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格闘技選手は大量生産大量消費の渦に自ら飛び込んでいく。理解不能だ。

RIZINのバンタム級GPが発表されて、コロナ禍の中で国内のバンタム級を16人揃えなければいけないのだから、メンバーの純度は薄まるだろうし、それはそれで仕方がないのは承知なので、ツンツンしてボヤ騒ぎを起こす気もなく、東京大会と大阪大会に試合が振り分けられたら、見所と与太話を書くつもりでおりました。

ただ修斗の看板王者である岡田選手が出ていたり、4月のHEATで防衛戦が決定してるはずの春日井選手が出ていたり、その他にもグラチャンのチャンピオンやネクサスのチャンピオンが出ていたりして、所属団体のタイトル戦線は回らないだろうし、後楽園規模の団体が実質潰れたようなものだなと感じました。物語も何もないただ試合があって、切符を手売りする味気なさがそこに横たわっております。

でも選手を責める気にはならないのです。選手はチャンスがあれば賭けたいだろうし、僕も修斗からPRIDEに行ったクチですから、気持ちは痛いくらいにわかります。ファイトマネーは微々たるもので、プロモーションもなく、選手がいくら愛を持っていても、返ってこなければ他に行くのは当然のこと。そこは何も責める気になれないです。頑張って稼いできてね。

ONEに日本人選手が大量に契約したときも思ったのだけど、選手に思想信念や主義主張がなく(要は哲学)、ただ流されるだけなのはかっこよく映らなかったのですが、RIZINもまた同じくで「RIZINで何がしたいのか」が見えないと差別化もできないし、格好よく映らないと思うのですよね。

その他大勢になった場合は商品として、似通ってくるし、そこでは一部の上位層しか潤わないような世界になってくると思っています。それってしんどくないですかって思うんですよね。まあ勝ったやつだけ残るのが格闘技だって言われたらそれまでですけど。

それとは別に思想信念主義主張(哲学)を持って、数は少ないけど、深く刺さるブランドを目指すかがあると思っています。僕は大量生産大量消費よりも数は少ないけれども、深く刺さるものを目指したほうが豊かなのではないかと思っています。大金は稼げなくともそれなりには稼げるだろうし、昔から格闘技や芸術の芸事はそういうものだと思っています。

格闘技選手が目指す方向性は哲学を持ってブランド化することだと思うのだけども、皆が大量生産大量消費の渦に飛び込んでいきますね。僕は今日も我が道を行きます。


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