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1人の人がもたらす影響③

その後の影響

以前にも書いた記事


この経緯から
休憩しながら復帰に向けて自分を見直している今。

退職してから4ヶ月ほど経ち
ここ最近は無理することなく過ごし、復活してきていると自分で思っていた。


主人のことで今一度見直しをしたが

主人のことがなくそのままフルタイムで働いていても、私はまた仮面を被り自分を見なくなっていただろうと思う。

それか同じつまづきをしていたんじゃないか。

だからきっと結果的には進んでいるんだとは思う。


自分の中から外に出てみた

今まで自分が安心できていた場所から
社会復帰のためにも少し環境の違うところへ行ってみた。


でも

以前は平気だったはずの場所なのに発作がでる。


落ち着いてきたはずなのに
さらに弱くなっていることに一気に落ちた。

なぜだかはじめは分からなくて
弱くなったことを受け入れたくなかったが

カウンセラーからの


弱くなったのではなく
元の自分の感覚に戻っているから


だと。


そうか…


私はもう鎧は脱ぎ捨てたんだった。


じゃぁ鎧を脱いだ
自分の感覚で発作が出たスイッチはなんなのか。


母親と上司と女性というもの

母親の影響から
女性の前ではしっかりしていないといけないと思いやすい。

そして、それに上司の影響が上乗せされた。


今まで散々否定されてきた。


他の人はそうじゃないのになぜあなたはそうなるのか
そんなこというのはあなただけ
他の人はもっとこうしてる
こうやって考えるべき
その考えはダメ
なんでそうなるの
要領が悪い
臨機応変になれ
努力が足りない
体調悪いのは自分の管理不足



そんな言葉たちに自分を抑えた365日×8年。


もう離れて半年ほど経っていて
直接関わることはないけど

8年という日々の積み重ねが
私の心に居座るんだ。


今回久しぶりに発作が出たのが

相手の女性から上司と同じように
否定されるかもしれない面影がよぎった時だった。



あぁ…

私まだ手放せてないんだな。



1人の人がもたらす影響の大きさを知った。


居場所

鎧をとった私は

女性に対して、否定されることへの異常反応。

男性には、頼りたいけど父親のようにいなくなるかもしれないと言う不安感。


回復するうえで向き合っていくこととなる。


だとしたら無理に関わりを持つこともないのでは?とも思うけど

それでも諦めず人と関わろうとするのは
居場所や安心を求めているのだろう。


私の軸となる
主人や自分の家庭。

これからずっと
3ヶ月や半年ごとに主人の病気について判断し続ける。


私の居場所にはずっと変わらない主人の存在や自分の家庭だけど

どこかのタイミングで手術と言う生命が不安定になる時に、自分で踏ん張らないといけない。

そして度々襲いかかる不安定感。


その軸となるものを支えるためにも
人との繋がりや外での少しずつの安心感が
私の軸を支えるセーフティネットになるのではないか。


リアルな友達に頼れる人もいる。でもだからこそ心配をかけてしまうと言う想い。

親しいからこそすべての事情を聞いてくれる。


でも私が今もっていることが事なだけに、詳しい事情どうこうよりも

ちょっと疲れたんだって言えるだけの場所が必要なんだと思う。


自分に向き合うことや
人との付き合い方に戸惑いや迷いもありながらな今だけど

鎧を被ったままの私で、たくさんの人と関わっていた時の自分より

不器用だけどそのままの自分でいられる今の方が、断然心地よいのです。


とりあえず一旦終わり。



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