葛尾村に遊びに来てね
今日、福島県双葉郡葛尾村に引っ越します。
会社からフルリモート勤務の許可を得て、仕事は変わらず、ソフトウェアエンジニアとして働きます。葛尾村に住みながら、今の村にはない仕事で働けたら良いなと思い、3年前にソフトウェアエンジニアという職を選びました。実現できて良かったです。後押ししてくれた会社の方々には心から感謝しています。
余談ですが、昨夜は社外勉強会で初めて発表させてもらって、この2年間での技術的な成長を少し実感するとともに、経験ある参加者の皆さんからたくさんのコメントをいただいて、とても刺激になりました。今後どのような仕事をするにせよ、趣味でも仕事でも技術を触り続けていたいです。
良い機会なので、何を考えてきて移住するに至ったか、少し昔を振り返ってみます。
2020年夏。ゆくゆく葛尾村に住もうと思い始めたのはこの頃です。当時はコロナ禍真っ只中。大学の授業をオンラインで受けながら、復興庁主催の学生を村に呼び込むプログラムの運営に住み込みで携わっていました。この時に色々な経験をさせてもらったことを本当に感謝しています。
一緒に泊まり込んでいた友人たちと夜な夜な議論する中で「私たちは専門分化して再度ここに集まろう」という話をしていたことを思い出します。当時、私たちは学部1年生や2年生。専門という専門も確立されておらず、あるのは建物や地域やコミュニティに対する似通ったようにも見える(でも少しずつ異なる)関心でした。同時に、運営に携わっていたプログラムにも地域に関心のある学生たちが集まっており、地域おこしや復興支援を志す大人たちが村に集っていました。
地域に関心のある私たちが、地域に関心のある学生たちを呼び込んでいる。そして、地域の仕事をしている大人たちは地域に関心のある移住者を呼び込む事業を始めようとしている。そのすべてに対して、否定や批判をするつもりは今の自分にはありません。ただ、いわゆる「地域」に関心がある人が似たような人たちを呼び込み、多くの人たちが復興予算を財源とした仕事に就く状態があり、私自身もその中にいることに対して、問題意識を当時持っていました。そのような意識もあり、地域の仕事から一旦離れて、何かしらの専門性を獲得することを目指すようになりました。
あれから4年。ソフトウェアエンジニアになって葛尾村に引っ越すのは、その具体的な実践であり、スタートラインかもしれません。一緒に村で過ごした友人たちも、全く異なる分野でそれぞれ頑張っています。遠くない将来、当時は想像も実現もできなかったような面白い取り組みを再度集まってできたらいいなと想像しています。
2022年夏。村出身の友人のご実家である建物を扱った「第2回松本家展」を友人たちと開催しました。その準備過程の中で、家や村に対する私(たち)の考えにひとまずのまとまりが見えてきたのがこの頃です。展示をきっかけに、遡行的に語られる地域の連続性が重要だと考えるようになりました。
原発事故による避難の影響で、震災当時に1500名ほどいた居住人口は、450名ほどまでしか戻っていません。うち、100名超は震災後の移住者です。そのような状況を踏まえて、大学時代にお世話になった地域団体の代表は「村外の人たちも巻き込んで地域の文化や歴史を続けていく必要がある」ということをよくおっしゃっていました。私は村の出身ではありませんが、その想いはとても共感できます。一方で、移住者あるいは村を訪れる学生に「地域に愛着を持ってほしい」「歴史や文化を継承してほしい」と求めるのではなく、もっと彼らが地域で自由にやりたいことをできる環境を作ることが大切なんだとおっしゃる方もいました。これもとても理解できます。私自身、いろいろなことを自由にさせてもらって今の関わり方があります。
重要なことはその両者の間にあるのではないかというのが「第2回松本家展」で考えたことです。「地域の文化や歴史を続けていく」と言うとき、私の中にあるイメージは脈々と受け継がれてきたものを受け取るような受動的なイメージでした。しかし、「第2回松本家展」の準備過程の中で、そのイメージは大きく変わりました。まず展示にあたって、松本家のご家族に聞き取りをしたり、家の前の縄文遺跡の発掘調査書を読み込んだりして、家の歴史の調査をしました。そして、作品制作を通じて、縄文時代から人が住み始めた土地のこと、太平洋戦争後に開拓して建てられた家のことを、私たちの言葉で語り直しました。ここにあるのは、家の歴史を現在から掴み直して語るような能動的なイメージです。
自分の暮らしの中に組み込まれない「地域の歴史を継承しよう」はどこまでも他人事で、地域の文脈を引き受けない「地域で自由にやりたいことをやろう」はどこまでも上滑りする気がします。自分の暮らしに引き付けて、あるいは自分の仕事に引き付けて、家や村の個別具体的な歴史を物語ることが私の取りたい態度です。だから引っ越すというわけではないのですが、そのようなことを今後も考えたり話したりしていくなら、住まないと筋が通らないとは薄々思っていました。暮らす中で変わっていく部分もあるとは思いますが、どう具体性を帯びていくかを楽しみにしています。
葛尾村に引っ越すからといって、今日明日で私自身の暮らしが大きく変わるわけではありません。同じ仕事を続けますし、同じ活動を続けていきます。東京と福島にいる比率が今までと逆になるようなイメージでいます。
ただ、ひとつ大きく変わることがあります。それは友人を村に呼びやすくなることです。これまではレンタカーを借りて民泊や知人宅に泊まっていましたが、自分の車と自分の家を手に入れました。いつでも駅に迎えに行けますし、いつでも家に人を泊められます(宿泊施設もあります)。東京と福島をそれなりの頻度で往復する予定なので、タイミングが合えば、車に同乗して来てもらうこともできます。
なので、ぜひ葛尾村に遊びに来ていただけると嬉しいです。いつでも連絡お待ちしてますし、良い機会があれば私からお声がけします。また、葛尾村に住まれている方々は、これからお世話になります。
以上、葛尾村へ引っ越すことのご報告でした。