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波の上に立つ

파도 위에서 흔들리고 있어도
波の上で揺られていても
훗날 우린 파도를 밟고 서 있을 거야
いつの日か僕らは波を踏んで立っているんだ

우리,다시

この歌詞を好きだと言うCARATさんがいた。
気づけば3年以上前の話だ。

当時の私は配属から一年が経過し、量だけでいえば先輩方と同じだけの仕事を任されるようになっていた。
災害が発生すると繁忙度が上がる仕事をしていて、その年は運悪く複数の災害が重なったこともあり、波の上で揺られるどころか呑み込まれ、溺れていた。

鳴り止まない督促とお叱りの電話、朝も夜も残業しながらお詫びし続ける毎日。ずっとずっと期日という約束を破り続けているような状況は、督促されなくとも罪悪感に苛まれた。

最初は夜中に目が覚めて吐いてしまうくらい辛かったけれど、適応してしまうのが人間の性で、忘れることや心を動かさないことができるようになっていった。

ぼんやりとそれが哀しいと感じていた頃、
その方が「痛い時や苦しい時に逃れる術も知っていてほしい、自分が悪くても相手も大概だと思える意地の悪さも持っていてほしい、けど優しい心はそのままでいいんだよ」という旨のメッセージを送ってくれた。
また、冒頭の歌詞を添えてこう続けた。
「現状維持だよ。何も変わらなくていい。気づかないうちに色んなことが変わってるはずだよ」

有り難かった。
凍りつかせていた心がほぐれる心地がした。
けれど、正直当時の私には歌詞そのものは自分ごととは思えなくて、ただただその方が私にかけてくれた言葉が有り難かった。

우리,다시は私がCARATになる前に生まれた歌だ。
直訳すると「僕ら、また」。
コロナ禍に入り「また」が約束できない状況になって、それでも「僕ら、また」と歌う彼ら。
けれどコロナ禍以降にCARATになった私にとって、「また」に続くであろう心の景色を、約束の温度を知らないことが、寂しいと感じる歌でもあった。
私にとって우리,다시は「私」が登場しない歌だった。

「いつの日か僕らは波を踏んで立っている」

そんな日が来るはずだと思い続けるには、約束を破り続ける2年は、自分を恥続ける2年は長すぎた。

けれど入社四年目に入ったある日ふと、この歌詞がすとんと胸の奥に落ちた。
ああ、今私は波を踏んで立っている…
何がどう変わったか説明をすることは難しいけれど、そう思った。

「大丈夫になる」とか「時間が解決してくれる」とかじゃなく、波の上に両の足で立っている。
波がないわけでも、揺られなくなるわけでもなく相変わらずぐらぐらしたり足を掬われたりと不恰好だけれど、それでもなんとか、自分の足で立っている…きっと、そんな気がする。
別に何かを成し遂げたわけじゃないけど、波の上に立つという歌詞の意味がわかること自体が、自分の歩いてきた道のりを知ることだった。

そして今だからこそ分かる。
あの日、私にこの歌詞を贈ってくれたあのCARATさんもまた、「大丈夫」な側から私に手を差し伸べてくれたわけじゃなかったのだろう。この歌詞を胸に携えて、いつか来る「波を踏んで立つ」瞬間を信じてひたすらに踏ん張っていたのだろう。
気がつけばあの日のCARATさんと同じ社会人歴になっていた。当時はそんな日なんて来るはずないと思っていたのに。

こうして何かが環るのか…と思った。
今度はバトンを渡す側なのだろう。

隣の席の後輩がキャパオーバーになって涙を流していた。
ひとつひとつ紐解けばちゃんと解決できると分かっているのに、目の前のタスクが溜まってしまって…と言う姿を見て、あの日の自分を思い出した。
肩代わりしてあげたいけれど、「成長痛の中にいる」その子の痛みを取り除くわけにもいかず、ただ就業後に2人で小さなケーキを食べた。
歯がゆいけれど、その子が真っ当な成長痛の中にいるうちはただ横にいることしかできないのだ。
いつの日かきっと、私たちは波の上に立っているんだよと思いながら。

仕事だけじゃなく、職場だけじゃなく…
過去の私も、未来の私も、
大切なあなたも
一歩一歩、その足をどこかに動かそうとする限り

見慣れぬ道のりでは
誰もが道に迷うでしょう
けれど
険しい道だろうとそばにいます。
波の上に立つその日まで。

いや、その日が、そう思える日が
もし仮に訪れなかったとしても。
私たちがまた一緒に歌うそのとき
その日まで。

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