贈与論で金銭が絡む恋愛について考える

マルセル・モース 贈与論

スカンディナヴィア文明やその他多くの文明において、交換と契約は贈り物の形で行われる。
これは理屈では任意だが、実際には義務として与えられ、それに対して返礼される。


なぜ恋愛でお金をもらうことが一般的に良しとされないのか?
それは金銭を"労働による賃金"つまり対価ではなく"贈与"の形でとるからではないか。

時間の経過とともに贈与に対する返礼が伴わなくなる日がくる。
美しさは枯れていき、経験が価値と反比例する。

贈与の観点から、金銭が発生する男女交際を考えてみたい。

この場合の活動は、男性がお金を直接渡し、女性が受け取ることで関係性を深めていく。
この関係性が無償のものよりも強固となり得るのは、贈与があるからだ。
食事やお金などの可視化できる贈与を男性がすることで、女性も見えない何かで返礼を行わなければならない。

贈与論のエピグラフだけ読んでも面白い。
古代神話伝説詩エッダのハヴァマールの数節を引用している。

41 友は互いに武器と武装を贈って相手を喜ばせなければならない。
誰でも自ら自分の経験によってそれを知っている。
互いに贈り物をしあう友同士がいちばん長続きする。
ものごとがうまくいくならば。

44 もしお前が信頼する友を持ち
何かいいことをきたいしたいのなら
その友と心を通わせ
贈り物のやりとりをし
彼のところに足しげく訪れなければならない。

46 お前が信頼せず、心に疑いを抱く友についても同じだ。
彼に微笑みかけ
心にもないことを話さなければならない。
受け取った贈り物には同じ贈り物を返さなければならない。

48 気前がよく、豪胆な人は
最良の生活を楽しみ
心配に煩わされない。
しかし臆病者はなにごとにも怯え
吝嗇者はいつも贈り物に怯えている。

145 神々に多すぎる供犠を行うよりは
祈らない方がよい。
贈り物には常にお返しが期待される。
大金を遣って供え物をするよりは
供えない方がよい。

金銭が発生する恋愛について当てはめてみる。
顔をみることがはじめての彼に甘言を弄し、偽りには偽りの、多すぎる供物にはそれにみあった返礼を期待されることとなる。

贈与と返礼の繰り返しで成り立つ関係はより仲を深めやすい。

贈与とは受け取った事実に意味がある。

面白い人というのは、"面白い何か"をすでに与えているので金額に意味はない。
無限に与えられる贈与を振りまくことで価値をなす人々もいる。
しかし、人を惹きつけるほどの面白い何かを与えるよりもおそらく金銭の方が簡単であるし、面白さは転がっていないので、努力が必要である。
だから私は面白い人が好きである。

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