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11月の振り返り

今日で11月も最後。
休職して5ヶ月が経過した。
「今頃、教え子たちは、この行事かな」「進路面談期間中だな」と思い、今こうして職場にいないことを申し訳なく思う日もあった。
申し訳ないと思っても「どうしてもあの職場に行けない」という気持ちが勝ることもあり、不甲斐ない自分が嫌になってベッドから出られない日もあった。

健康診断以外で初めて行った婦人科病院で、2時間近く待った結果、30秒たらずで終わった診察で一言「うーん、不妊症かもねー」に傷ついた。悔しかった。
自分の身体がいかにボロボロの状態だったのかを知った。

そして祖父の死から1年が経った。
月命日を迎えるまで、心穏やかではなく、特に今月はずっと夜涙が止まらなかった。祖父のことを思い出しては泣いて、何度もnoteにも記事を出した。
月命日を過ぎ、久しぶりに寺院を尋ねる機会があって、そこで祖父が穏やかに眠れることを祈ることができて少し心が軽くなった気がした。
その頃から少しずつ心も身体も落ち着いてきた気がする。

いつか大学の哲学講義で、「人生に目的はあるのか」「人生における幸福とは何か」について、哲学書を読みながら同じゼミの子や先生と話しあったことがある。
中世ヨーロッパにいたとある神父は「人生に目的はない」と自身の著書で述べていたらしい。
いち学生だった当時の私は「人生に目的がなかったら何のために生きてるんだ」と思ったことをよく覚えている。

人間が生まれてから死ぬまでを人生というなら、その過程そのもの自体には目的はないとも言える。ただ、人間は他の動物と異なり、自ら思考し他者と関わり合いながら生きている。そこで、本来は目的のないはずの人生に「目的」を見出し、その「目的」を達成することで、人生の幸福を得ているのだ。

私はこれまで生きていく中で必ず「目的」を持っていた。幼い頃は「必ず家を出て自由になる」、中高生時代は「教師になって一人前に働いて独立する」、学生時代は「教師になって、必ず実家を出て自分の人生を自分で決めていく」と。
全ては自分でアクションを起こさなければ達成されることはなかった。特に、両親のもとにいた頃はほぼ洗脳状態でもあり、そこから抜け出すことは簡単ではなかった。

両親からの脱却という大きな目的を果たした今、次の目的がふわふわとしてしまっている。どう優先順位を決めていこうか、考えているのが現状。

あれこれ複雑に考え過ぎているような自分をリセットして、シンプルに考え今を受け入れて生きていきたい。

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