自作解説『ゴールデンラッキービートルの伝説』について

『ゴールデンラッキービートルの伝説』は、2011年「新潮エンターテインメント大賞」を受賞、2012年に刊行された水沢秋生のデビュー作です。2019年にキノブックスより文庫化されました。

 インタビューなどで、「どうして小説家に?」と聞かれることがありますが、そのときには「金欲しさです」と答えるようにしています。これは韜晦という面もありますが、かといって、まったくの嘘でもありません。
 今となっては、記憶も定かではありませんが、この作品を書き始めたのは、おそらく2009年ごろでしょうか。当時は、フリーのライターだったのですが、紙の雑誌も少なくなり、そこにリーマンショックがやって来て、あちこちの雑誌が潰れ、原稿料もカットされ、収入激減。ライターだけでは食えず、バイトに出たり、その勤務先でパワハラに遭ってうつ病になったりと、まあ、まあ、大変な時期でした。
 だから、小説を書き始めたのには、経済的な面の動機も間違いなくある。同時に、そういった現実の辛さ厳しさから逃避するというか、自分の人生の先に、まだ希望があると信じたかったから、というのも大きな理由でしょう。考えてみれば、小説を読み始めた頃というのがそうだった。内向的で、学校に場所に馴染めず、「友達百人できるかな」式の価値観とはまったく相容れなかった子供が、唯一の逃げ道にしていたのがフィクションでした。
 というわけで、「なぜ小説家に?」という問いに答えようとすれば、人生のスタートに近い時点から長い話を始めざるを得ません。「そこをダイジェストで」とさらに問う人もいるかもしれませんが、そう簡単にダイジェストにできないのが人生というもの。
 また小説を書くことが自然な行為となった最近では、頭の中に物語が浮かぶと、それに出て行ってもらわなければ他に何も考えられなくなるという事情もある。
 だから、「なぜ小説家に?」「どうして小説を書くのですか?」という問いには、今後も「金のため」と答えることでしょう。

 さて、そんな経緯もあって、小説を書き、新人賞に応募していたこの時期に書かれた物語は希望に満ちたもの……、というか、希望しかない、希望だけはある、というものばかりです。
 そういえば、「なぜ、悪いものばかりのはずのパンドラの箱に希望が入っていたのか」という問いを始めて知ったときには「そうだねえ、不思議だねえ」と思っていましたが、今なら分かる。そりゃ、そうだろうよ。

 幸い、この作品は「新潮エンターテインメント大賞」という新人賞を受賞しましたが、たとえばもし他の賞に応募していたら、あるいは同じ賞でも、ひとつ前か後の年に応募していれば、そうはいかなかったかもしれません。
 というのも、この賞は一般的な新人賞とは異なり、選考委員がひとり、しかも毎回変わる、という珍しいものでした。
 この作品が出版されたとき、こういった趣旨の書評が載ったことを覚えています。

「多くの選考委員が関わるほかの新人賞は、いってみればクラスの中で、一番人気の生徒を選ぶようなものだ。しかし、この賞が選ぶのは、誰もが認める生徒ではなく、それどころか欠けてる部分も多いけれど、何だか気になる、もし好きになったら、とても好きになってしまうような子である」
 
 まさに、これ以上の言葉はありません。もちろん、自分の中にも「多くの人に好かれたい」という願望はありますが、たぶんこれから先も、「クラスの一番人気」になることはないでしょう。でも、「誰かの一番」になれるとしたら、それはまさに、私の望むところです。

 なおこの作品は、デビュー社である新潮社ではなく、キノブックスより文庫化されています。新潮社によれば「売れる見込みがないものは文庫にはできない」ということで、それをキノブックスに拾ってもらった形です。この話をするときには、いつも「じゃあ、なんで産んだんだよ、母さん!」という、大映ドラマみたいなセリフが頭に浮かぶ。
 また、この本が出たときには、キノブックスが「東京以外での営業活動はやりません」ということだったので困っていたところ、関西にある某出版社の人が、「じゃあ、一緒に回りましょうよ!」と言ってくださり、いくつかの書店にご挨拶させていただくことができました。自分の利益とは、まったく関係ないのに。世の中、まだまだ捨てたものではありません。
 しかし、かと思えば今度はキノブックスが事業縮小の気配を見せていて、この本もキノブックス文庫ごと棚からなくなりつつあります。
 やれやれ、と言いたい気持ちも大いにありますが、捨てる神と拾う神が交互にやって来るのが世の中というもの。いつか、別の形で陽の目を見ることがあるかもしれない、と箱の底を眺める日々です。

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