支離滅裂ですが
理由がわからない
テストの点数が悪くて親や先生に怒られた。仕事でミスをして上司に怒られた。「なぜ、こんな事がわからないの!」「なんで、間違うの!」「ちゃんと勉強しろ!」。恐らく頭ごなしにこんな事を言われた人は多いだろう。私もよく怒られた。授業中に「わかった人は手をあげて」と言われ答えるも、その答えが間違っていた事もある。そして笑われたりする。少しづつ不得意が増えてゆく。少しづつ自信を失っていく。(なぜ、間違うと怒られたり笑われたりするんだろう?)その理由がわからなかった。
理由をきく
ある学科の先生が放課後に私を呼び出した。特に好きな学科でもなく好きな先生でもなかったし、夕方に見たい再放送もあったので気は進まなかったのだがその先生の学科の準備室へ行った。準備室に入るなり、その先生は「来てそうそう悪いんだけど、購買部へ行って牛乳と君の飲みたい飲み物を買ってきてくれないか?」と私に小銭を渡した。(なんだよ、使いっぱしりじゃねーよ)と思いながらも、私の飲み物まで買ってくれるなら心の中で「許してやる」と妥協して紙パックの牛乳とコーヒー牛乳を買って準備室へ戻った。「飲もう」「いただきます」ストローを紙パックに差し、ひと口ふた口飲んだところで先日のテストの話になった。わざわざ呼び出して怒る気なのか?と思ったが話は違った。
「私が教えた事に対して君はあの答えをだした。正解ではないが、その答えに興味があったので至った経緯を知りたい」
おそらく先生は(間違ったままにしていたら、その問いに対してわからないままになってしまう)そう思ったのだと思う。私はその答えになった理由をひと通り説明した。話を終えた後、先生が誤答になってしまった分岐点を指摘してくれた。その指摘の仕方は叱るでもなく怒るでもなく
「なるほど。それでその答えになったのか」と少しばかり私に感心したような口調だった。そして私も指摘してくれた分岐点から正解へのルートを教えてくれたおかげで間違った事に対して納得した。そして話は先生の学生時代の話になった。
先生の話
「私は学生時代、勉強が嫌いで遊んでばかりいたんだよ」
私は先程も書いたがこの先生があまり好きではない。なので先生の過去など興味はないのだが「私も学生時代」と言わなかったので、私は再び心の中で「許してやる」と思いながら話を聞いてやった。この時点ではまだ、私はまだこの先生に対し心を開いておらず生意気にも「聞いてやった」と言う言葉が合っているのだと思う。しかし、話を聞いていくうちに惹きつけられ(先生って学生の頃ドジだったんだな)と笑ってしまったのである。そして今や世間からは先生と言われるが、時々奥さんやお子さんに怒られる時もあるようだ。どんな時に怒られるのか知りたかったが具体的な事は言わずじまいだった。
「人間は頑張ってもできない事はある。努力しても報われない事もある。ただそこで諦めたら終わってしまう。それではそれに費やした自分の時間が勿体ない。そしてそれは自分の経験にも蓄積される。なので、次からはその方法や手段は選択肢の中から消えるから考えなくていい。別の手段や方法を考えればいい。もしかしたら考えようと構える前に思いつくかもしれない。可能性はいくらでもあるのだと思うよ」
急に真面目な事を言い始めた。
「もし何か思いついたなら何かに記しておくといい。日記とは違う君の思いついた事や浮かんだアイディアなどを記しておく専用のノートを1冊作ってみるのも面白いかもしれない」
理由はなんですか?
