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『映画ドラえもん のび太と空の理想郷』を見てきた

まえがき

20歳を迎えた女子大生が春休みに友人と一緒に観るべき映画とは ━━私の場合、その答えは『映画ドラえもん のび太と空の理想郷』だった。平日の真っ昼間、大人二人でドラえもん(鬼滅でもスラムダンクでもなく!)。
これでいいのか。いや、これでいいのだ。

ちなみに、映画館は引くほどガラガラだった。


以降めちゃくちゃネタバレあり
ドラえもんまじで知らない人にもわかるように書いた…つもり。


本編を語る前に

十年間ほど毎年映画を観に行った身として「ドラえもんの映画なんてどうせ子供騙しのちゃちい作りだろう」などと考えている人には全力で反論したい。内容自体おもしろいものが多い(100%とは言わない)し、最近のドラえもんは「ドラ泣き」とかいって感動させようという意図があるので親世代にもおすすめできる。

※とはいえ、子供に話がわかるように小難しい話は省かれていることが多い。大小のツッコミどころはご愛嬌だ。

さて、本作は映画ドラえもんの42作目にあたる。
振り返ると、のび太たちの冒険の舞台は海の底から雲の上、遠い宇宙に架空の世界、過去から未来までなんでもありだ。逆に言うと、めぼしい舞台は使いつくしている。
実際、今回の映画のキービジュアルを見た時に『雲の王国』が頭をよぎった。ゆえにネタ被りがやや心配だったが、見終わった感想としては目新しいネタ+過去作に似たさまざまな要素でいい感じにまとめているなという感じだった。

本編語り

タイムパトロールの飛行船が巨大な三日月型の建造物を包囲し、今にも攻撃を仕掛けようとしている。が、目標は彼らの目の前で消滅。逃げられたのだ。

場面が切り替わり、休み時間の教室でのび太・しずか・ジャイアン・スネ夫が出来杉の話を聞いている。海に浮かぶ三日月型の理想郷・ユートピアの伝説━━それを聞いたのび太は「ユートピアに生まれたかった」とぼやく。
授業が始まりテストが返却されたものの、のび太のテストは0点、10点、15点とひどい有様。放課後にはジャイアンに野球に誘われるが、そこでも失敗ばかりであった。

筆者作成
  • 桜の蕾、裸の木。映画ドラえもんには珍しい長めの学校描写。「ドラえもんの映画=ひと夏の小さな大冒険」という図式が頭の中にあるのでなんとなく面食らったような気持ちになった。これもネタ被り配慮だろうか。

  • そしてジャイアンがのび太を殴る映像がはっきり描写されず、殴られたであろうのび太の体に腫れやたんこぶ(殴られたとわかる怪我)がない辺りに”ご時世的”なものを思わせながら物語は進んでいく。

序盤:ユートピア発見まで

野球の後、三日月型物体が空に浮かんでいるのを裏山で見たのび太は急いで帰宅。壊れた道具を四次元ゴミ袋に詰めていたドラえもんに対し「ユートピアを見た」と主張するも、出現してすぐ消えたその物体を見た者は彼以外におらず、ドラえもんも最初は信じようとしない。
だが、”空に浮かぶ三日月型物体”についての記録が複数の時代・地域で残されていることが判明し、二人はしずか・ジャイアン・スネ夫とともに時空移動機能付きの飛行船(タイムツェッペリン)で過去の記録を辿ることに。

筆者作成
  • 伏線っぽいものがこれでもかと入っていた。最近の映画ドラえもんは伏線回収ばっかりやっている気がする。四次元ゴミ袋に押し込んだ0点のテスト、なぜか降り出すお天気雨、やたらのび太に貼り付いてくる青い虫。「何か引っかかるな…」と思いながら観ていたが、終盤で回収されるので今はおいておく。

