2020.10.31 生きる意味を見つけるわけじゃない

排水溝

2020年10月31日 23:54

おはようございます。

前回は簡単に私にとっての多重人格についてを書かせてもらいました。今回は続きと絡めて、勝手に私以外の他人格の他己紹介をしていきたいと思います。

前回の記事とほとんど間が空いておりません。というのも、今の私の記憶はほぼ継続しないというのが原因です。

前回の記事、その時の感情や目的を忘れないうちに大体の方針を決めておきます。忘れっぽい、とは違います。これもまた書く機会があるでしょうか。


前回は各々の人格の言わば共存関係について書いたと思います。これも確認して思い出したのですが。

まだ1時間も経ってませんね、彼らが私の中から消えてしまった(認知できなくなった)日を境に記憶障害が出始め、徐々に自我というものが薄れ、自分が誰なのかがわからなくなりました。今、ざっくりいうとそんな感じです。

なので、私は私という存在を突き詰めるために、見つけるためにこれを書きます。整理して、見直して、今ある現状がなんなのか考えられるように。文章にすると冷静になれるので。

どうしてでしょうか。こんなもの自分のノートの切れ端にでも書いておけばいいと思って仕方ないのですが、どうしてもできないのです。意味が無い、と切り捨ててしまうのは私の最も悪いくせです。誰かに(見て欲しいというのとは少し違いますが)吐き出す体ならば少しは意義があるという判定なのでしょうか。


また話がそれでしまい申し訳ないですね。

このnoteで、少しだけ他の多重人格者のことを書いてある記事を読みました。

ほかの記事について触れるのはタブーなのでしょうか?わかりませんが、そこには当事者ではありませんが多重人格者が人格のいわば統一を望んではいないということが書かれておりました。

これについても、また長く話すことがあるでしょう。

簡潔にいえば、私も絶対に嫌です。

論理的な視点で言えば、彼らは私の過去のトラウマから防衛本能として生まれた言わば防衛装置。離したくない(もっとも消えるものではないですが)と思うのは当然です。

しかしそんなことを抜きにして、自分がいちばん辛い時に、なによりも誰よりも自分の命を、生活を、なにもかもを救ってくれた存在を、仲間を、友達を消してしまいたいなんて思うでしょうか?

勿論、彼らには辛い思いも沢山させられました。多重人格の前提には解離という症状があります。それについても話すと長くなるのですが、まぁシンプルに突然倒れて動けなくなったり、突然人格、性別も年齢も(はたからみたら豹変というのでしょうか)変わってるようにみえるような人間を傍から見てどう思いますか?理解者なんていませんでした。

私は彼らに散々な目にあわされましたが、同時に彼らがいなければとっくにこの世を去っていたか、廃人にでもなっていたでしょう。憶測ではありますが紛れもない事実でもあると冷静に考えます。


今回はこの辺で。ありがとうございました。

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