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病気体験から得た、趣味

はじめまして、私は27歳で大病をして生死の境を彷徨いました。8時間の術後、人工呼吸器を付けていました。1週間意識不明でしたが奇跡的に目を覚ましました。

後遺症で、味覚がなくなり、左側に痺れが残り、目が複視という病気で見るもの全てが二重に見えるようになっていました。

簡単に言えばこんな感じですが、現実を受け止める事に大分時間がかかりました、夢の世界なんだと思っていました。

しかし日に日に長い夢だなと思うようになり、大分時間は経ちましたがようやく現実を受け止める事が出来ました。そこで気づけた私は、いち早く、リハビリに取りかかりました。それは辛い辛い道のりでした。僅か10mの距離、手すりを持ちながら歩くのにどれだけの時間がかかったかわかりません。

車椅子から立ち上がるのに、物凄く力を入れて歯を食いしばっても立ち上がる事が出来ずにいた事もありました。しかし、病気をした時、私は27歳だったので早く仕事に戻りたくて必死でした。

しかし、現実は厳しくそんな状況で働く事は許されず、退職する事になりました。4ヶ月間の入院生活を送りましたが、どれだけ病院での生活が良かったかは、退院を迎えた日にわかりました。外の世界は、健常者には何も感じないかもわかりませんが、私は体幹機能障害になってしまい、平坦な道等、少しだけ傾いていたりするだけで、身体に重力がかかり歩くのに困難な日々を送りました。そんな感じだったので当然体力との勝負でしたが私はどこまでも歩こうと思い毎日10㎞以上歩きました。杖をつきながら何度転んだかわかりません。靴を履くだけでもバランスが取れず転びました。倒れすぎて柔道の受け身見たいな物を覚えたな、笑。

ある意味倒れまくったおかげで痛みを回避する技を身につけたなって感じです。笑

人から笑われようが、恥ずかしさなんかよりも、耐えてきた分、精神的に強くなっていたのでしょうか?笑ってる声が悔しさのあまりだったか、わかりませんが、自分のモチベーションを上げる事に繋がっていました。笑いたい人は笑えばよい、私は笑ってる人達をけなすんじゃなくて、笑ってくれてありがとう思っていました、皆んなが笑うから私には力は出るんだって思っていました。実は、初めは正直めちゃくちゃむかついていたんですがね。

そういう日々をかれこれ1年間続けました。

当初は寝たきりだったのですが、車椅子、歩行器、杖に段階的に変わり現在はなにもなくても歩けるようになりました。リハビリで沢山電車にも乗りました。

しかし、1番怖かったのは満員電車に乗っている時でした。高校生が勢いよく突っ込んでくるので、満員電車内で転んだ事もあり、逆に電車が怖くなってきました。健常者の頃に車の免許、フォークリフトの免許を取得していたので、免許センターに行き適性検査を受けました。もう乗らないと決めていた車だったのですが、全然問題ないと許可をもらえました。だから現在は車にも乗っています。というか見た目がどこが障がい者なんだと言われる程になりましたが、私も年齢が45歳になってしまい、心の中でまだまだできると思っても身体がついてかないこともあります。笑


しかし、私の趣味は左側が痺れてたので指を動かすのにピッタリなギターを始めました。ゆっくり指を動かすだけのリハビリから始めました。誰に習った訳でもなくリハビリで始めたつもりのギターが、プロからして見たら、なんだそのコードって笑われるかも知れませんが、色々な方の曲を弾けるようになりました。

今はコロナ禍なんで行けませんが、施設にボランティアで弾きに行った事もあります。笑

後、目を養う為に造花でフラワーアレンジみたいなものも作っています。頭も使うから高次機能障害にも良いのかな?笑

味覚障害にもなりましたが、健常者の時から料理を作るのは嫌いでは無かったから、料理サイトや、昔の味覚があった頃の時を思い出して、よく料理も作ります。好きなのは焼鳥でタレから作ります。肉はスーパーから買ってきて自分で好みのサイズに切り、串に刺します。味がわからないから分量はちゃんと測り、家族に味見をしてもらってます。中々評判良いんですよ。笑

こんな感じの生活をしています、コロナも影響があり中々生活スタイルが決まらず。悩み事も沢山ありますが負けずに頑張っていこうと思っています。

こんな私ですがよろしくお願いします。






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