自作解説『ライオット・パーティーへようこそ』について

『ライオット・パーティーへようこそ』は、2014年に出版された水沢秋生の第二長編です。

 世の中には「できの悪い子ほど可愛い」という言葉がありますが、「自分自身の作品で一番好きなものを上げろ」といわれたら、この作品を選ぶかもしれない。『ライオット~』はそんなお話です。なお、この場合の「できの悪い」というのは、単に「売れなかった」ということで、作品の価値、あるいは込められている熱量とはまったく関係がありません。もしかすると、これまでの作品で一番熱量を込めたから、可愛いと思えるのかもしれない。

 第二作目というのはただでさえ力が入るもので、その圧に耐えかねて潰れてしまう人も少なからずいるほどですが、この作品を書いたとき、念頭にあったのは「自分の代表作となるものを」ということだった気がします。
 どんな小説家でも、それぞれ代表作、あるいは代名詞といえるものがあります。しかし残酷なことに、そこに辿り着く前に、小説家でなくなってしまうこともある。だったら、早く書かなければ。そういったあせりのようなものもありました。また、当時はデビューしたばかりにもかかわらず、唯一頼れる人であるはずの担当編集者は産休に入って不在、相談する人もまだあまりおらず、自分がどこに向かって歩いているのかも分からないような状態でした。そういう状況で、とにかく持っているものを総動員して120%の力で書いたのがこの作品です。

 この小説には、人生で経験したことが数多く詰め込まれています。2020年4月段階の最新刊である「あの日~」について、「ご自身の体験ですか?」と訊ねられることがありますが、どちらかといえば「ライオット~」のほうが自分の体験に基づいた要素が強いのかもしれません。
 たとえば、二十代前半の一時期、住む場所がなくなったこと。寝る場所といえば公園のベンチか昼間の山手線かという、おおっぴらに話すのがはばかられるような状態だったのですが、そのときの無力感、周りの全員が自分より幸せで、自分が蔑まれているような感覚、怒り、諦め、そういう暗い感情も詰め込まれています。作中、ネットカフェ難民の状態に陥ったある人物が、最後の晩餐としてハンバーガーを食べる場面は、自分で読んでいても胸が痛くなります。

 もちろん(というのは変ですが)、この作品も売れず、当時は経験もなかったので「なんで売れないのだろう?」と思っていたのですが、今ならなんだか理由が分かる。たぶんこの小説、多くの人にとってすごく気に障るだろうと思います。物語のフレームも正統なものではないし(それを言うならデビュー作からそうだったのですが)、登場人物の行動も理解できないことが多いかもしれない。かと思えば感傷的で、少女マンガ的な面もある。
 今、冷静になってみると、「そら、売れんわ」と思います。そして、何遍も言いますが、売れないからといってその作品に価値がないわけではない。まあ、もうちょっと売れていたら、その後の小説家としての人生も楽だったのだろうな、とは思いますが。

 この作品の中には、その後書いていくことになる小説にも関わる、いくつかの主題のようなものを見つけることができます。たとえば、「人生は自分の意志でコントロールできるものではない」「人生は些細なことで道を変える」と言ったような。
 また、小説で主要な役割を果たす人々は、ほとんど「落伍者」と呼ばれるような立場にあります。今、2020年のこの時代においては「そうなったのはお前の責任だ」といわれるようなこともあるでしょう。そういえば山手線で寝ていた時代、「若いくせに昼間からぶらぶらしやがって」と、知らん人に胸倉をつかまれたことを今、久々に思い出しました。
 幸いなことに、今も作品を発表し続けることができていて、こうやって「俺の話を聞いてくれ!」と言えば、多くはないにしろ、幾人かの人たちに「なんだなんだ、どうしたどうした」と、耳を傾けてもらえる環境にいます。しかし、ほんの少し道が違えば、「俺の話を聞いてくれ!」が別の形で噴き出していたかもしれないし、そうなっていたらもっと違う場所にいたことでしょう。すべては本当に、紙一重のことなのだと実感します。
 そういうあれやこれやも含めて、デビュー作と同じぐらい「原点」といえる作品かもしれません。
 おそらく、書店で手に入れるのは難しく、おまけに出版契約も切れているはずなので、出版社に問い合わせても取り寄せられるかどうかは微妙なところです。ただ、本との出会いは色々な形がありますので、もしも縁がありましたら、どうぞ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?