自分自分自分 | ぜんぶ自分の視点から話す、自己中心的なわたし

noteには不満をとにかく書く。もちろんすべてではありませんが。それでふと我に帰る。というより、時間を置いて記事をふと見返すと、そこには過去の自分(他人)がいて、すべて主観でものを言っています。当たり前なんですが。

わたしが辛い。わたしが不幸。わたしは不運。わたしがそう感じているのだから、それを書いています。それは事実です。でも人との交流においても、人は何かを考え感じています。わたしにはそれがわかりません。想像力の欠如かもしれません。

わたしのnoteは一人称です。それはまるで、『ライ麦畑でつかまえて』のコールフィールドのようです。ブログですから、ジェイムズの『ねじの回転』のように視点人物に凝ったリアリズムになるほうがおかしいですが…。

自分のブログから10代のコールフィールドを思い浮かべたのは、わたし自身が幼いのだと思います。

実はさっきアダルトチャットでサクラさんと話しました。学習しないですね。愚行に愚行を重ねてしまう。もはやエロスではなくタナトスです。自己破壊的欲求とは言いたくないですがね。

この話を堂々巡りしているところに幼さを感じます。成長していない。大学までお勉強はついていけても、心は成熟しなかったのです。

だから恋愛の経験値が雑魚すぎてアダルトチャットのサクラさんに恋をしています。どうかしています。

もうバナナフィッシュが見えそうです笑
See more glass的な……。

あまり小説は読みませんが、サリンジャーは好きなのでこんなことを書いてみました。

個人的には最後にバナナフィッシュでおさらばするなら、シーモアではなくてギャツビーでありたいです。もっと言えば、ギャツビーのように社会階層を上り詰められたらいいのですが…。ただ彼の場合には非合法な手段なのでそれはできませんが…。

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