

夏休みだからね、18きっぷでいろんなところに行ってるんだ〜と、
聞こえるちゃん、お盆で帰ってきてたのかな。

「いつかは、急がなければいけない日がくる。」のキャッチコピー
「死んだあとに急ぐのは大変そうだから、明日から急ぐことにします!」
って言ってたから、きっと聞こえるちゃんはその人生の中を十分に生きてくれたであろう、と信じている、、。

繭子と聞こえる、泡之介とBBQ、そして午前二時(とお腹の中の赤ちゃん)
全てのボーダーが消え去った世界での会話なんだと思っている。


愛は祈らないばたけ

繭子のそのスタイルが、本当にかっこいい。憧れる。
受け取ろうと待ち望むのではなくて、与えるっていうのがベースである、優しい人なのだと思う。(京都まで男を追いかけていますが)

じゃなきゃ、海まで案内した後に、そのまま着いてきてくれたり、聞こえると優しい会話を繰り広げることもないだろう。

「覚えてないけど、やさしい視線だった」という、泡之介の記憶から蘇る繭子。

自分もそんな人になりたいなあ、と思うばかり。


泡之介とBBQが午前二時の結婚式に車を飛ばす場面

美術の裏で、思い出の人たちが時を遡るように後ろ向きで歩く中で、永井だけが進行方向を向いて堂々と逆走していくのが印象的だった。

どうして永井だけが逆行するのだろうか
いろんな場所で、過去は振り返らないで、とか、過去ばかり追っている人は、、とか、なんとか。

人間は、過去に思いを巡らすこと、過去を追いかけ続けることをあまりいいものとしていない。自分もそう思っている節があった。

だが、永井の様子をみると、過去を見つめていても、自分の行動が過去とほぼ変わっていなくても、充実していそうではないか。
「何もしていない。ただただ切ないんだ。つまり切なってるんだ」
って言いつつも、その時間をゆったりと使って、自分の人生をマイペースで生きていく永井がなんとなく羨ましかった。

永井は確実に、急がなければいけない日が来ていない人間。
べつに急がなくてもいいのかもね、って改めて思う場面であった。

あと、個人的に
ここの泡之介とBBQがいちばん幸せそうだった、、。
いままで人(といろんなもの)が乗車していたので、そこまで露骨に出さなかったふたりが、やっと安心して、ピトッとくっつく時間ができて

うわああーー!幸せ!!!
ありがとう!大好き!

でした。 大好きです。


結婚式に間に合わなかった、なんてオチあるんだあ、と思いながらも
3人がまた再会することができたのを見届けられて、本当に嬉しかった。

そして、なによりもその2日間(?)を
忘れられながらも、ポジティヴにとらえて進んでいく希海

なんていい人なんだ!
魔女の宅急便のおそのさんみたいな人だな、と思っていた。

メインキャラみたいに誰にでも覚えてもらえる存在ではないのだけど、誰よりもあったかくて、全部受け入れて、なんならみんなを乗せて進んじゃう。
太陽みたいな人だった。
「ロマンティックコメディ」のときの望月さんも、周りを明るく笑顔にする太陽みたいな人だった気がする。

人柄が役に滲み出ているんだろうなあ、と思う。


ちゃんと幸せだー!!
ああいい日だった! 観てよかった!って思える作品でよかったあ、、

おかわり求ム、、、。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?