  • ただ、過去の色々な記録を確かめに時間旅行をしたのは冷静に考えると意味不明(展開の都合上そうしないと話が通らないので仕方ない)。のび太が「さっき見た」と言ったんだからその「さっき」を最初に確認すれば済んだはずなのになあ。

中盤:ユートピアの謎判明まで

夜中になってようやく三日月型物体を発見し接近を試みるも、何者かから攻撃を受けて飛行船は故障し、5人は気を失ってしまう。目を覚ますとそこは三日月型物体の内部にある「パラダピア」という町だった。”空に浮かぶ三日月型物体”の正体は、攻撃から逃れるための時空転移装置&ステルス用のバリアを備え、夜間に吸収した宇宙線をエネルギー源とする22世紀の空中都市だったのだ。

そこで5人は飛行船を攻撃した張本人・パーフェクト猫型ロボットのソーニャと出会う。敵性のないことを確認された5人はソーニャから謝罪を受けるとともにパラダピアを案内される。パラダピアは三賢人と呼ばれる天才3人によって築かれた理想郷であり、パラダピアの人々は争わず、みな優秀だという。「パラダピアに住めばどんな人もパーフェクトになれる」、ソーニャのその言葉に魅了されたのび太 をはじめとする5人は、飛行船の修理の間だけパラダピアに滞在することにした。

筆者作成
  • 実は映画を観る前に某掲示板まとめサイトで「ド直球のディストピアもの」と評されているのを読んでしまっていたので、最初の平和なシーンも「へ〜これディストピアなんだあ…」と思いながら観ていた。

  • のび太が地上世界が嫌だと力説するシーンで「ママはいつもガミガミ怒る」といった趣旨のことを言うシーンがありここで涙腺崩壊(1回目)情緒おかしい。というのも、昔アニメで見た『のび太のなが〜い家出』というエピソード(家から飛び出したのび太をママがひどく心配し、帰ってきたときには安堵のあまり号泣する話)を覚えていたからだ。私自身も含め、子どもというものは親のことをウザがるものだし、私が親になったら子どもは私をウザがるだろう。そうわかっていてものび太のこの言葉がなんだか…泣ける。

  • ※ちなみに、ちょっと後にのび太のママ&パパ(のび太たちはスネ夫の別荘で勉強合宿をしていると思っている)が「のび太は大丈夫かしら」「ドラえもんがいるから大丈夫だろう」と会話しているシーンが挟まってまた涙腺崩壊(2回目)。上記のようなエピソードを知らない人に対してもパパ・ママが良い人だというアピールを欠かさない余念のなさを見よ。


パラダピアで過ごして三日。しずか・スネ夫・ジャイアンはどんどん優しく優秀になっていくが、のび太は全く変わらない。自分だけパーフェクトになれない、とのび太が悩んでいるのをドラえもん(ロボットなので改造されない限り人格が変わらない)が茶化したことで二人は言い合いになるが、それを見てソーニャは「かえって仲がよさそうに見える」と笑った。
ソーニャは二人を前に昔話を始める。彼も昔はダメロボットで、三賢人によって優秀に改造されたのだという。

筆者作成
  • だんだん様子のおかしさが出てくる。あのジャイアンまでもが優しくなっているのである。あの…あのジャイアンが。

  • それはそれとしてドラえもんとのび太の友情が強調されたことで涙腺崩壊(3回目)。ドラえもんとのび太の友情にはマジのガチで弱いので仕方ない。『南極カチコチ大冒険』と『ひみつ道具博物館』が二人の友情に特化した作品なので興味がある人は見てほしい。私はこの2作でガチ泣きした。


夜中に三賢人を襲おうとする不審者を発見するのび太とドラえもん。その不審者をソーニャらと協力して攻撃し虫に変えてしまうが、パラダピアの学校でできた友達・ハンナに懇願され、こっそりひみつ道具で人間の姿に戻すことに。