先生が私を準備室へ呼んだ理由がよくわからないままだった。特に説教するわけでもない。しかしながら授業中の時と顔つき口調が若干違うのはわかる。そして少しづつだか先生の事を気に入ってきている。
「先生はなぜ私を呼び出したのですか?」
私の質問に答える前に、先生が「君の親御さんは煙草を吸いますか?」と聞いてきたので「吸います」と答えると、机の引き出しから煙草と携帯灰皿を取り出し準備室の窓を開け煙草に火をつけた。
「君は私の教科が苦手だ。しかし他の教科でずば抜けて優秀なものもある。その先生が時々職員室で君の話をしていてね、私は君と話してみたいと思ったんだよ。それと先程の誤答に至った経緯も知りたくてね」
煙草の煙が窓の外へとゆっくりと流れる様子と、雲がゆっくりと動いている様子が何故だか面白い。
「実を言うと、私は牛乳飲んだあとに煙草を吸うと高い確率で腹の調子が悪くなるんです。それでたまに妻に叱られます」
私はなぜそんな高確率でお腹の調子が悪くなるのに煙草を吸ったのか聞くと
「何故だろうね。今も仕事中に変わりはないのですが授業とは違うからなのかな?」
すると間もなく雨雲が立ち渡ってきた。そして先生の腹の付近からギュルルというような音がした。先生は冷静を装いながら「今日は大事な時間に呼び出してすまなかったね。来てくれてありがとう」と言って、口調とは真逆のスピードで煙草を消し「雨が降りそうですね。気をつけて帰りなさい」と言って準備室から出て行った。
私はこのまま準備室の鍵もかけずに無人にしてしまうのをためらったので、しばらく準備室から見える景色を楽しんでいた。たしかに今にも雨が降りそうで辺りは暗くなってきている。校庭を小走りに走る生徒が何人もいる。先生が戻ってくると、私がまだ準備室にいたのでビックリしたようだった。「留守番をしていてくれたのですね。ありがとう。もう大丈夫です」「それでは帰ります。コーヒー牛乳、ごちそうさまでした」そう言って私は帰宅した。
翌日
その先生の授業が4時間目にあった。先生はマスクをしていて顔色も少し悪かった。おそらくずぶ濡れで帰って風邪を患ったのだろう。ずぶ濡れで帰ったので奥さんに叱られたのかもしれない。そう思うと心配ながらも可笑しくなってしまった。不思議な事に今までと違って退屈で集中力が散漫だったこの教科の時間が、いつもより集中していたように思う。そして珍しいことに授業中に私は手をあげて質問した。説明でわからない部分があったからだ。しかし調子の悪い先生は私の質問に対する説明が長くなるかもしれないので、先生の調子がよくなったら準備室で説明するとの事だった。授業も残り10分程のところで「残りの時間は自習にします。隣のクラスに迷惑はかけないようにしてください」そう言って椅子に座り込んでしまった。ざわつく教室では自習する人、教科書もノートもしまって昼を待つ人、雑談をする人。様々だ。私はノートの片隅に座り込んで動かない先生を模写していた。終業の鐘がなり先生は教室を出て行った。
動く事
好きな事や嫌いな事には原因や要因がある。その事柄によって決定的な原因だったり様々な要因が重なり合って理由になる事がある。理由がわかれば解決策も見つかるのだが、理由がわかっても状況が変わらない場合はどうすればいいのか? その時は躊躇わずS.O.Sのサインを出せばいい。出す相手がいない。誰に出せばいいのかわからない。まずは「調べる」という行動をしてみよう。そしてその中から知ろう。似たような境遇や状況の人がいるかもしれない。或いはそのような過去を持つ人がいるかも知れない。その中に様々なヒントがあるかもしれない。調べる事、知る事、動く事で何かが変わるかもしれない。凝り固まった固定観念が変わるかもしれない。理解する事で状況が変わるように。それと時々、気分転換しましょう。いつもとは違う道を歩いて遠回りしてみるのもいい。見えなかったものが見えたりして発見があって楽しいかもしれない。気にしていなかった事に気づくかもしれない。それは自分が変わるキッカケになるかもしれないよ。
※この話は妄想と経験のミクスチャーです。
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