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『廻』


年末の熱海銀座劇場さんでご一緒した牧瀬茜姐さんと、どうしてもその週にやってみたいことのイメージが浮上し、いつもながらまとまらないままお伝えするところから始まり、実践することができ、叶ったのが『廻』
お客さん方、劇場さん、お姐さん…その節はありがとうございます。3週間前くらいと思うと、まだそれしか経っていない?ずいぶん昔のことのような気になります。(オソロシキストリップ時間…3倍速?もっと?わからないからわからないままに、儘よ)

12月22日頃から7分〜10分くらい幕間でサービショー的に演させてもらえた。タイトルはお姐さんが思い付いて下さって、演せば演すほどしっくりきます。読み方はめぐるでいいのかな。meguru

11月結のニュー道後ミュージックへも、前日迄まだ何ができるんだ状態でどうしようもなく、ありったけの気力を注ぎに数日沖縄へ飛んだ足で、石鎚山に登ってみたい…というまだ叶ってない野望?希望で、衣装を纏う気力はなく、山登りできそうな靴は送って…の乗込みを果たし


遡るとすべての始まりは、2020年末のニュー道後ミュージックさんでした。もちろん全てのことが…という訳ではないですが、取り繕い縋ってもがいていたストリップ脳?ブロックが取り払う道が拓けた体験でした。

2020年末のニュー道後ミュージックさんで
サトコさんと茜姐さんの『転生』をモチーフとしたコラボショーに参加させてもらった時の感動体験は今でも忘れられないどころか、折に触れて思い出す出来事のひとつとなっています。
(自分のInstagramの投稿より)

こちらもどちらも強烈に心に残る催しほど、映像記録はナゼカ残せなかったり、なかったりと聞くことが多い…それでいいと思う。映像とライブとまた違う。導入や宣伝なのか、それ自体なのか。なんでもいいや

11月25日には、ニュー道後ミュージックへサトコさんをお呼びし、茜姐さん、真央姐さん、劇場さん、お客さんのご協力の下、踊り念仏プログラム第二弾は敢行されました。

告知も殆どできず、わたしの逆算しての気力や予算がなかった中で、覗き見してほしいなぁ…という目的やイメージはありましたが(失敗しました、この時に聞くところによる'結界'の存在を自分がつよく認識しました)無茶苦茶でそれを体験してくださった方は極僅かでしたが、かなりすごいことができたなぁと思いました。



そこからです。

『廻』

31日と1日の年またぎの時にも最後のショーを
夢が叶った。
こどもの頃、クリスマスの日のバレエ公演があって
団員のおとな達の
キャンドルサービスの練習をみていて
憧れていた。
偶々、ハトヤのCM?の何かが確かリズムか振り
かポーズにあったり(笑)
お正月にその曲を他のお姐さんの演目で訊いて
シンクロにびっくりしたり


今週は、ちょっと混乱気味で何をやったら…と爆発する気持ちで、本当はコラボステージ何か…と息巻いていたけれど、自分の力量ではこの状況、自分事で精一杯なんだなぁと気付かされた。当たり前と思っていた場、は、原始的な魔法にかかった中だったから、自分のささやかな魔法も生きたのだろうな…と誰から読まれても読まれなくても、もう恥ずかしさも後ろめたさも、ステージにも、ストリップという小宇宙(の意味合いも変わった、憧れはとうになくなった。だからいいし、寂しくもある。昔は憧れられた。永遠に真似できない天性の人がいっぱいいた。今はちょっと違う)にもなくなってきたからやっと書ける。気持ちがいい。世の中の流れだし、わたしもストーカーと勘違いされないように他人の飼い猫にだけ'推し'という言葉を使う気になるけど、なるほど推しだ何だか知らないが、食うか食われるか、ものにするかしないかの究極の場、状況(をないことにしようとしていることに蓋をするのか、しないのかのねじれ!まさに今!アナウンス、芸術、現実)を前に起こる'どうしようもなさ'を正当化するような頑なな人の一連の見方、流れ、心を並び、並べることの残酷さ…よ。ふと我にかえった時のどうしようもなさを置き去りに延命に走る。速度と保身はピカ一!普通かこれが。何が何だか分からない。言葉が氾濫した時、使いはしたが変と思った。私は人は推さない。猫はこっそりとまぁ推し事の控えめなことを許される範囲ってことか…させてもらう。そういう性格、考えなだけ。人の総意を汲んで動いてゆく運動、生命体の味気ないこと。はじめて会った割には…だな…何を知ってる?(笑)舐めてんのか?長年知り合った相手のことだって十分に分かってないのによ…(笑)&冷静に他所で、服着た相手にやるか?それ(笑)言動、困った不快な顔に、刻まれる。互いに。ざまみろ。それでいいに決まってる。と言いたい。みたこともなく批評やみかけで判断どんどんしろ。新興宗教ども(笑)みたいものだけ、みればいい。お望み通り。だからおもしろい。ゾクゾクする。

去年は怪我が大きいと思うけど、ストリップ芸を大事にして磨きお仕事している明らかな格上の方とのみお仕事ご一緒した1年で、めくるめく迷いの中で、生きるだけで精一杯で何をしたらよいか分からなかったし、からだの故障と回復と向き合うプロセスもよく分からなかった。その分、心は落ち着いてよく頑張った。何もしない。何も産み出さないことを憶えた。今、そんな気がした。もう色々と置き去り。

御守りです。
やけっぱちで一人で演してみたら
成立しないでもない…
というか今の自分に
一番しっくりくる
本当に何もしていないけれど
ストリップの迷宮と自分の混乱具合の
交わる線、点…
人がみたいようにしかみないのは当たり前
それでいても懐かしさを感じて
目に映るような明らかな反響があって有難い
ありがとうございます!
色んな状況に炎を投下します。
音を固定してからのイメージは22年末に
これも又、茜姐さんから教えてもらい
貰ったチラシを握りしめて観に行った
川上譲治さんの映像。
都内で開催されていた為か、連日満員。
関係者祭りな感じで新旧お客さんの
熱意や様子やトーク、かなりカオスだと思った(笑)
また上映されて欲しいなぁ。
2日でギブだった。
みた映像はかなり今でも忘れられない。
たくさん忘れてはいるが。
仏壇、セーラー服、唐突なピンクショー
設定は何でもいい。
あの何なんだ?これは何だよ?という
感動する、整う、元気になるとかじゃない
心を掻き立てる、ただ目が離せないみたいな
やがて置き去りにされたような
何かに逆戻りしてみる
イメージ、イメージ
わたしも目の前の人たちを見習い、
徹底的にみたいものをみる
それしかない
廻らせてくださり、ありがとうございます。

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