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MOTHER2をクリアした(感想)

MOTHER2(Switch版)をクリアして、どこかに感想を残しておこうと思ったのでここに書く。
マックで駄弁るくらいの感覚で書くのでまとまりはない。

プレイした経緯としては、MOTHER3がSwitchに移植されたとニンダイで見て「MOTHERシリーズ、前からやりたかったけどマジでやるか〜」みたいなことをTwitterで言ったら「2からやっても大丈夫」「2を経て3をやるとより地獄になる」と言われて自ら地獄に進んだ感じ。

なのでこれが私の初MOTHERシリーズになった。
MOTHERについて持ってた知識はネスっていう主人公がいるってことと、どせいさんの存在くらいだった。


全体的な感想

1番残したい感想は終盤の展開についてのことなので後述。

とにかく全体的には会話(台詞)が面白かったなという印象だった。
街に着くと人がいっぱいいるけど、この人はなんて言うかな、この人はどんな人かな、みたいにとにかく全部の人(動物)に話しかけたくなるゲームだった。
街にいる人、それもゲーム進行のイベントに関わらない部分の会話ってクリア目的であれば正直どうでもいい部分だけど、そのどうでもいい部分が楽しかった。

元々ゲーム内のメタっぽい台詞や演出が好きなんだけど、そこにカチッとハマった感じがする。
例えば、オネットのゲーセンにいるシャーク団の1人が「チビ!なかまになりてぇのか?」と聞いてきて「はい」と答えると「マザー2をおわらせてからきな!」って言われたり。
そういえば終わらせた後ゲーセン寄らなかったな。寄ればよかった。

メタ発言じゃなくても、人間の嫌なところというか、ちょっとしたチクチク言葉とか闇を感じるようなことを喋ってる人、シンプルにしょーもないネタ言葉を喋ってる人、いろいろなパターンで楽しませてくれたのがなんかオシャレだなと思った。
でも、よく考えたらこの人はなんて言うんだろう、どんな人だろうってワクワクして話しに行くのって本来のコミュニケーションの始まりの姿な気がする。
本当は初めて話す人ってどんな人か分からないからドキドキできる存在なんだろうけどな。

メタっぽいものが好きって書いたけど、このゲームで1番感動したところもメタ的な演出だったから全体的な感想のまとめとしてはそういう台詞や演出が洒落てたっていうところに行き着く。

あとはゲームシステムについてだと、戦闘のドラムロールシステム。
あれはすごく新鮮に感じたし楽しかった。ああいうシステムのRPGもっと出ないかな。

ただ後半になってくると、敵が高威力の範囲技を撃ってきたり爆発してハチャメチャなダメージ出してきたりでまあまあ大変だった。
Switchでやってたので巻き戻し機能というインチキでゴリ押して走り抜けたからだいぶヌルゲーだったと思うけど。
そういう強い全体技がバンバン飛んでくるのもこのシステム故なのかなと思う。
でも総合的に見ると楽しかった。

今まで台詞や戦闘システムという新鮮に感じたものを書いたけど、このゲームは王道なところは真っ直ぐ王道で来るゲームだなとも思っている。

斬新なものにたくさん出会うんだけど、それでもやった後は「ああRPGやったな〜」って思う。
ネス達のレベルがどんどん上がっていく様子とか、いろんな街やダンジョンを渡り歩いたりとか、物語の展開とか、王道RPG感のある部分も多かった。

オレンジキッドとアップルキッドの資金援助も、これどっちかはハズレなんだろうなと思ったし、こういうのって冴えない雰囲気の奴の方が逆に(?)当たりっていうのが王道だと思いませんか……?
その持論でオレンジキッドには金を握らせてなかった。
2周目プレイをする時は渡してみようかな。

こういう新しさと王道のバランス感が自分にとって心地よかったから、クリアした後「ああすごいゲームだった」って思えたんだろうな。

お気に入りのところとか印象に残ったところを全部書いていたらキリがないのでここからは残しておきたいポイントだけ。

パパの電話

パパの電話が好きだ。
あの冒険の記録をするやつ。
パパの電話の台詞は全体的に好きではあるんだけど、特に好きなのは記録した後ゲームを終わる時の台詞。
「おたがいよくやったよな。」がすごく好き。

