自作解説『カシュトゥンガ』について

『カシュトゥンガ』は、2015年に祥伝社より刊行された水沢秋生の第三長編です。2014年から2015年にかけて、『小説NON』にて連載したものを加筆・修正したものです。

 この作品でモチーフとしたのは「宗教」、そして「集団」です。
 世の中で苦手なものはたくさんありますが、その中でも、同質性が高くて、そこだけでしか通らない論理と倫理によって動いている集団に放り込まれるというのは、苦手を通り越して恐怖ですらある。そういう状況の中での救済といったものを描きたくて、この作品を書きました。苦手ということでいえば、「中学生」というものも苦手。子供が持ち合わせている明るいものが失われ、それと入れ替わりに大人の持っている汚い部分だけが入ってくる、それが私にとっての中学生のイメージです。
 そういえば、私が通っていたのは公立の小中学校なのですが、小学校の頃に比較的親しくしていた子が、中学生になった途端、絵に描いたようなヤンキーになってしまい、「あんた、一体どうしたの」と、おばあちゃんのような気持ちになったことを今でも覚えています。そういう意味では、一種のホラー小説なのかもしれない。とはいえ、世界はこの種の恐怖であふれているわけですが。

 ところで、この作品は連載という形を取ったものですが(注1)、雑誌掲載時と単行本では、話が大きく変わっています。連載時にはいた登場人物がいなくなっていたり、エンディングの色合いもかなり違ったものになっていたり、します。
 なにぶん、かなり前の作品なので、細かい部分については、もはや自分自身でも思い出せず、どっちがどうとは判断できないのですが、それも含めて、もうちょっとなんとかできたんではないか、とあれこれ考えてしまうこともあります(注2)。

 色々な意味で挑戦した作品ですが、書きたい気持ちが先走ってしまった結果、抑えるところが抑えきれず、伸びるべきところが伸びず、という部分が散見されるのは認めざるを得ないところです。そのため、「ぜひどうぞ」とはおすすめしにくい面もありますが、とはいえ我ながら「なかなかやるな」と感じる部分も多い、「出せてよかった」という作品でもあります。

 今思い出すと、連載というのは予想以上に大変で、月に一度、締め切りがやってくるというのももちろんなのですが、それ以上に、「一度書いたものをいじれない」というのが非常に苦しい。書いている間中、ずっと道に迷っているような気持ちでした。また、締め切りがあることで、「いちおうまとまった形にしなければ」、という気持ちが強く働きすぎてしまいました。連載は、毎月お金が入ってくるので、収入面ではありがたいものですが、どうも向いていないような気がします。

 なお、タイトルにもなっている「カシュトゥンガ」という言葉は完全な造語です。エキゾチックで、何だかよく意味が分からなくて、存在しない言葉として考えたもので、最終的にはグーグル検索で一件も引っかからなかったことから、作中のキーワードおよび、タイトルとして利用しました。グーグル先生、ありがとう。

注1 打ち合わせしたとき、編集部でざっくりしたプロットをお話したところ、「分かりました、じゃあ、今月末締め切りからやりましょう」といわれ、その場で連載開始が決まりました。今でもそういう、大らかな出版社はあるのだろうか。

注2 今となっては、「ぜひ読んでください」とは、勧めにくい作品でもありますが、最近知り合いになった、とある人気作家の方が、「水沢さんの作品、買ったので読んでみますね!」と持って来られたのがこの本でした。「ありがとうございます!」とお礼を申し上げつつ、内心では「なぜ、これを!」と叫んでいたことは内緒です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?