コロナとダスマン

経験した者としてない者の差は大きい。

コロナに罹ったのも経験だろうか。

だれも経験してないのに語られる唯一のもの、それが死である。

実際に想像を掻き立てる上でこれほどいいテーマはない。
溢れる漫画や本は、さまざまな角度で死について描かれている。
生きている以上、死という現象に惹かれるのだ。


死んだらどうなるかなんて誰にもわからないけれど、大きく考え方は3つに分類されるらしい。

無になる
魂となる
転生する

自由に選べるなら転生するのが面白い。
と誰しも思うから、転生モノの漫画が流行ってる。

実際に生き物が平等に転生したら虫や菌類になる確率はすごく高いだろうし、広い宇宙で地球にガチャされるかもわからない。

なぜ自分がここに存在して、意識を持っているのかを考えただけでも不思議。

それが虫でも動物でも菌類でもなく、私として意識があること

私を拡大したらつぶつぶの集合体だし、そのつぶつぶが連携するのも不思議

人体が大量の菌類や見えない生き物と共生している不思議


遺伝子をコピーして、その遺伝子がまたコピーされることを願うことも不思議

コピーして、コピーして、もっと先に何があるんだろう

意識がわたしを支配しているようで、実は遺伝子に支配されていていて、

脳細胞以外はどんどん入れ替わっていて

結局、本能に突き動かされて赴くままに生きて、死んでいく


...こんなことを考えるのは、暇だからである。
家にいるのが飽きてきたからだ。


安全が保証されていて、飽食で、インターネットという娯楽があって、とても幸せで、贅沢な苦痛を感じる。

限りなく続いていくような錯覚を覚える有限の時間のなかで、1日をまた浪費した。

今日のわたしはダス・マン。

ダス・マン
人間というのは個としての死が必然であるということを自覚せざるを得ない能力を持っており、主体的に生きることが運命付けられている存在であるにもかかわらず、このことを考えずに紛らわして過ごしている人間のことを言う[1]。

コロナに罹ったから自粛しなくてはならない。

生まれたものはみんな滅びゆく値打ちしかない。と手元の開いたページに居るメフィストフェレスが言っているけれど、ダス・マンといっしょにドデカニトロヘキサプリズマンで吹き飛ばしたい。

マルティン・ハイデッカーは、死を意識すると生き方が変わるという。

1日限りのインフルエンザみたいな、熱による不快感と吐き気

その後の喉の痛みは1週間で治まった。

わたしを次々に新しくしてくれる細胞とその栄養となってくれたもののおかげで、死を意識することもなく家の中を亡霊のように彷徨って過ごした。

自宅療養が終わったから、ようやく動ける。
動けないのは辛いなと再確認する。

本が欲しい