「よくやったな」じゃなくて「よくやったよな」なのが個人的にめちゃくちゃ心に残ってる。
なんでかって言うと、「よくやったな」は言ってる側がちょっっっっとだけ上の立場にいるように私は感じるんだけど、「よくやったよな」は同じ立場(地位)に立ってるような……気がする。

「よくやったな」はそれこそ親から子への言葉みたいな。あと先生から生徒とか。
それに対して「よくやったよな」はどちらかと言うと友達の間柄が近い感じがする。
つまり、どっちが上とか下とか、そういうのを感じさせない表現の印象。

あと余談だけどこっちはちょっと哀愁みたいなものも感じる。
まあもちろん実際は友達間でもよくやったなは全然言うし、親や先生が子どもに対してよくやったよなも言う時あるけど。
あくまでざっくりのイメージの話として。

パパがネスに「おたがいよくやったよな」って言葉を使うところに、親と子だけど対等な関係性っていうのが私には見えた。
パパがヒーローになっていくネスに対してリスペクトを持ってるように思えるから好きだ。
そしてこういうところが、後で書くけど隣に住んでるミンチ一家とネス一家の対比をよりエグいものにしていると思う。

ジェフの親友

あとプレイ中に好きだな〜と思ってたのがトニー。
ジェフの親友のトニー。めっちゃ好き。

正直過保護なところもあるんだけど、でも彼の根底にあるのはジェフへの愛であることは間違いないと思う。
わざわざ電話してくるんだよ?ジェフに無理させないように。
ストーンヘンジ基地でゴボゴボ言いながらもジェフの名前を呼んでたし。

で、これを書きながらちょっと調べてて分かったことだけどどうやらトニーはゲイとして描いていて、友情以上の気持ちがジェフにある……らしい。
ただ、トニー自身は恋だって自覚はなくて、友情って名前の引き出しにとりあえず入れられるから入れてる……みたいなイメージらしい。
(川上弘美さんと糸井重里さんの対談より)

こういう微妙な細かい人間模様がちゃんと出るっていうのがすごいゲームだなあと思う。
この対談でも話題に出てるけど、トニーがジェフのために踏み台になってくれるところすごく好き。
トニーの、ジェフに対しての献身性がよく出ていて。
あと最後の手紙に書いてるメガネをふいてあげたいとか。

ストーンヘンジ基地のボス戦後のトニーの台詞にはいくつかパターンがあって、生存してるメンツによって変わるらしい。
私は全員生存で終えたから他の実況とかネットで調べて別パターンを見たんだけど、ジェフだけが倒れてるパターンのやつがね……ものすごく痛ましいというか……本当に怒りと悲痛な叫びって感じで胸がキュッとする。

献身性って書いたけど、それもジェフに対して特別に発揮されてるものなんだろうなと思うし、トニーを見てると純粋で可愛い「愛」を感じて何故かホロっと泣きそうになる。

なんか、「愛」って素敵とか言うと、ダサいとか安っぽいみたいな感じで馬鹿にされたり引かれたりする風潮があると思ってる。

ボカロPのピノキオピーさんが好きで、Artistspoken(ラジオみたいなやつ)とか配信でのトークをよく聞いてたんだけど、その中で「ライブ中に次のアルバムは愛をテーマにしたいって言ったら会場が冷えていくのがわかった」「あーピノキオピーもそういうこと言うようになっちゃったかみたいなのを感じた」的なことを仰ってたのを思い出す。
(聞いたのが結構前だから細かいところは違うと思うけどこういう内容だった)

これ、なんでなのかな。
まあたぶん大人になるにつれて純粋な愛に出会える確率って減っていくし、実際そういう関係って稀だし、いろんな愛(金が絡む愛とか)を見てしまうから本来の思い描くような愛は綺麗事として処理されちゃうんだろうな。

でも、純粋とは呼べない愛も愛ではあるので否定はできないんだけど、だったら夢のような、もはやファンタジーの域かもしれない純白の愛もそこまで敬遠される筋合いはないんじゃないかなと思う。
そこの温度感がズレてるから世間の人なんも信用できんと思ってた(ひねくれ者)。
けど、MOTHER2がこんなに評価されてるってことは私が思ってるより綺麗事の愛を素直に良いって感じてる人は多いのかもしれないと書きながら思った。
この物語は優しさや愛で回ったと思っているので。

