今、思うこと

「Colaboに採用を取り消され無職になっ」てから、早くも半年以上経過しました。

この一件で私はどん底に突き落とされ、一時期は先が全く見えない状態で気持ちも大変不安定でしたが、4月から新しい環境でスタートを切りました。
慌ただしいながらも充実した毎日を過ごしています。

ただ、どれだけ今の生活が充実しているからと言って、自分がColaboから受けた理不尽な扱いを、忘れることなどできません。
絶対に、風化させたくありません。
そんな思いで、この記事を書くことに決めました。

とはいえColaboのことを考えるだけで苦しい気持ちになるのは今も変わりません。
この記事を最後に、更新を終了しようと思っています。

2月にColaboが用意した話し合いの場に出席したものの、交渉が決裂し
翌日にColabo側代理人弁護士に連絡をするも、音沙汰がなく
一切の補償を受けられていないことについては前回の記事でお話ししました。

この記事を書くにあたって、件の代理人弁護士と、Colabo側にも再度連絡をしましたが
弁護士からの「話し合いの場でお伝えした通り」という返答しか得られず、
やはり本件について改めて補償をするという発想はないようでした。

結果として私は、Colaboから一切の補償をされずにいます。

この半年間で、Colaboを取り巻く環境は大きく変化したと思います(それらと私の件は無関係ですが)。
Colaboへの理不尽なバッシングの嵐に、共闘して声をあげる人をたくさん見かけました。
「女の子たちの居場所を守れ」という主張それ自体には私も同意します。
Colaboの活動も守られて然るべきものだと思います。

しかし、Colaboが正義の側に立って現状に抗議するとき、
私を踏みにじったままであることに、誰か気づいているのでしょうか。
半年以上ずっと踏みつぶしたままで、もはやColaboの側も踏みつぶしていることを忘れているのではないでしょうか。Colaboの支援者の方々は、そもそも私のことなど知らないのではないか、とも思います。
Colaboを擁護する声が大きくなればなるほど、「踏みつぶされている私に気づいて!」という声をあげたくてたまらない気持ちになります。
いや、声自体はずっとあげているのです。このnoteを通して。Colaboやその代理人弁護士への連絡を通して。
聞こえないふりをされているだけなのです。

情報を集める中で、件の代理人弁護士は「正義は勝つ」と口癖のように言っていることがわかりました。
彼の中では、私の問題を放置しておくことが「正義」ということなのでしょうか。
(弁護士にとっては弁護人の立場=正義ということはわかっています。それをわかった上での皮肉です。)

「正義」の側に立つ自分たちの活動を継続しつつ、過ちに向き合いそれを清算することは、そんなに難しいことなのでしょうか。
私には、Colaboという団体が、もうわかりません。

怒り続けるというのは、エネルギーを必要とすることです。
私のエネルギーが切れるのを、黙って待つつもりなのでしょうか。
そんなことは許したくないと思っても、私も前に進まなければならず、いつまでも引きずるわけにはいきません。
だから、最後の抵抗として、せめてこの件が風化しないようにと、記事を書いています。

Colaboを擁護する人々の行動を止めるつもりはありません。
しかし、Colaboが完全に潔白な正義の団体であるという風には考えてほしくないです。
特に労働者の権利擁護等に関心をお持ちのColabo支援者の方々には、この件を是非知ってほしいです。
私がColaboから受けた扱いを、なかったことにしないでください。

私はColaboを許しません。
記事の公開は、その気持ちの表れです。
これまでに書いた告発記事も、再度公開することにしました。
この件を風化などさせません。
不誠実を貫き通す相手に対し、行儀よく向き合う必要など、ありません。

読んでいただきありがとうございました。

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