たしかに梅雨始まってるかも。

「そういうこと言ってるんじゃない」
母親が会話中によく私に言ってくる言葉。

夕食を一緒に食べていたら、
じめじめしない?と聞かれた。
私はそうは感じていなかったし、しない、と否定するのもと思い、
純粋に「梅雨だから?」と聞き返した。

それで先程のコメントである。

ああ、そうか、共感してほしかったのか。
でも嘘をついて話を合わせるのも抵抗があったわたしは
するかも、とだけ答えた。

それ以降の食事は無言のまま、食べ終わった。
なんとなく気まずさだけが食卓に残った。


母親との会話にいちいちこう返せばよかったかと反省会を開くなんて
大げさかもしれない。

ただ、母親に「誰かから満たしてもらう」という経験が久しくなく、
それを母も心の底で、本人も意識してないままに、
言動に表れていることを度々感じる。

そして私はそれに気づきながらも、
それを素直に受け止めることに難しさを感じている。

確かにじめじめするね、
だったそれだけでいいのだ。

そういうほんの少しずつの積み重ねが
母親の心をいやすほんの少しになっていく。

ただ、親に対して、
その人の子どもであるという立場を一度離れて
「○○をしてあげている」という視点に立つことに
居心地の悪さがあるのかもしれない。

そうならば、それは私も少しずつ慣れていくしかないのかも。

じゃあ、また雨が降ったときは、じめじめするねと返してみよう。


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