というか、「愛って素敵」って青臭い感じがして、ただ恥ずかしくてみんな素直になれないだけなのかも。
心の深いところでは理解してるけど表に出せないだけなのかも。
自分だって大っぴらに言うのちょっと気恥しいしね。

ゲームからだいぶ逸れたけど、トニーがジェフへ愛をぶつける時、真っ直ぐな愛が私に伝わってきて、それが本当に綺麗で純粋すぎるから感動するのかな。

ブルーブルー

楽しかったこと面白かったこと感動したこと以外にも怖いとか不気味に感じたことも結構あった。

ハッピーハッピー村、ムーンサイド、ストーンヘンジ基地、あと最後のギーグ。
これが私のMOTHER2内恐怖四天王だった。
全部書くと本当に長くなるのでハッピーハッピー村だけ。

ハッピーハッピー村はまあ行く前からきな臭いとは思ってた。
ツーソンで聞く話だと絶対ヤバい村だなと思ってはいたけど、村に着いて急にこっちにツカツカツカ!って歩み寄ってくる女がいてその時点でビビったし怖かった。
で、話を聞くと寄付金を集めてると言う。
宗教の寄付金は絶対にヤベーと思ってるのでもちろん断った。そしたら、
付きまとってやるぞ。
すげー怖かった。口調が急に変わるのが本当に怖い。
これだけなら全然良いんだけど(良くはないけど)、本当に付きまとってきたのがガチで怖かった。初見はビビり散らかした。

しかも一連の騒動が終わった後、彼女も正気を取り戻すけど、言われたのは「いつぞやはすいませんでしたね。」だけ。
あんだけ怖い思いさせといて(しかもネスは子どもだし)しかも「すみません」じゃなくて「すいません」なのにだんだんムカついてきたのを思い出す。なんやお前。

そういうところも含めてヤベー人間、なんとなく触れてはいけない人間を描くのが上手すぎる。

あと、自分で経験したわけじゃないけど、クリア後に他の人のプレイ日記を見て怖かったものがある。
それが無人販売所。

無人販売所を見張ってる人がいるのは知ってたんだけど、私は普通にお金を払ったので払わなかった場合の台詞を見てなかった。
で、払わなかった時には「金払ってない!」と言われてその男と戦闘になるらしい。
当然そこまでいったらネスは勝つしかないので勝つ。
すると、
「バトルではおれに勝ったが、お前の良心は痛むだろうな。」
と言われる。

これめちゃくちゃ嫌な感じだなと思う。
この男自身やこの言葉を言ってくることが嫌な感じってことじゃなくて、男が言う通り確実に良心は痛むし、それが今後もジクジク痛むだろうから嫌な感じっていう。
料金を踏み倒したっていう罪悪感に苦しむよう、しっかり仕向けられてるのが怖いなあと思う。
でも不快感はなくて、どちらかというと「してやられたな……」って方向に感じる。

どせいさん

ぽえーん。

最初の方にも書いた通り、ゲームをやる前からどせいさんという存在がいるのは知ってた。
姿も知ってて確かにかわいいと感じる人は多いんだろうなとは思ってたけど、正直自分のツボには入らなくてそこまでかわいいという感情は持ってなかった。

でも、ゲームでサターンバレーに行き、実際にどせいさんと出会ったらどうだ。
めちゃくちゃ可愛いじゃん。
めちゃくちゃ可愛いじゃん……。

なんでやる前は特に何も思わなかったんだろう、と思ったけどやっぱり自分で出会ったっていうのが大きいのかな。

どせいさんがあの独特なフォントで話すっていうのもゲームをやる前から知ってた。
でも実際に自分の目で見て、どせいさん達が話している内容を一つ一つ追って、そうしていくうちに自然と印象深くなって可愛く思えるようになったんじゃないかと思ってる。
やっぱり自分で実際に触れてみるっていうのは大事なんだろうな。
理論的にどうして自分でやる前と後でこんなに変わるのか、というのはわからないし言語化できないんだけど、自分から出会いに行くことで自分の世界の中に入るのかなと思う。

