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地域に埋もれた「魅力」は掘り出しても魅力的ではないというお話

場所を問わず、地域振興にたずさわる方々とお話ししていて、頻繁に登場するのは「この土地には数多くの魅力が埋もれている」というフレーズです。そこには、この魅力はもっと知られるべきだ、掘り起こして知ってもらうことができれば多くの人がこの土地に魅力を感じてくれるはずだという期待が込められています。

その土地で生まれた歴史上の偉人――わたしが所属する大学のある新潟県新発田市であれば忠臣蔵で活躍した堀部安兵衛や、明治期に活躍した経済人である大倉喜八郎など――や、建築物、伝統美術、工芸品、伝統的なお祭りなど、シビックプライド(市民の誇り)を形成してきた様々なコンテンツ=地域資源が、たしかに各地には存在しています。

しかし、その土地に暮らす20代の学生たちと話をしていると、そういった地域資源が驚くほど知られていない、あるいは知っていても理解していないことに気がつきます。コンテンツ由来のお祭りに小さいときから参加しているにもかかわらず、その由来についてほとんど理解していないということも珍しくありません。

このことは、埋もれている地域資源を、掘り起こして目の前に並べただけでは「魅力的ではない」ということを意味しています。多くの地方の観光案内所で目にする、パンフレット・まち巡りマップ、歴史資料館や博物館で上映される紹介映像もそれだけでは、関心や共感を喚起するものではないのです。

マーケティングの分野で重要な指標となった「エンゲージメント」という考え方が、ここにも適用できると私は考えています。エンゲージメントとはもともと「愛着」や「思い入れ」を意味する言葉ですが、デジタルマーケティングの分野では単なる表示回数(インプレッション)ではなく、その情報を見た人にポジティブな行動を喚起できたかを知る指標として重要視されるようになりました。例えばTwitterであれば、いいねやフォローなどのアクションをインプレッション(表示数)で割った「エンゲージメント率」を把握することができるのです。

このエンゲージメント率を上げるにはどうすれば良いのか? やみくもにインプレッションを上げても効果は上がらない(逆に下がる)ことは自明です。マーケティングであれば消費者の共感を喚起する物語が、その情報に内包されていること、テレビコマーシャルやドラマやアニメのようにその物語に断続的に消費者が接触することが重要であるとされます。地域資源も同様に地域内外の人々がまず共感できる物語に「再編集」する必要があるでしょう。

あえて「再編集」という言い方をしたのにも理由があります。かつては共感を得られていた地域資源を巡る物語が、いま若い世代には全く良いほど共感はもちろん、理解も認知されていない――断絶していると言わざるを得ない現状があるからです。忠臣蔵がその良い例であることは、この連載でも度々指摘してきました。

その原因は様々考えられます。SNSの普及やテレビを始めとしたマスメディアの影響力の低下によって、価値観が多様化しその分断が進んだということもあるでしょう。最近「ポルポトって誰だよ…。」というTwitter投稿が話題にもなりましたが、大学で講義を行っていると、大学生たちが近現代史をほとんど学んでいないことも思い知らされます。歴史=いまにつながる物語を知らなければ、その重要な一部をなす地域資源の魅力をいくら熱く語られても(=インプレッションを上げても)、「?」という状態から抜け出すことはできないはずです。そこに自らとの関連性を見いだすことができなければ、共感・愛着(=エンゲージメント)が生まれることもないからです。

しかし、そこに新しい物語を提示することができれば、歴史の教科書では全くその魅力が伝わらなかった人物や出来事に、強いエンゲージメントが与えられることも既に数多くの事例があります。歴史を巡り、超常的な能力を与えられた偉人たちが活躍するFGO(Fate/Grand Order)、イケメンとなった文豪たちがやはり超人的な活躍をする文豪ストレイドッグスなどがそれです。

逆に言えば、それくらいの思い切った「再編集」がなければ、この分断の時代に地域資源に魅力を見いだしてもらうということも難しいのだということです。そして「ゆるキャラ」ブームが一段落したことからもわかるように、その再編集は(スマホゲームのアップデートのように)絶え間なく行わなければあっという間にコモディティ化(陳腐化)してしまうのもまた事実なのです。





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