【】内は読まないで。

【※良い文章を書こうではなく、考えを網羅的に書き出そうというマインドフルネス的な趣旨のnoteです。散らかっています。駄文上等。そんなものはシェアせずにチラシの裏にでも書いておけばいいのにね。】

今私が仲良くさせて頂いている人間とは、当然ウマが合うと思って仲良くさせて頂いている訳である。ここでは仲良くさせて頂いている人間、特に友人と恋人を便宜上「カレー」と表記する。

【友人、恋人の総称が語彙に無かったので、一般的に好きなものとして挙げられる事が多いものにした。(友人も恋人も好きなので。)親しい人間をカレーとした時に自分はライスかナンに該当するのだろうか。ライスだってパンだって、食卓に欠かせないメインキャストの一人だ。私には荷が重い。単体でも人気者なハンバーグにでもしておくべきだった。そうすれば私は、甘ったるいニンジンや食べきるのが面倒なコーン、そもそも必要のないジャガイモ辺りが良いところだろう。添え物くらいが私には丁度良い。】

そんなカレーと、カレーとなったきっかけまで遡ると、当然「出会い」というイベントがある。「出会い」というイベントを共に過ごした人間どもを自分との相性というふるいにかけて、最後までふるいの上に居座った大粒な人間とカレーになるのである。

出会い→精査→カレーになる

という順序なので、当然出会う人間の中にはいけ好かん奴もいけ好く奴もいる。加えて、人生で出会う人間の数には限りがある。一説には、人生で接点を持つ人間の数は10000人程度だそうだ。(人種を筆頭に多くの変数がある為一概には言えない。ソースでは一般的なアメリカ人とのこと。)世界人口はおよそ77億人(2020年)なので、同じ時間を生きている人間の中でも約0.0001%の人間の中からカレーを作ることになる。もっというと、今まで生まれてきた人間、これから生まれてくる人間を勘定に入れると、出会う人間の割合は無限小になる。

【これから生まれてくる人間が無限大(人類が滅びない根拠は無いので無限大とは言い切れない)だから、これから生まれてくる人間を勘定に入れているから出会う人間の割合は無限小なのであって、今まで生まれてきた人間を勘定に含めるか否かは計算結果には影響しない。】

何をするにしても、「誰かと何かをする。」の誰かを埋めるのは大方カレーだったりする。

仕事上で行われる行為はカレー以外の人間とやる事が殆ど且つ生涯労働時間は9万時間とも言われているので、"大方カレー"というのは誇張かもしれないのですが、あんまり良い表現が思い浮かびませんでした。一般化できて綺麗にまとまってる表現の仕方があったら耳打ちで教えてください。できればブレス多めでお願いします。耳、弱いので。】

それは、カレーではない人間とカレーを比べた時に、カレーの方が一緒にいて居心地がいいからである。だが、それはあくまで出会ってきた人間の中で居心地がいいからカレーが選ばれてるに過ぎない。

私はしばしば、私が出会っていない、出会う由の無い人々に夢を見る。遠い国に住む人、今は亡き人、これから産まれてくる人。奴ら【性別を指定しない生物を指すイカした3人称ある?】の中には、今自分を取り巻くカレーたち以上に気の合う人間がいるのではないかと。同じ時間を生きる人間だけでも、一生で出会う由の無い人間の数は一生で出会う人間の77万倍いる。今まで生まれてきた人間、これから生まれてくる人間に至っては無限大倍いる。

【前述】

寧ろ、今仲良くしているカレーがベストカレーであると考える方が不自然だろう。だから何なの?教えてください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?