見出し画像

華のニュージーランドライフのはずが〜ホテルビュッフェの裏側で

海外ノマドの青星いるかです。

ひょんなことから、NZでパン屋さんになろうかと思いたち、軍隊のような料理学校で鍛えられることに。

「ネクタイ違うから、教室にはいれない」
(ドア、ばっしーん!と閉められてるし)

「こんなまずいもの食えない。あと3分でやり直せっ」
(あなたが食べたのは虫だったのですか?と聞きたくなるほど、苦い顔)

などなど数々のスパルタをのりこえ、なんとか卒業。
もちろん感謝はしていますが、もう一度やれと言われたら、泣いて断ると思います。

そんな中でも、割と過酷だったのが、とある5つ星レストランのビュッフェのインターンでした。

当時学生をしながら、アルバイトを探していたのですが、全くの未経験だと見つからない!

ので作戦を変更して、まずは学校が推薦してくれる5つ星ホテルの7日間のインターンに申し込んだのでした。

まず面接に行くと、とても明るいオフィスに通され、明るい女性が楽しく対応してくれました。


「あなた、Bakerになりたいのね。OK、ペーストリー部門で働けるか聞いてみるわ♪」と言われ、

ワクワクしていざ職場へ!と乗り込んだのですが、待っていたのは大量のじゃがいもの皮むきでした。。。

それも、あの華やかなビュッフェからは想像もできないくらい暗い、窓もない地下のだだっぴろいキッチンで、大勢の移民たちが働いています。

まさに蟹工船と言った感じでした。。。

ペーストリー部門の話はどこへやら。一般の部門にいかされました。

私が回された部門のヘッド・シェフはマレーシア人で、とてもいい人で、元奥さんが日本人だったこともあるのか、なにかと気にかけてくれました。

チーズを振りかける仕事を頼まれたの時に、途中でなくなってしまったので、新しいチーズをまた同じ容器にずっぞーっと入れました。

すると、他のチームの超大柄な女性が、「なんでこの容器にまた新しいチーズが入ってるの!」と怒っています。

しまった!新しい容器に入れるんだった。。。と思って、びくびくしていると、

そのヘッド・シェフが彼女の肩を抱きながら「なくなったから、新しいの入れといてやったのさぁ〜〜」と歌うようにしてかばってくれたりしました。(;;)

他の宴会部門に回されたときも、ダーリンと呼びかけてかわいがってくれる人もいたのですが、うっかりその辺にあった調理用具を使ってしまったとき、

後から気づいて「すみません!私物とは知らなくて使ってしまいました」と謝ると、すごい怖い顔をしてきた人もいました。

私の困った顔を見て、みんなが笑い出します。「ジョーク、ジョーク!」と言われて、肩をぽんぽんと叩かれましたが、一瞬背筋が凍りました。

「あー、俺ホリデーが待ちきれないよ〜故郷に帰るんだ」と話していたのは、ブラジルからの移民で、みんなどうやら1ヶ月有給でもらえるホリデーを待ち望んでいる感じでした。

ちょうどクリスマス前の忙しい時だったので、余計に休みが欲しかったのでしょう。

総料理長はニュージーランド人で、お給料も高いらしいのですが、その人が来ると皆ぴりぴりとしたムードが漂います。そして大声でみんなに指示をだしまくるのです。

「サラダが新鮮じゃないのが混じってるぞ!」「ローストビーフはまだか!」などさながら戦のよう。

それでもなんとか、光の差し込まない地下の蟹工船の中でも、みんなできるだけ楽しく仕事をしようと、歌を歌ったり、おしゃべりしたりと色々な努力をしていました。

あるときサラダの専門の女性は韓国人だったのですが「あなたが1番のお気に入り〜」と言いながら微笑み、私の心をなごませてくれたりもしました。

来る日も来る日も、大量のじゃがいもや人参の皮をむいたり、サンドイッチを皿に並べていったりしていて、私はすっかり飽きてしまいました(笑)

そして最終日、ヘッド・シェフが1時間前に「もう学校あるから上がっていいいよ♪ 社食でごはんも食べていきな〜」とご飯をかきこむマネをしながら言ってくれました。

「え?でも、4時間以上働かないと食べられないんじゃ。。。」と言うと、「いいから、いいから、食べていきな♪ 」と送り出してくれたのです。

それでおそるおそる社食に行くと、これまた大柄な料理を盛り付けている女性が私を見て「NO!」と言うのです。

私はあわててそこを後にしたのですが、あとで見てみると、面接をしてくれた女性が食べていたのです!

これは下手に食べていたら、4時間未満だってことがばれて、危うく推薦状がもらえなくなるところでした。間一髪セーフ。

それで推薦状を手にした私は、やっとカフェのキッチンでアルバイトを見つけることができました。

永住権を取るには、大きなホテルで働くのが早道なのですが、せめて陽の差し込むところで働きたいと思った私は、結局小さめの地元では有名なカフェ・ベーカリーに就職しました。

そこでの仕事も朝の5時から粉まみれになって、30kgのチョコレートを持ち上げるという過酷なものだったのですが、

ホテルでの経験で英語にもちょっぴり自信がもてたので、NZ人の経営するカフェに挑戦することができました。

今から思えば全てが貴重な経験でしたが、私はもう以前のようにホテルのビュッフェを優雅な気持ちでは味わえません。

裏でどんな場所で、どんな人が戦場のような怒号の中で働いているんだろう。。。と想像してしまうからです。

でもそんな裏側をちょっとでも知れてよかったなと思います。感謝して味わって食べることができるようになったからです。

あとは、今自分のペースで自宅で働けることにもすごく感謝できるようになりました。

ただ、ああいう経験をしなければ、移民の人々の苦労もわからなかっただろうし、雇われることの辛さから抜け出そう!みたいな気持ちも湧いてこなかったかもしれません。

そう思うと、全ての経験は今につながっているのだなぁと思うのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?