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薄明

とても美人な本が生まれた。
著者、밤。デザイン、通話中。
生まれて初めての私家版歌集、薄明である。


「趣味はなに?」
「休日は何をしているの?」
「彼氏は?」「結婚は?」

ーアイドルを好きでいます

そう答えると、流石に社会人として良識ある方は馬鹿になんてしないけれど、「あぁー…」となったり気を遣われてそれ以上掘り下げられないのがオチだ。

アイドルを好きでいるのは娯楽だ
アイドルは偶像だから時間やお金を賭すのは
…まあほどほどにしなさい
そのうち現実を見なさいね

そんな優しいアドバイスを受けることがある

私が、おかしいのだろうか。
わからなかった。こんなにも誰かを好きだと思えたのに。こんなにも人を美しいと思えたのに。明日も生きようと思えたのに。
なぜいつまでも娯楽にうつつを抜かしているように扱われるのか。

2021年8月の私はこんなメモを残していた

何かを愛する心は尊いものなのにその対象がアイドルというだけで馬鹿にされることがある。そんな世間の目を変えたい、と言ってくれるアイドルを推していて、オタクの語りを「文学」と呼べるレベルにできたなら、此方からも一石を投じられるのではないかと半ば夢想し半ば信じて書き続けているけれど私にそれほどの文才があるでもなく、大切だからこそ曲げにくく、この一年でただただ20本以上の忘れたくない想いが、刻みつけたい想いが、ただそのままの形で積み重なった。悔しい。悔しい。
叩いて、叩いて、鍛えて、研ぐしかないんた。バズりたいんじゃなくて、遺したいんだ。こんなに青いのも熱いのも初めてなのに、悔しい。

この時の20本、というのはnoteのことだけれど、ずっとこの想いを胎の中に抱えて歩いてきた。


「アイドル」×「短歌」
期せずしていかにも流行りを捉えたテーマになってしまった。世間から注目されているテーマということはそこに価値を置く人がたくさんいるということだ。けれどそれは一方で大きな流れのなかで消費されやすいというリスクも孕む。
薄明のはじめに、で書いたように短歌の「書き残しながらも主張しない柔らかさ」を選び取ったけれど、当初の私は何故かこれを世界に認めさせなければ…と躍起になっていた。

角川短歌賞に応募して見事に箸にも棒にも引っかからなかったとき、本当に本当に悔しかったし自分の実力不足を恥じたけれど、ならば何度でもトライしてやろう…とは思わなかった。
目的が違うじゃないか、と気付いたのだ。
私はSeventeenを好きでいることに誠実でありたかったから短歌を選んだ。
けれど短歌を詠むことそれ自体に誠実でありたかったかというと、それは第一目的ではない。
限りなく近い道を歩いていたけれど、絶対に入れ替わらない優先順位がそこにあった。

もちろん「つくる」以上は技術を上げる努力をする必要はあって、それはそのままSeventeenさんへの誠実さに繋がる。でもそれを短歌に第一に向き合う人たちに認めてもらう必要はなかった。

本にしようと思った。

インターネットの海で出逢った大切な人たちに
インターネットに漂わない物質の形で届けたいと思った。

ツイートできること、ブログにできること、声でも配信できることを敢えて本にするということ。
ある意味で、肉体を持つということ。
もう何とも、混ざりあわないということ。

同じ景色を見てきた人たちにだけ伝わるように
Seventeen以外の文脈に攫われないように
ひとつひとつの言葉がきちんと手を繋ぎ合い、流されていかないように。

先述の「誕生」の想いは今も私の中にあるけれど、黙らせる必要はない。
他でもないSeventeenが、いつもそうであるように。

花へおしかぶさる重みを
花のかたちのまま
おしかえす
そのとき花であることは
もはや ひとつの宣言である

石原吉郎「花であること」より

「薄明」に載せた想いは
「薄明」の形を得てこの世に生まれました。
Seventeenに出逢わなければ存在しなかったものがこの「薄明」のかたちで世界を押し返す。

しかしそれは何かへの否定ではなく、ただただ、Seventeenの歩いてきた道程を全身全霊で肯定するためだけに在るのだとここに宣言します。

「薄明」を受け取ってくださった方々、
本当にありがとうございます。
通話中、Thanks toに書いた通りです。
「薄明」に肉体を授けてくれて有難う。 

Seventeenさん
何を言っても言葉足らずです
ただ、抱きしめさせてください。
あなた達を抱きしめるつもりで、この世界の空気を、そして私を、抱きしめる。

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