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돌고돌아

나는 어디로 걸어가는지?
僕はどこに向かっているのだろうか
무얼 찾아 이리 헤매이는지?
何を求めて彷徨っているのだろうか
한껏 울고플 때
思いっきり泣きたいときには
하늘 가까이로 가곤 해
空の近くへ行くようにしている
아무도 내 눈물 못 보게
だれも僕の涙を見ないように

6年ぶり2度目のリパッケージアルバム、Sector17の幕開けの曲。
Face the Sunで自らの影に向き合い、僕らが太陽になるという覚悟を見せてくれた彼らから一変、心の柔らかいところを握られるかのような生々しい歌い出しだった。

と、同時にどこか安心した私もいた。
覚悟は覚悟としてきちんと決めた彼らの姿が誇らしかったけれど、それでもまだ行先がわからなくなったり道に迷ったりすることがあると、人に見られたくない涙があると言ってくれることがありがたかった。

覚悟を決めることは思考を止めることではなく、迷い悩みながらでも自分はこうするのだと決めることだと、そういう強さを見せてくれたようで…

목소리도 나오지 않는 
声すらも出ないような
많은 날을
たくさんの日々を
숨 쉬고 있지만
生きているけれど
서로에게 건네어 나눈 마음의 소리로
互いに分かち合った心の声で
그날 위해 용기를 내서
その日のために勇気を出して

声すらも出ない…それはどんな時だろうか。
苦しい、助けてと言えないときだろうか。
そもそもそんな感情の判別すらもつかないときだろうか。
自分が嬉しいのか悲しいのか進みたいのか帰りたいのかすらも見失うときだろうか…
いずれにしても、彼らにだけは絶対にそんな思いをしてほしくない。

けれど彼らも人間だから、そういう喜怒哀楽のどこにも割り振れない、割り切れない、助けも呼べない日々を超えて生きている。

そしてそれを伝えてくれる。
彼らにもそんな日々があるということを打ち明けてくれる。
それぞれの夜を歩いたからこそ、声に出さなくても分かち合える心の声を合わせて、少しだけ、本当に少しだけ勇気を振り絞って、喉から声を出してみよう。

모두 함께 노래 부르자 
皆 一緒に歌おうよ
힘찬 노랫소리 슬픔 가려지도록 
力強い歌声で悲しみを覆い込めるように
괜찮을 거야 시계의 바늘처럼 
大丈夫だよ 時計の針のように
다시 돌고 돌아 제자리로 오겠지
また巡り巡って在るべき所に還るでしょう

「皆」と呼び掛けるけれど、仲良しこよしの関係とは少し違うと思う。それぞれの人生を背負って、同じ場所に流れ着いて出逢った「皆」。
どんな過去があるか、今何を抱えているか、詮索はしないし言わなくていい。
でも、だからこそ一緒に歌おうと言われているような気持ちになる。

슬픈 노래는 
悲しい歌は
듣고 눈물 흘려도 돼요 
聞いて涙を流してもいいんです
음악은 원래 그런 거니까 
音楽は本来そういうものだから
ー몰래 듣지 말아요

こう歌っていた彼らが、今は敢えて「力強い歌声で悲しみを覆い込めるように」と言う。

だからこそ、この「大丈夫だよ」「在るべき所に還るでしょう」は、
「物事は良い方向に向かっていく」
「楽しいことが待っている」
「悲しみは時間が解決してくれる」
というだけじゃなく、
“そこに在った悲しみも巡ってくる”
つまり
“今君が辛いなら悲しみに蓋をしてもいい、それは無かったことにはならず、ちゃんと時が来れば向き合えるようになるから”
というような意味も含まれているように感じた。
そのために、ここで「寒い冬もいつか春になる」というような季節の表現を当てはめず、ポジティブもネガティブも感じさせない“時計の針”という比喩をつかったのではないだろうか。

私にとってはこれが本当に救いだった。
悲しいこと、辛いこと、それに立ち向かいたくても足が震えて立てないことがある。目を向けることすらできないこともある。
けれど悲しみも辛さもなかったことにしたら、それはそれで自分の一部を殺したような気持ちになってしまう。

Seventeenさんを見ていると悲しいことを忘れてしまうくらい幸せを貰えるけれど、それが悲しい現実から逃げるためにSeventeenさんを見ているようで後ろめたい時もあった。

けれどこの歌は、皆で歌を歌って悲しみを覆い隠しても、また巡り巡って在るべき所に還ると言ってくれた。

1人で立ち向かわなくてもいいのか
立ち向かうのは今じゃなくてもいいのか
それまでただ一緒に歌ってくれるのか…

このことがどれだけ優しい救いになってくれたか分からない。

외로운 바람이 부는가 봐 
寂しい風が吹き抜けるようだ
코끝이 차 여름날에도 
鼻先の冷える夏の日にも
1년 지나가는 계절은 
一年が過ぎて往く季節は
아무것도 아니란 듯이 
何事もなかったかのようで

なんて美しく苦しい歌詞だろうか。
夏の日に鼻先が冷えるのは
俯きながら流した涙を風が撫でて去っていったからかもしれない。
自分がいくら蹲っていてもこの世界は無情に回っていく。それどころか更なる苦悩をそのら背中に預けていくこともある。
自分にとっては絶対になかったことにはできないことも、起こった瞬間から過去へ送られていく。

彼らがにとって「何事もなかったかのよう」にしたくないことがどんなことかは分からないけれど、「何事もなかったかのよう」にしたくないものがあるというその気持ちは分かるような気がする。

それはもちろん、逆もまた然り。

それでいい、全部わかる必要なんてないんだ。
わからないけれど、わかるところまでを共有しながら、私たちはまた一緒に歌を歌う。

기억해 언제나 우린 함께라는 걸 
覚えていて いつも僕らは一緒だってことを
변하지 않는 너의 손 놓지 않을게 
変わらずに君の手を握っているから

覚えていて、忘れないで、
いざという時に最も忘れてしまいがちなことだからこそ、最後に念押しして伝えてくれることがありがたい。

隣にいなくても一緒にいる
触れられずとも手を握っている
巡り巡って在るべき所に還ってくるまで
その全ての過程で。

例えば君が離れようとしても。

例えば自分が離れるとしても。

La La La La La La La La La La La La


La La La La La La La La La 

ここを言葉で解釈しようとするのは野暮だろうと思う。
けれど他でもないウジさんが、最後は合唱をはずれひとりで歌い、曲を結んだのであれば、やはりここには言葉で説明するよりも「LALALA」という歌声でしか表現し得ないものがあったのだろうと思う。

ときに言葉よりも雄弁なウジさんの歌声。

「皆一緒に歌おう」と声を合わせていたところからひとりになったことは、決して悲しい孤独ではなく、きっと「在るべき所に還る」過程の一部なんじゃないだろうか。

少し震える声で、
その想いは巡り巡ってまた届くべき誰かの心に
届いてほしいと祈るかのようで。

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