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上手く言葉にならないこと

質問をされて上手く返せないことが増えた。どちらかと言うと、考える前に口から言葉が出てくるタイプだ。ただ、歳を重ねるごとに、その言葉の中に譲歩逆説が増えている。そして、延々と話した末、着地に失敗することばかりだ。今日受けた取材もそうだった。

でも、別にそんなに嫌ではない。上手く言葉にならないということは、思考にためらいがあるということだと思う。何かを主張するとき、そうではない他者の合理性を想像する。内面を問われたとき、自分の多面性を自覚する。ためらうことはわかりやすさに抗うことだ。

気を抜くと、わかりやすい言葉が思考を蝕んでいく。淀みなく同じ物語を何回も繰り返していると、自分が本当にそう考えていたような気がしてくる。だんだんと社会や自分の複雑さが分からなくなってくる。単純な物語を信仰するようになる。

それがなぜ嫌なのかは自分でもよくわからない。でも、わかりやすい言葉は覚悟を持って使いたい。胸を張って淀みなく何かを語るとき、ためらいのない自分に冷ややかな目線を向けたい。その上で、それでも言葉にしようとした自分を褒めてあげるような人でありたい。

わかりやすい言葉を慎重に嫌々探している。

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