実は不審者の正体はパラダピアから住民を救い出そうと考えている女性・マリンバだった。曰く、パラダピアの人工太陽「パラダピアンライト」にはその光を浴びた人間を洗脳し支配する効果があり、のび太は偶然その光が効きにくい体質なのだという。のび太は最初こそ信じようとしなかったが、スネ夫・ジャイアン・しずかが怒りも笑いもせず 家に帰る意思すらなくしてしまった事実を目の当たりにし、マリンバとハンナに協力する。

筆者作成
  • ディ、ディストピアだ…。

  • ドラえもんは基本的に科学技術のもとで話が進むが、ここでいう「科学技術」は「私たちから見て実現可能そうな技術」という意味ではないことに注意されたい。ドラえもん世界の22世紀には浴びただけでデカくなったり小さくなったりする光もあるわけで、浴びただけで洗脳される光があってもおかしくはないが…。

  • 22世紀で暮らしていたハンナが「パーフェクトになれる」という甘言に唆されて連れてこられた、という話を聞いて「ワンピースのパンクハザード編かよ」と思ったのは秘密

  • この虫のくだりで「あっ…あの序盤の虫…絶対粛清されたパラダピアの人だ……」と察する。なお、この推察が半分合っていて半分間違っているとわかるのはもう少し後のことだ。


終盤:エンディングまで

パラダピアのバリアは外部との通信を阻むため、逃げ出して通報しようと試みるのび太・ドラえもん・マリンバをソーニャが追いかける。ソーニャは友人であるのび太たちに攻撃することを躊躇うが、三賢人に激しい口調で命令され、攻撃してしまう。

筆者作成
  • ソーニャに対する「またガラクタに戻すぞ!」という三賢人の言葉がもう完全に悪者のそれである。この辺りからソーニャの心の揺らぎが決定的なものになり始める。

目を覚ました3人を前に三賢人は語り始める。光の効かないのび太を洗脳するためにより強力な「ネオ・パラダピアンライト」をついに開発したこと。この光で世界中の人間の心を失わせ、パラダピアの人々のように洗脳する計画を進めていること。そしてのび太がパラダピアを見つけた日の、のび太が住む町の人々を最初の標的に決めたこと。
ネオ・パラダピアンライトによってのび太もついに洗脳され、その洗脳を解こうと必死で声をかけていたドラえもんは三賢人の命令を受けたソーニャによって虫にされ、空中へ落とされてしまう。ただ、ドラえもんが虫になる寸前にのび太は洗脳を脱し、しずか・スネ夫・ジャイアンに訴えかけて彼らの洗脳も解くことに成功する。

筆者作成
  • のび太が洗脳され、目の光が消え、三賢人に命令されるまま跪いた瞬間にめちゃくちゃ悔しくて涙腺大決壊(4回目)。声出そうなくらい泣いた。友達は横でちょっと引いていた。

  • そして序盤の青い虫がドラえもんだったことが判明。のび太に付き纏っていたのは気づいて欲しかったからなのだろうかと思ってまた涙腺崩壊した(5回目)。ザコ涙腺にも程がある。

三賢人を裏で操っていた人物(=22世紀で人を洗脳する光の研究をしていたが、消息不明になっていたレイ博士)が計画の邪魔をされた怒りのあまり表に出てくる。ソーニャはのび太たちが持っているような強い心は消すことができない、ゆえに計画は失敗であると博士に告げ、のび太たちの味方につく。
レイ博士は自分もかつてのび太のような人間だったと語る。だからこそ全人類の心を消して支配したいのだと。しかしマリンバに光の装置を破壊され、自棄になったレイ博士はパラダピアのシステムを全て停止。パラダピアは地球に向け落下し始める。

筆者作成
  • レイ博士は(あらすじにはわざわざ書かなかったが)マリンバによって話題に出されていたので「まあ黒幕だわな」と思っていたが、それにしてもポッと出という感じが強い。

  • それに、普通の洗脳で手がつけられない状態になっていたしずか・スネ夫・ジャイアンがネオ・パラダピアンライトに洗脳されてなおあっさり正気に戻ったのはちょっと都合が良すぎる。

