叡山電鉄が私の聖地でなくなった話

精神病棟の一日は足音で始まる。

摂食障害で入院している患者達(だいたいティーンの女の子)はとにかく痩せたいので、起床とともに廊下を一斉にウォーキングしはじめるのである。
おいおい、運動して良いのかと思うが、重度の患者は閉鎖病棟に行く(行動制限がつく)ので多分良いんだろう。

私はアルコール依存症と重度のうつで京都の精神病棟に入院していた。

起床の後は検温問診。次は各自好きな場所で朝食。
開放病棟なので病院の外に散歩なり買い物なり出ていくことが可能だ。

しかしながら私はアルコール依存症なので、毎日1時間アルコール講習に参加しかつ断酒会に所属、「断酒の誓い」というソウルフルな宣誓をしなければならない。
依存症患者の壮絶な体験告白も聞く。詳しくは話せないのだが、ああ!マジ酒やめよう!と誰しも思うこと間違いなし。
パンチの効いた毎日であった。

病院は綺麗でコンビニもあるし設備面で困ったことはなかった。
大変なのは人間関係である。
精神的に困っちゃった人々が共に暮らすので、いつでも何かドンパチあると言っていい。

私のいる4人部屋で深刻だったのはいじめ問題だった。他の部屋で患者のボス的な女性に目をつけられた女の子が私のいる部屋に移動してきていたのだ。

何か知らんが毎日ボスが爆ギレで乗り込んでくる。その度に私はナースステーションに助けを求めに走るのだが、あれ何でボスは強制退院にならなかったんだ?最終的に女の子は内科病棟に移動になった。

ボスは常に目を光らせて病棟を仕切っていた。こうなると病気を治しに来たのかボスに忠実な下僕になりに来たのかわからなくなる。

私自身別の人にだが加害を受けた。
談話室でテレビを観ていたら、知らん爺さんに「相撲は日本の国技じゃ!」と怒鳴られしばらくの間ストーキングされた。本当に意味がわからん。精神病棟ならではの何か高度なコミュニケーションだったのか?いや絶対違う。

しかし他に行くところの無い私達は息を潜めて暮らすしかないのだ。精神的にやられる。精神病院にいるのに。

病院に居たくないので、私は暇があれば外に出ていた。

そう、叡山電鉄に乗って。

森見登美彦作品で大変重要なモチーフとして描かれるあの電車である。
私も森見登美彦ファンであるので以前はときめくものがあったが、今は作品中で叡山電鉄が出てくると少し身構えてしまう。

例えば病院を出て岩倉駅から電車にのるとワクワクする。閑散とした車窓を抜け、京都の街並みが近づいてくると嬉しい。でーまーちーやーなーぎからっ♪
帰りはその逆である。陰鬱としてしまう。ああ、病院に帰りたくない。このまま電車に乗ってどこかへ消えてしまおうか。

私にとって叡山電鉄は病との闘いの象徴なのだ。

入院が決まり、2歳の娘と別れて、重たいスーツケースを引きずりながら向かった出町柳駅を私は一生忘れないであろう。
世界はキラキラしていた。皆幸せそうだった。私だけに光は届いていなかった。

産後うつになり、子供の離乳食拒否でノイローゼになり、ラリって元気を出そうと手を出したのがアルコールである。元気などは全く続かず、すぐに連続飲酒の沼にハマった。常時酩酊することが必要になり、コンビニが生命線になり、鞄にはいつも500mlのビールを入れていた。地獄である。

どう考えてもこんな母親は子供のそばにいるべきではなかった。


入院は三ヶ月で終わる。“お酒を飲みたくなくなる薬”という夢のような薬のおかげで、アルコール依存状態は一応おさまったのである。

しかし、この病気は治ることはない。一生酒の誘惑と闘うことになるのだ。

実は退院してから一度叡山電鉄に乗った事がある。
貴船の川床に行ったのだ。途中停まる岩倉駅。
全く変わらない風景がそこにあった。私は病院に帰ってきたのではないか?また連れ戻されるのではないか?
しばらくドキドキしてしまった。

今叡山電鉄はアニメ「有頂天家族」とコラボレーションという楽しそうな企画をやっているのだか、私は残念ながら不参加だ。

あの時電車に揺られてどっか行っちゃった人生を考えずにいられないからである。


私の困っちゃった体験第二弾でした。
読んでくださってありがとうございました。



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