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どこで立ち止まるか

 『四次元年表』の簡易版を、Flutter大学の共同開発でつくっている。モバイルで使えて、入力項目が少なくて、ちょっとしたゲームもついてます、みたいな。そこでまた、英語問題が再燃する。英語で入力する、あるいは英語で表示される検索結果への、アレルギーみたいなもの。
 おりしもLlama3が無償公開されたので、なら、自動翻訳を入れられるのか?と思ったりするけれど、よくよく考えたら、自分でServerを用意して、Llama3を設定して、導入する、というのはゼンゼン、タダ、ではない。GPT4が有償でやってくれているところを、自分でやる、という話なのだから。
 英語って思っただけでやる気が失せる、という人の気持ちもわからないではないが、ならその人が自分で翻訳にかければ、グーグル先生でも、DeepLでもいい、お好みのもので各自やっていただければ、それは基本、無償でいけるはずだ。そこにランニングコストを掛けてこちらが用意するのか、やりたい気持ちと、違うだろう、という気持ちと、相半ばする。
 やろうと思えばできる、からといって、追い求めすぎると、切りがない。どこで立ち止まるか、それも一つの覚悟なのだろう。

 テキストアナリティクスはどこへいくか

 手作業でとても大変なことをやるとき、人は対象を吟味する。労力をムダなことに費やしたくはないから、シェークスピアとベーコン、という大物を研究しても、それがどこへでも広がっていくということはなかった。
 が、これがテクノロジーでなんとかなる時代になると、話が変わってくる。今はまだ、そのテクノロジーをどう使えばなにができるか、という段階なので、夏目漱石や谷崎潤一郎、あるいは源氏物語のような大物を相手に試行錯誤している。しかし、この技術と手法はおおむね確立しました、となったなったら、次はどこへ行くのだろう。
 手書きと口述とワープロで文体は変わるだろうか。ファンタジーと私小説とノンフィクションには、それぞれふさわしい文体があるのか。人生の大きなイベントによって、作家の文体は変わりうるか。意識した変更と無意気の継続はどちらが強いか。などなど。
 さらに、芥川賞作家と直木賞作家の文体を比較して、どういう文体で書いたらどちらを受賞の確率が高くなるかとか、審査員の文体の好みを分析して、それに合わせて生成AIで草稿を書くとか、もちろんそこまできたらもうそれは学問ではなくて、一般人による濫用、という話になるのだろうけれども、いずれにせよこの手法がどこへ進んでいくのか、興味は尽きない。

四次元年表

三次元表示

四次元年表の使い方


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