見出し画像

臆病な私が見つけた、一歩踏み出す勇気の出し方

Shelikesのライターコンペ以外で、このアカウントで投稿するのは初めてですね。普段はもう一つのアカウントで好きなことについて自由に書いていることが多いです。

なんとなくですが住み分けしてます。

今日はSHEの学習をしていて「これは……残しておきたい……」と思うことがあったので、なんとなくこちらで。

久しぶりに、SHEの課題を提出しました。ライターコースも、Webデザインコースも、全然課題をやっていなかった、お恥ずかしながら。

前回の提出日をよくよく見たら11月。約8か月ぶりです。ずっとやっていないのは当然自分で分かっているわけですが、しかと自分の目で見るとなんかこう、心にずしんと来るものがありました……(笑)
毎日毎日「いつかやらなきゃもったいないよなあ」と考えつつ、このままもう二度と、自分はSHEの課題に手を付けられないのではと思った時期もありました。

SHEの課題は、実案件顔負けのやりごたえのある課題で、講師の方からのフィードバックも本気。自分が本気で作ったものを、プロ目線で評価されるということに、正直あまり慣れていなかったのだと思います。
(今でも評価されるのは怖いです。今回出した課題に対しても、どんな厳しいコメントが返ってくるか、あんまり考えたくないです。とりあえず出したことを一回忘れたいです。)

入会したときの計画では、半年でやりたいコースを全部やりきって、半年後にはお仕事できるようになっているくらいのつもりでした。でも、実際にはそうはいかなかった。もっと迷いなくサクサクぐいぐい、ことを進めていきたかったのに、納得しないと行動に移せない性格が、そうはさせてはくれなかった。

私の頭の中には、複数人の自分がいて、四六時中議論をしています。なにか新しい行動をしようとするとき、その全員が一斉にいろんなことをしゃべりだして、本当にそれがやりたいのかどうか分からなくなってしまう。その全員を納得させ、安心させ、全員から「OK!」と言ってもらえないと、先に進めないのです。

「臆病」の一言で済ませてしまってもいいのだけど、自分にとってはかけがえのない相棒でもあります。私にとって大切なことを見失わないようにしてくれたり、間違ったことから自分を遠ざけてくれる存在。

でも、それが足かせになって、周りの人と比べてスピードが遅れたり、自分との約束も守れなかったりして、すごく苛立たしかった。

ただ、この8か月間なにもしていないわけではなかった。
最低月1回はnoteで記事を投稿して、ライターコンペに参加して、文章の筆写は毎日のルーティンになっている。ライター以外のコースにあちこち寄り道したりもして。
コーチングはほぼ毎月参加してたし、ドリームマップをちゃんと半月ごとに更新し続けているのは、自分のとてもいいところだなと思っています。

今考えると、自分の体調や性格を無視して計画を立てていた自分の方も、勝手だったのかもなとも思います。実際に飛び込んでみたことで、自分のことも、世界のことも、よりよくわかるようになることがある。

自分との約束を守れないことに苛立ちながらも、できそうなことからやってみた。一個一個の出会いを大切に噛みしめて、自分の中に落とし込んでいった。

そうしていたら、「できない」と思っていた課題を「ちょっくら出してみっかあ……」と思える日がやって来たんです。正確に言うと「出すかどうかはあとで考えるとして、とりあえず手を付けるだけ付けてみよう」と思う日が。

最初は「出すかどうかは別として、久しぶりに課題のファイルを見てみよう」。次は「そういえば途中までやってたんだよなあ、で、どんなことを書いてたんだっけ。出すかどうかは別として……ね……」、その次は「もう一度、文章の主旨や構成を考え直してみようかな」「あとは文章にするだけだな」とやっているうち、いつの間にか完成形ができているではありませんか……!

「せっかくここまでやったんだから、提出しちゃおうよ」
私の頭の中に、異を唱える者はどこにもいませんでした。

やりたいことを見つけたけれど、一歩踏み出す勇気が出ないとき。
自分が納得できるように、安心できるように、内省を深めることも大切。
でも、方法はそれだけじゃない。

「やりたいこと」のゴール地点からグググっと近くに寄せて、「ここまでだったら全然平気でしょ」というところまで目線を移してあげる。
「そこまでだったらいいよ」と言ってくれたら、そこに向けてまずは全力でやってみる。
それが出来たら「じゃあ次は、ここまでどう?」
「まあ、今やってみて大丈夫だったし、今と同じことをやればいいんだもんね、大丈夫」

50m走で例えてみるなら、まずは10mだけ走ってみる、みたいなことです。
10m走れたら、もう一度10m走ってみよう。
10m走った地点からもう一度10m走れば、スタートからは20m進んでいることになる。

20m進んだところから見る景色は、スタート地点とは大きく違って見える。
50m先だったゴールは30m先に見えて、だいぶ近くに見える。

でも、スタート地点では見えなかった石ころが見えるかもしれない。そうしたら、「石ころの手前まで走ってみようよ」と声をかけてみる。石ころの手前まで走ってみれば、石ころの形がよく見える。石ころの形をよく見れば、よけ方や乗り越え方がよくわかる。

もしくは、20m走ったところで息が上がってへとへとで、もう走れないと思うかもしれない。水を飲んだり、いったん座ったりして休むのもいいかもしれない。元気になったらまた、走ればいい。

そんなことを繰り返していくうち、いつの間にか50m走りきっている。
最初に設定したゴールにたどり着いている。

さらに言えば、何度も何度も50m走っているうち、全速力で一気に50m走り切っても全然平気になったり、少しずつ走るスピードが速くなっていくものでもある。

「スモールステップ」という言葉と出会ってまだ日が浅く、どちらかというと苦手意識があったのだけれど、「なるほどこういうことか」と実感を持って感じられた出来事でした。

今はまだ、10mごとに自問自答を繰り返して、日が暮れるのと50m走りきるのとどっちが早いか、っていう感じの私ですが、早く50m8秒台くらいで走れるようになりたいし、いつかは高速道路で法定速度100㎞出したいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?