ゲームとか漫画とか小説とか、主に創作物の体験での話かもしれないけど、他人の情報から知るっていうのはどうしても他人事になる。
展開やキャラを既に知っていても、実際自分の目で見て感じると、正真正銘自分の一部になる、みたいな。
当たり前のことのように思えて意外とこれができなくなってきてる気がする。最近ネットで何でも見れちゃうし。

たぶん、プレイ前後で1番印象が変わったのはどせいさん。
おかげさまで らんらんらんだ。

ミンチ一家とネスとポーキー

MOTHER2をやってて怖かったことも結構あるって書いたけど、物語に大きく関わる部分ではミンチ一家が怖かった……というか気持ち悪いなと思った。

ミンチ一家が見るからにヤバそうっていうのは最序盤からわかるし、たぶんみんな言ってると思う。

ミンチ一家が全員おかしな奴だったら個人的にははそんなに怖く感じなかったんじゃないかと思ってる。
おかしな奴らが集まって暮らしてるってそんなに変じゃない。
偏見とか個人的な経験則もあるけど、例えば同じマンションに住んでてちょっと変わってるな……って人がいるとしたら、その子どもも大概変わってるパターンはよくある気がする。

実際ポーキーはあんな感じで、暴力的で歪んだ感覚の両親の子だから愛に飢えてるし強い人や権力のある人に媚びようとする。
そう考えたら「ヤバい環境の中で育ってきた子ども」としてはポーキーは真っ当だと思う。親の影響をしっかり受けているので。

1番気持ち悪いなと思うポイントは弟のピッキーの存在。
こんなにも異質な家庭で育ったのにノックの音以外で非常識な部分がなかった、彼だけは常識人で普通だったのが異様に思えて気持ち悪い。
ピッキーが怖いんじゃなくて、歪な家庭内に1人だけまともな子がいるって状態が怖い。

そんなミンチ一家とネス一家が隣同士っていうのがまたエグい。
ヤバい家庭と幸せな家庭って対比はもちろん狙ってそう作られてるのは確実だけど、それが本当に物語が終わりに近付くごとに苦しくて。

元々は隣に住んでて、隕石騒動の時には一緒に行動までしてたのに、冒険が進めば進むほどポーキーはどんどん「敵」になっていく。

ポーキーで1番印象深いのは、ハッピーハッピー村での台詞。

村での騒動真っ只中の「お前も仲間になれよー!…ならないんだよな、きっと。」と、騒動が終わった後の「また友達になろうぜ。返事してくれよー。いいやつになるからさ。…ダメか。」のこの2つ。

ネットにある個人のプレイ日記や某大百科とかでは、ポーキーはめちゃくちゃな悪意の持ち主だ!クソガキ!極悪人!みたいなテンションで書いてあるものがたまーにある。
でも個人的にはどうしてもそこまでは思えなくて。

「また友達になろうぜ」の方はすぐ後にうそだよー!って言ってるけど、でもあの部分だけちょっと本音が出てたんじゃないかなと思う。
いいやつになるってのは嘘っぽいし、まあ全部嘘って可能性も全然あるけど。
それでも「お前も仲間になれよー!」の方は濁すような言葉も前後にないから、やっぱり「ネスと友達としてやっていきたい」がポーキーの本質な気がする。

「…ならないんだよな、きっと。」がすごく好き。寂しそうで。なんだか哀れで。
ポーキーはネスと友達でいたいとは思ってるけど、価値観とかそもそもの人格が合わないことはわかってる。
そういう意味でネスのことを理解してるんだと思う。

そして忘れられないのがマジカントにいるポーキーの言葉。
「ネス、お前はいいよな…。なんかお前のことがうらやましいよ。……。おれなんかダメさ。だけど、ネス…ま、いいよ。いつまでも仲良くやっていこうぜ、な。」
ここを見た時、ああやっぱりって思った。

ポーキーは、ピッキーよりもあの家庭環境に押し潰された子どもなのかもしれない。
心の底でネスに対しての羨望感や劣等感と戦い続けていて。
もうマジカントの時点でネスとポーキーは友達とは呼べなくなってきてるように見えるけど、「いつまでも仲良くやっていこうぜ」って今までもずっと友達だったみたいな言い方をしてるのは、ポーキーが愛に飢えていて友達の存在を強く望んでいるから……かもしれない。

