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住村竜一朗の敗北。努力は人を平気で裏切る。

12月29日15時45分。さいたまスーパーアリーナ。
大舞台での雪辱と活躍を誓って、文字通り全てを賭けて生きてきた選手が花道を歩く。パフォーマンスをするわけでもなく、観客に答えるわけでもなく、花道を噛み締めて歩く。どこか申し訳なさそうに、また怯えているように。

ファンは非常だ。冷酷にセコンドのK-1の皇治と僕の名前を呼ぶ。
選手よりもセコンドが注目されている。こんな失礼な話があるかと思う。いつからこんな文化レベルの低い状態になったんだ。日本のファンは格闘技を愛していて素晴らしいとは幻想か、昔の話なのではないか。今から生活の全てを賭けて闘いに臨む選手へこんなにも失礼なことはないと思う。僕は無視を決め込む。鋭い視線は先に歩く彼を後押しできればと、彼の背中を強く見つめる。内心申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

花道を歩く選手は「住村竜一朗」。
彼は勝利を渇望していた。淡路島からの大応援団も僕らチームも全力で彼の勝利を後押ししようと誓っていた。皇治と青木真也が12月29日に全力でサポートしようと会場に来ているのだから彼の人間性をわかるだろう。

努力は人を裏切らないなんてのは成功者の戯言。

試合の開始を告げるゴングが鳴る。彼の動きはすこぶるいい。アップでも力が出ていたし、調子はいい。主導権争いはこちらに傾いていた。セコンドの僕は打撃の指示は皇治に任せて、「丁寧に」と大まかな戦況を伝えていた。

この攻防であれば大丈夫だなと思った矢先。相手選手のパンチが彼をとらえた。大の字。ノックアウト負けだ。セコンドの皇治選手が真っ先に入ってケアをする。彼の性根の部分の気遣いがあって人を想えるところよく出ていた。気持ちのある人間だと思う。人間味のある人だ。

僕は「勝てたのに」と自分が「丁寧に」いかせなかったかを悔いていた。試合から一夜明けた今でも思っている。勝てたのに。こんなときがセコンドとして戦術、戦略を担当したときに一番悔しい。そのほかにも練習のときのアドバイスなどもっとわかりやすく、適切に、伝わりやすく言ってあげれたような気がする。医務室への帰り道に僕は彼に「勝てたゲームだ」と伝える。ここに関してはもう少しよい言葉があったのではないかと思うし、僕が言っていい言葉ではなかったと思って、反省している。ただ勝てたんだ。

努力は人を裏切らないなんてことはない。

住村さんに試合前に何度か練習でブレーキをかけた。明らかにやりすぎに感じるときがあったし、動けてないと感じるときがあったからだ。僕が休息を勧めるファイターはほとんどいないから、彼の取り組みがどれほどのものかはわかってもらえるだろう。

彼自身も生涯でここまで練習をしたことがないと言っている。
グラップリング、フィジカルトレーニング、ボクシング、シルバーウルフでスパーリング、MMA練習を組み合わせて日に2回は練習をしていたと思う。明らかにやりすぎに感じることが多々あった。ただ文字通り生活の全てを賭けてやってきたからこそ、彼も僕たちも勝ちたかった。勝ちたかったんだ。

できる限りの努力を積み重ねて全身全霊で取り組んだときに結果は運であり、運命である。裏を返せばそこまでの取り組みをして初めて運命とか運を出していいのではないか。

努力は裏切り、現実は残酷だ。

いくら努力しても叶う保証などないし、むしろ失敗する確率のほうが高い。
失敗するからその取り組みが無駄だとか、挑戦しないほうがいいとかは全く思わない。そんなことは愚か者の言葉だとすら思っている。

教訓を生かしてやめたほうがいいことと失敗する確率のほうが高くてもやったほうがいいことがあって、挑戦とか恋愛は失敗が見えていてもやることだ。人生の豊かさを考えれば誰でもわかることだ。

ある程度成功したとされる人間が努力は裏切らないとか言うもんじゃない。

僕は「人間が努力は裏切らない」って言葉が嫌いだ。何故ならば暴力でしかないから。成功の可否が努力の有無に聞こえるし、できないのは努力不足だと聞こえて、できない人間を刺しているだけだ。最低限の努力は必要だけれどもそれ以上は運だと僕は思っている。自分のことで考えても出会いとか勝敗の差とか運がよかったなと思うから。

医務室で彼は「いつ練習できますか」と聞いた。

医務室で裂けた耳を縫ってもらっているときに彼が「いつから練習できますか」とドクターに聞いた。僕は質問を遮って「ダウンしているから2−3週間は休んでください」と強く冷たい言葉で伝えた。気持ちはわかるけれど休んでほしい。

またコツコツとやって、もう一度チャンスがもらえるように頑張る。

この言葉を聞いて前を向けているなと安心はした。
けれども都合よくチャンスが来る保証はないし、順番待ちの最後尾に回ることになる。格闘技に限らず現実は厳しい。生きるとはこういうことだと思う。格闘技が厳しいなんて間違えても思っちゃいけない。どんな仕事でも現実は突きつけられるのだから。それでも生きよう。いや。生きろと思うし、彼の発する生きるメッセージに勇気をもらう。それはファンも僕も同じ気持ちではないだろうか。

次に花道を歩くときは「住村」と呼んでほしい。そうなるように生きよう。

次にRIZINの花道を歩くときは「住村」と声を大にして呼んでほしい。彼は今日からまた花道を歩く日を見て歩き始めているから。必ず戻ってくるよ。前を向いているから、その方向に向かってるいていくだけだ。たとえ間違っていたとしても正しいと思って生きていくしかない。そんなもんだ。

また頑張ろう。また一緒に練習しよう。



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