  • …という野暮な指摘はこれくらいにしておいて、ロボットであるソーニャまでもがのび太やドラえもんによって心を取り戻すという構図はメチャ良いと思う。ドラえもん世界ではロボットにも当たり前のように心・感情があるのであしからず。後で詳しく書くがこのソーニャというキャラクターは『鉄人兵団』に出てくるリルルとピッポ(両者ともロボット)とよく似ている。

パラダピアの人々を飛行船に乗せたのび太たちは脱出、一方でソーニャは崩壊しつつあるパラダピアにスモールライトを浴びせて落下を引き留めようと画策していた。のび太は飛行船を無事着陸させたのち、青い虫を見つけ出してドラえもんに戻すことに成功する。
のび太たち5人はソーニャの元に向かい、パラダピアを四次元ゴミ袋に入れるアイデアで落下を阻止したものの、ゴミ袋の中でパラダピアが熱膨張を始めてしまう。ソーニャはのび太たちの命を守るため、彼らの阻止を振り切ってたった一人で上空に向かい、四次元ゴミ袋の爆発に巻き込まれてしまった。

筆者作成
  • あの日の青い虫とお天気雨がここで回収される。子供にもわかりやすく、やや説明的に描いていたのがよかった。

  • パラダピアの崩壊によって地上に降り注いだ冷却水がお天気雨だったのだ…。「お天気雨っていうのよ、ロマンチックでしょ」という序盤のしずかちゃんの発言には「”狐の嫁入り”ならともかく、”お天気雨”はそんなにロマンチックじゃなくない?」と内心ツッコミを入れていたが、ここでの回収でなるほどと思わされた。…にしても、やっぱロマンチックではなくない?

  • 友人が「質量のあるものを圧縮すると熱エネルギーが出るから熱膨張するのは正しい」みたいなことを言っていた。ガチガチの文系なので間違って覚えていたら申し訳ない。そこらへんもそれなりに考証して作ってあるのかと思うと、侮れない…。

パラダピアの人々は22世紀に戻り、レイ博士は逮捕された。5人はマリンバから感謝されるも、ソーニャこそ感謝に値すると考えていた。そんなおり、ドラえもんが裏山に落ちていたソーニャのメモリーを発見する。これを使えば新しい義体で彼を復元できるとわかり、のび太たちは大喜び。

一方、家の庭で草を抜いていたママの元に何かがひらりと降ってきた。あの日四次元ゴミ袋に押し込んだ0点のテストだ。怒り出すママ、叫ぶのび太。それでものび太にはユートピアなどもう要らない。
この世界こそが素晴らしいとわかったから。
〜おしまい〜

筆者作成
  • 0点のテストもしっかり回収する徹底ぶり。


感想:映画ドラえもんの本質とは

今作の感想として、「目新しいネタ+過去作に似たさまざまな要素」からなると先に述べた。

一番目新しいのは今作の目玉であるディストピア要素だろう。
ツッコミどころこそあれ、子供ながらに怖いと思わされる(でもトラウマになるほどではない)演出が盛り込まれている。自分の周りにいる正常そうに見える人が皆狂っているって…冷静に考えると絶望感やばそう。

では、過去作に似た要素とは?

最初の方に言った通り、空(特に雲の上)を舞台にしたドラえもん映画で最初に思い浮かぶのは『雲の王国』である。
雲の上に天国(理想の王国)を作ろうというドラえもんの提案から始まったあの物語。映画としての最終的な着地点は全く違うが、空+理想郷、という根っこの部分を見るとこの2作は似ている。

さらに、本編語りの途中で言った通り、映画オリジナルキャラクターがロボットであるという点で今作は『鉄人兵団』にも似ている。鉄人兵団のリルルとピッポも最初は敵として現れ、しずかやのび太の心に触れたことで最後は自分の身を犠牲にして皆を救う
大きく違うのは、サーニャは確実に生きているがリルルとピッポは確実に死んだということだ。鉄人兵団のラストではリルル・ピッポの生まれ変わりとおぼしき存在が登場するが、前世の記憶はあるのか、そもそもそいつが生まれ変わりなのか他人の空似なのかすら明らかにされない。
ここは今作のほうが救いがある。