マジカントはネスの心の中の世界だから、このポーキーもあくまでネスの心のポーキーだ。
ということは、ネスもポーキーの本質に気付いてるのかな。
ネスがポーキーを友達だと思ってるかどうかはわからないけど、とてつもなく切ない2人だってことは苦しいくらいわかる。

いのる

やっとMOTHER2で1番感動したことを書く。
これはどうしても最後に書きたかった。

たぶん、MOTHER2をやったほとんどの人がギーグ戦の祈りで感動、少なくとも何らかの感情は持ったんじゃないかと思う。

ギーグ戦中盤くらいからポーラの祈りで今まで出会った人達とどんどん繋がっていく様子ももちろん「うわぁ〜〜〜〜……」となって感慨深かったけど、やっぱりプレイヤーが絡んできたところがゾワっときた。

私はそれまでの冒険をどこか冷静に見てた。と思う。
ネスは自分じゃなくネスって男の子だから別人。
あーこんなことが起こったなー、へーこんな子が仲間になるんだー、プーが離脱したなー、あっ戻ってきたわ、みたいに感情移入してたというよりは自分の手元にある箱庭を使ってキャラを動かして遊んでる、みたいな。
メタ要素は好きだけど、それはそれとして自分とは完全に切り離して見ていた。

あと、3/13夜からNHKでMOTHER2の特集番組があるとプレイ中に聞いて、それが放送されるまでにクリアしておきたい、という事情も抱えながらプレイしていた。
なので、最終ダンジョンでは敵エンカウントを避けたり当たっても逃げたり、結構飛ばし気味で進めてたのもあって余計に冷静だった。

そしてギーグの元へ行って、私はポーキーに対してさっき書いたようなことを思ってるので充分ショックは受けて……。
それでも戦闘が始まれば割と理性的だったと思う。
考えながらポチポチコマンドを押して、いのるコマンドの演出に気付いて……。

そしてポーラが全ての人に祈りを届けたと思われ打ち止めになって祈りが闇に飲まれてしまった時も、いやもう1回祈ればなんとかなるだろとメタい考えがあったので脳死で次も祈った。

「ポーラたちの よびかけは ……のむねに とどいた。」
「み……は みしらぬしょうねんたちの ために いのった。」(プレイヤー名「みもり」でやってた)

なぜ急にプレイヤーの名前を聞くイベントが、しかも2回もゲーム内にあったのか、不思議だった。
ここで全てがわかって鳥肌が立った。

最初のテキストが出た瞬間に「あ、私だ」と気付いた。
画面に映った自分と向き合ったからだ。
このテキストが出る時、画面は暗転する。ゲームをやってる私が映る。
この演出がめちゃくちゃオシャレなんだ。感情的にはそんなこと思ってる場合じゃない場面なんだけど。

ああ、そうだ。自分はネス達に勝ってほしいんだ、そう祈ってるんだってこの時に気付かされた。
自分のことなのに感情や気持ちを忘れてるって変な話だけど、あれこれ考えてコマンドをポチポチしてたってことはもちろん勝つためにしてることだ。
勝つためにそうしてたってことは、勝てるように祈ってるってことだ。
それをゲーム側から教えられた感覚だった。
そしてこのゲームにとって、物語にとって、自分は蚊帳の外じゃない。他人事じゃないと。

家に帰って、エンディングを迎えて、「TO BE CONTINUED…」が表示される。
そこからゲーム画面は更新されない。
そこからSwitchのホーム画面に戻ってゲームを終わらせて電源を切るのは私だ。
冒険を終わらせる選択をするのは私だった。

MOTHER2の冒険はネス達の冒険で、そして私が体験した冒険でもあった。

まとめ

めちゃくちゃ長々書いたけど、まだまだ思ったことはたくさんある。
それぐらいいろんな考えや思いが吹き出るゲームだったなあと思う。

さっき書いたNHKの番組が始まるまでに感想を書き終えたかった。
番組を見ちゃうと純粋な自分の感想が消えちゃうかも、と思ったので。
今番組が始まる4分前なのでギリ間に合った。よかった。

次はMOTHER3の世界へ冒険に行く。
何が待っているのか本当に怖いけど、心の準備が出来たら行く。自分自身の冒険でもあるので。

PKサヨナラ!だ!また いつか あおう!

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