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芸術も文化もアートもカルチャーもみんな死ね

芸術だとか文化だとかいう言葉が死ぬほど嫌いだ。

芸術的才能も文化的素養も全く持ち合わせてないただのお前の嫉妬だろ、と言われればそれまでだが、俺は断じて芸術という言葉を信用してない。

だって芸術も文化も完全に後天的に評価されるもので何をもってそれと定義するのかあまりに曖昧すぎる。

俺にはわからん。村上隆の射精カウボーイとちんちん亭の種付けおじさんの差が。ゴジラVSビオランテとゴジラキングオブモンスターズの差が。DNAと金魚草の差が。会田誠と植松聖の差が。最果タヒとアンディ・メリー・メネスの差が...

最後のは少しふざけたが、俺が言いたいのはそういうことだ。過程はおいといて同じような着地点にいるのに片や芸術、片や狂気。いったいそこの線引きはなんだ。自称文化人からの評価か?それとも発表場所か?

文化なんてものもいい加減だ。月刊漫画ガロが文化ならコミックフラミンゴだって文化なはずだし、芸術新潮が文化誌なら実話ナックルズも文化なはずだ。花見が文化なら駅前で酒飲んで項垂れてるのも文化なはずだし、不倫が文化ならピンサロだって文化のはずだ。

申し訳ない、芸術も文化もあまりいい例えが浮かばなかったので適当にらしいことを対比で書いてるがそれは俺の知識不足です。

それなのに、それなのに芸術家や文化人は偉そうだ。偉そうに金とって講演会しやがるし、偉そうに本書いてバカから金を巻き上げやがる。自分のことは棚に置いといて他人の評価ばかりしやがる。ホリエモンのどこが文化人なんだよ!メンタリストDaiGoのどこが知識人なんだよ!ただの人格破綻者じゃねーか、同じ分野でお前らより凄いことしてる人なんて沢山いるんだよ!

失敬。話が逸れてしまった。まあ要約すると芸術や文化なんて定義は曖昧でそこの線引きはお偉いさんに評価されたか、色んな人に見て貰えたかっていう至極適当なものだ。だから芸術や文化なんて言葉嫌いだし、芸術家だとか文化人だとか自称する奴なんてろくな奴いない。と思っている。

最後に岡本太郎は芸術とは何かと聞かれて爆発だと答えてるそうだ。俺もそう思う。さすがだと思う。自分の中に巣食う妄想だとか表現言語的なものを爆発させ、アウトプットできればそれは本当の意味での芸術である。と思う。
誰かがこれは芸術でこれは文化で、これは違うなんて決められるものなんかじゃない。

まあクオリティってのは確かに存在するし普遍的にいいものはいい。けど芸術や文化を始めるにあたって芸術的である必要も文化的である必要も無い。ただ書きたいことを書いて歌いたいことを歌って作りたいものを作る。
でいいと思う。そうあらないと本物の天才が人間の歴史に埋もれちゃう。だからさ、みんな適当に伸び伸びと自己発信してこうぜ。俺も適当に伸び伸びと詩を書くからさ。

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