…と、こうした過去作的な要素をうまく料理し、新しい色を加えて出来上がったのが今作『空の理想郷』と言えるのではないだろうか。ドラえもんを知っていればニヤリとできる要素はたくさんあるし、知らなくてもそれなりに楽しめる。ごちゃごちゃ言ってきたが、もうなんでも良いから映画ドラえもんを見てほしい。
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間。


ダメなやつが、「らしく」生きる

今回のキャッチコピーは「僕らの『らしさ』が世界を救う。」だった。
どうしてもやりたい、どうしてもやりたくないという強い意志。この「らしさ」だけは、他の誰にも止めることができない。

そしてその「らしさ」は、時に「ダメなとこ」とも言い換えられる。

ドラえもんは失敗が多い。
缶オイルのうすい上澄み部分で作られていて、濃い沈殿部分で作られた妹のドラミちゃん(大学教授)と比べるとダメさが目立つ。焦ると四次元ポケットからガラクタばかり取り出してしまうし、ひどい時は四次元ポケットを使うこと自体できなくなる(『ひみつ道具博物館』『夢幻三剣士』など)。

のび太はパーフェクトではない。
テストは0点常習犯、運動させてもポカばかり。得意なのは早寝とあやとりと射的ぐらいで、悪巧みをしてひみつ道具を使おうとすることも多い(結局失敗してひどい目に遭うのだが)。

しずかちゃんは強情っぱりだ。
どんな場所でも風呂に入らないと気が済まないし、めちゃくちゃ下手なバイオリンを平然と友達に聴かせてくるし、もし自分の身に危険が及んでも自分の意見は通したがる。

ジャイアンは乱暴だ。
言わずもがなの暴君で、家の外では気に入らないことがあるとすぐ殴る。歌声は殺人級(悪い意味で)。暴力をちらつかせて自分の言うことを聞かせるのも日常茶飯事だ。

スネ夫はいじわるだ。
ピンチになると誰より先に弱音を吐いてママに助けを求めるくせに、平時では自慢と皮肉を誰よりもよく言う。22世紀の高等技術を日々目の当たりにしながら自分のラジコンのおもちゃ等々を自慢するのは虚勢にすら思える。

でも、彼らが力を合わせれば世界を滅ぼす巨悪を止められる。

私個人は、映画ドラえもん(ひいては『ドラえもん』という作品)の本質は
「ダメなやつでもダメなりに悩み、戦うことで世界も未来も変えられる」
という点にあると考えている。

のび太もドラえもんも毎回お約束のようにバカにされるし、過去の映画を振り返ってもいかんせんダメ側の登場人物が多い。つい喧嘩腰になって暴言を吐いてしまうやつ(『海底鬼岩城』『鉄人兵団』『人魚大海戦』)とか、失敗ばかりの発明家(『ひみつ道具博物館』)とか…。

彼らは良いところも悪いところもあるただの人で(もしくは人ですらなく)、ただ等身大に生きて頑張っている。
だからこそ観ている子供たちは手に汗を握り、勇気づけられる。
何者でもない自分、そしてドラえもんのいる22世紀へ続く今日という日がちょっぴり素敵に思えるようになる。

これが映画ドラえもんの本質であり、ぜひドラえもんを見たことのない子供たちに体感してほしいエッセンスだ。


間。

色々書いてきたが、ここまで律儀に読んでくれた方なら私が一番言いたいことはわかるだろう。
私の言いたいことはたった一つ。

私の拙文を読んで少しでも映画ドラえもんに興味を持ってくれたそこの君、
映 画 ド ラ え も ん を 観 よ う ! ! !

アマプラで見れるから!!!!!

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