寄り添えるまで、800年かかりました。〜「鎌倉殿の13人」最終回の感想〜

 「私(北条義時)の名が穢れる分だけ、北条泰時の名が輝く……」

 12月28日に最終回を迎えた2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。今更ながら感想を書きます。初回から追いかけてきた一視聴者として、また三谷幸喜作品の一ファンとして、権力のために振り回されてきた北条小四郎義時の人生を楽しませて頂きました。
 最終回のラストシーンで、死期迫る義時は冒頭のようなセリフを言います。権力者として血の粛清を行い、尚も手を汚し続けようとする彼の真意です。次世代に、争いの種や不穏分子は絶対に残したくない!自分がどれほどの汚名を被ってでも、それら全てを除去してからでないと死ねない。そして残された後継息子・北条泰時に、健やかな時代のリーダーになってもらいたい。要約するとこういったことです。遂に彼は、最愛の姉によって延命の芽を摘まれます。
 個人的なことを言いますと、私はこのセリフを聞いた瞬間から涙が湧いてきました。そして終幕まで声を上げて号泣し通しでした。最終回、5回見て6回泣きました。内1回は思い出し泣きです。最初に視聴している時は、「1年間応援してきたドラマの主人公が、こんな辛い形で人生を終えるの? 耐えられない」という気持ちでした。それも今までずっと一緒だった姉・政子が、義時の暴走を、命を止めるために、目の前で薬を捨てる。身体中に痛みが残り続ける義時。自分の生涯はここまでだと、視覚的に痛感してしまう。権力者とはいえ、決して私利私欲ではなかった彼が、どうしてこんな残酷な最期を……。あまりにも救いがないドラマだから、観客はここで大泣きするのだ、そう思いました。
 しかし視聴を重ねるにつれ、また違った見方も出てきたのです。冒頭で紹介したセリフの直前に、こんなやり取りがあります。

政子「たまに考えるの。この先の人は、私たちのことをどう思うのか。あなた(義時)は上皇様を島流しにした大悪人。私は身内を追いやって、尼将軍に上り詰めた稀代の悪女」
義時「それは言い過ぎ」

そう!言い過ぎなんです。なぜか。歴史の教科書でも北条政子はお馴染みの域に入る人物であり、先行作品や世論、そしてこのドラマ内での描き方も、多少一般認識のある政子のこのような罪悪感に対しては概ね同情的かつ弁護気味な立場であると言えるからです。視聴者が一瞬、「そんなことないよ」と思えてしまう。だからここの会話は納得をもって聞いていることができるのです。
 対して義時はどうでしょう。政子ほどの一般知名度のない義時の心情に、思いを馳せたことのある人はこれまで少なかったのではないでしょうか。同情や弁護以前に、知らない。だから、世間一般人が北条義時の真意に迫ったのは、このシーンが放送された瞬間が、史上初めてだったのではないかと思えてくるのです。かなり大袈裟なことを言っております……。
 史実の北条義時が、本当に冒頭で紹介したようなセリフを言ったかどうかは分かりません。しかしもしもそうだったとしたら、朝敵認定を受けたこの男の真意を、令和の日本人が800年ものタイムラグを経て汲み取ったことになります。実際に世間の受け止め方も、ドラマにおける描き方も、まさに義時の狙いを反映しているかのように思われます。そして、彼の真意に最初に気が付いた令和の日本人こそ、三谷幸喜氏なのです。
 そんな義時を長く辛い使命から解放するのは、大好きな姉の慈愛でした。徹底的に兄弟の物語として、鎌倉時代の草創期を描いたドラマでありました。

政子「寂しい思いはさせません」「ご苦労様でした、小四郎」

最終回「報いの時」

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